彦根城と佐和山城~勝者と敗者の夢の跡
滋賀県彦根市のシンボルである彦根城。
関ヶ原の戦い後、徳川家康の重臣であった井伊直政が彦根を与えられ、彦根藩の祖となりました。
直政は関ヶ原の戦いの戦傷がもとで1602年に死没。その遺志を継ぐ形で、彦根藩主の居城として彦根城が築かれました。
勝者の城・彦根城
彦根藩は幕末まで井伊氏の所領となりました。井伊氏は譜代大名の筆頭で、幕末には大老の井伊直弼を輩出しました。
JR彦根駅から徒歩15分ほど。虎口(郭への入り口)が屈曲しているのは敵の侵入を妨害するためです。目の前の構造が攻城戦の時にどう機能するのか、想像しながら見学すると楽しいです。
中央のへこんだ部分が竪堀です。竪堀に入った敵の動きを制限するように斜面に沿って積まれた石垣が登り石垣で、全国的にも珍しい構造です。
戦時になると、この木橋は落とされます。城に侵入した敵兵は、高い石垣を登らなければ本丸に入れない構造になっています。
彦根城の天守は、全国に12しかない現存天守の一つ。国宝5天守の一つでもあります。装飾の多い華美な姿をしています。
見た目の美しさだけでなく、傾斜のある地形に高い石垣を組み合わせ、高い防御力を誇っているのが分かります。
敗者の城・佐和山城
さて、井伊直政が彦根に入る前、この地域を領有していたのは石田三成でした。佐和山城主であった三成は関ヶ原の戦いで敗れて処刑。旧領は没収され、井伊氏に与えられました。
彦根築城に伴い、佐和山城は破却されました。その際、構造物は徹底的に破壊され、資材も彦根城に転用されてしまいます。
JR彦根城の付近に佐和山城跡が残っていますが、訪れる人はあまりいません。
主郭にはかつて天守があったとも伝えられますが、その面影はありません。
佐和山城の主郭(本丸)からは、彦根城を眺めることができます。
歴史上の勝者と敗者、その残酷な対比を見るかのようです。
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