武蔵松山城~迷路のごとき空堀の芸術
武蔵松山城は、埼玉県の東松山市にある山城です。杉山城・菅谷館・小倉城とともに、国指定史跡「比企城館跡群」に指定されています。
武蔵松山城は石垣を伴わない土づくりの中世城郭です。地理的には埼玉県の中央にあり、戦略的にも重要な場所です。戦国時代、扇谷上杉氏・後北条氏・越後上杉氏・武田氏が激しい争奪戦を繰り広げました。
市野川にせり出した丘陵に築かれており、川が天然の水堀の役割を果たしています。山がそれほど険しくない分、空堀を駆使して守りを固めている点に特色があります。
東松山は史跡が豊富
東松山駅から徒歩約25分。武蔵松山城は、「吉見百穴」「岩室観音」といった史跡が集中したエリアにあります。攻城前に吉見百穴に立ち寄ると、詳細な地図がもらえます。
この地域は、凝灰岩質の掘削しやすい地質であり、このような奇観が見られます。「武蔵松山城を攻めた武田信玄が、坑道を掘って城を落とそうとした」という伝承があります。地質を考えれば、そのような伝承が生まれたのもうなずけます。
搦手から松山城に入る
今回は登りのきつい正面を避け、城の裏手(搦手)から入りました。早速、虎口の土塁が出迎えてくれます。
虎口から入っていくと、「惣曲輪」と呼ばれる平地が見えます(写真右)。写真左の少し高くなっている部分は「腰曲輪」と呼ばれます。
深くめぐらされた空堀
先述したように、武蔵松山城の特徴は「深く幅の広い空堀」です。
藪が茂っていて分かりにくいですが、落ちれば大怪我をするでしょう。
本曲輪の風景。曲輪はいずれも広々としています。戦国時代の当時は簡易的な建物があったのでしょう。かなりの人数が籠城できそうです。
「二の曲輪」もまた、深い空堀に囲まれています。
「曲輪四」の周囲には土塁も築かれ、落差を大きくしています。
「城内最大の空堀」
城の北よりにある「三の曲輪」と「四の曲輪」の間は、城内で最大の空堀です。
藪が多いため、写真では中々迫力が伝わりません。現地で実感してほしいところです。
さらに、堀の底に下りて下から眺めることもできます。
堀底道をさらに歩んでいくと…
おや、見覚えのある光景が。そう、城の入口に戻ってしまったのです。
地図でいうと、赤で示したルートを通ったため、予期せずもとに戻ってしまったわけです。
城というのは、侵入者を撃退する軍事施設ですので、迷路のような構造をしています。城内を歩いていると、予期しないところに出てしまうのですね。こうした意外性も、城を歩く楽しみといえます。
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