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杉山城~「戦国山城の最高傑作」

 埼玉県比企郡嵐山町にある杉山城。非常に技巧的な土の城である一方、歴史的な記録が皆無なため、「謎に満ちた名城」として知られる。

 以前は、高度な築城技術でつくられていることから、北条氏の城ではないかと推測されていた。しかし、発掘調査では15世紀末~16世紀初頭の築城とみられることから、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築いたと考える方が蓋然性がある。

 武蔵嵐山駅から徒歩40分。城まではほとんど平坦だが、やがて小高い丘が見えてくる。標高は95mくらい。山城は急峻ならいいわけではなく、標高としては大したことがないものが多い。

 大手口(城の入り口)のところでは、地元の方がボランティアで案内をしていた。地元のお年寄り曰く、「以前は好事家しか来なかったが、最近テレビでも取り上げられて人が増えた」とのことだ。

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 大手口の様子。虎口付近が曲がっているが、側面攻撃をかけるための工夫だ(横矢掛り)。

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 角馬出。曲輪から突出した部分で、城兵の反撃拠点などに使われた。遺構の保存状態は大変良く、芝で保護されている。

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 南二の曲輪付近の空堀。土塁と空堀が縦横に張り巡らされ、まるで迷路のようだ。

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 南二の曲輪と南三の曲輪の間にある「食い違い虎口」。侵入する敵の進路を強制的に曲げて、動きを制約するための仕掛けだ。

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 南三の曲輪の外側にある長大な土塁。右側の切岸の急峻さがわかるだろうか。

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 主郭の西側の虎口にも、横矢が仕掛けられている。主郭に入ろうとすると、側面から矢が浴びせられたはずだ。

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 主郭からの眺めは絶景だ。主郭を中心に、階段状に曲輪が囲んでいるため、敵の動きは手に取るように分かっただろう。曲輪のふちがW字のようにギザギザになっているのは「屏風折れ」といい、敵を複数の面から迎撃する工夫だ。

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 主郭から井戸曲輪方面を見る。本来は木橋が架けられ、主郭への入り口になっていた箇所だ。右側に横矢掛りがみられる。

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 城兵の命綱である井戸の跡。巨石で塞がれているのは、廃城後に敵に利用されないためか。

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 主郭の北側に行くとやや鬱蒼とした林になるが、土塁や空堀はしっかりと残っている。

 史料上には痕跡がなく、実戦の舞台になったかどうかも定かではない杉山城。しかし、杉山城は戦国の攻城戦のリアルを想像するのにうってつけの場所だ。戦国ファンなら必ず楽しめるはずだ。

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