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異国に消えた皇族の数奇な生涯

 言うまでもなく、皇族は日本で最も高貴な血筋です。実は、天皇の子として生まれながら、遠い異国の地に渡って生涯を終えた人物がいます。平安時代初期の天皇・平城天皇の皇子であった高岳(たかおか)親王がその人です。

 高岳親王は、平城天皇の弟・嵯峨天皇の代に皇太子に立てられました。しかし、譲位した平城太上天皇は嵯峨天皇との政争に敗れ(薬子の変)、高岳親王も皇太子を廃されました。大同5(810)年のことです。

 その後、高岳親王は空海の弟子として出家し、真如法親王となります。斉衡2(855)年、東大寺の大仏の頭が老朽化で落ちたため、その再建を主導しました。

 さらに、真如は朝廷に驚くべき願いを申し入れました。60歳を超える老齢にも関わらず、唐に渡って仏法を学びたいというのです。貞観4(862)年、念願叶った真如は唐に渡りました。

 真如は、唐の都・長安に六か月滞在しましたが、探究心を満足させることができませんでした。彼は唐の皇帝に、天竺(インド)に渡航する許可を得、広州から出航します。海路で東南アジアを経由し、インドを目指す旅です。

 真如の一行が帰国することはありませんでした。伝え聞くところによると、真如は現在のマレー半島の南端、シンガポール付近にあった羅越国で亡くなったということです。享年は67歳ごろと推定されます。虎に食われたという言い伝えもありますが、後世の創作でしょう。

 異国で生涯を終えた皇族といえば、近代であれば北白川宮能久親王(日清戦争中に台湾で戦病死)、その子成久王(フランスで事故死)の事例を挙げられます。しかし、近代以前においては高岳親王以外の事例は思いつきません。

 海を越えて数奇な運命をたどった人物については、これまでも紹介したことがあります。高岳親王は、その中でも異色の経歴を持つ人物といっていいでしょう。


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