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「388対1」~ある女性政治家の闘い

 1941年12月8日(アメリカ時間7日)、日本の連合艦隊がハワイの真珠湾を奇襲攻撃しました。翌日、フランクリン=ローズヴェルトの要請を受け、アメリカの議会は対日宣戦布告を可決します。上院は賛成82、反対0の全会一致。下院は賛成388、反対1の圧倒的多数でした。

 この唯一の反対票を投じた議員は、ジャネット・ランキン(1880~1973)という女性議員でした。なぜ、彼女は「唯一の反対」という困難な意見表明をしたのでしょうか。


ジャネット・ランキン

アメリカの女性参政権

 制定時のアメリカ合衆国憲法には明確な規定はなかったものの、白人男性のみが参政権を持つことは自明とされていました。しかし、19世紀からは女性参政権の獲得運動が盛んになり、州レベルでは女性参政権を認めるところも出てきました。

 比較的新しい西部の州は、19世紀後半~20世紀初頭までに女性参政権を認めました。しかし、全米で女性参政権が認められるのは、第一次世界大戦後を待たねばなりませんでした。

 ジャネット・ランキンは、1916年にモンタナ州で選出された、初の女性連邦議会議員です(共和党、下院議員)。彼女はまた、徹底的な平和主義者でもありました。

二つの世界大戦に反対

 1917年4月、アメリカは第一次世界大戦への参戦を問う決議を行い、上院で82対6、下院で373対50で可決しました。ランキンは、参戦への反対票を投じた56人のうちの一人でした。

 その後、ランキンは議席を失いますが、1940年の選挙で当選します。そして、1941年には全議員で唯一、対日参戦決議で反対票を投じました。彼女は、二つの大戦への参戦に、二回とも反対した唯一の議員となりました。女性は戦争に行けないので、自分が他人を戦地に行かせるわけにはいかない、というのが彼女の行動原理でした。
 
 ランキンの行動は強い非難を浴び、直後の対独・対伊宣戦布告の決議は棄権せざるを得なくなりました。

ベトナム戦争にも抗議

 1968年、87歳のランキンは5000人の女性を率いて行進し、ベトナム戦争介入に抗議しました。生涯を通じて「反戦」の意志を貫いたのです。1973年、ランキンは93年の生涯を終えました。

 ランキンは下院議員としては当選2回、計4年間の任期でした。しかし、彼女の無二の業績は鮮烈な印象を現在に残しています。

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