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臼井城~上杉謙信を撃退した名城

 臼井城は、千葉県佐倉市にある城跡です。現在は城址公園があるものの、知名度はまだ高くありません。しかし、太田道灌や上杉謙信といった名将の攻撃を受けた重要な城でもあります。


太田道灌との戦い

 臼井城は、当地の豪族臼井氏の居城として築かれました。文明11年(1479)には、太田道灌の攻撃によって落城。この際に道灌の甥である太田図書助(ずしょのすけ)が討ち死にしたとされます。
 現在、太田図書の墓が城址公園の西の方に残されています。

上杉謙信との戦い

 その後、臼井氏は没落して城を失い、千葉氏の家臣である原氏が城主となりました。
 永禄9年(1566)、臼井城は関東に侵攻した上杉謙信に包囲されます。この時千葉氏は北条氏に従っていたので、上杉対北条の対立の中で起きた合戦です。
 しかし、上杉軍は大きな損害を出して敗北。謙信に従っていた関東の諸将が離れる結果を招き、上杉氏・北条氏は和睦に至りました。

現在の臼井城

 臼井城址公園は、京成臼井駅から徒歩15分ほどの場所にあります。
 城址公園に入ると、さっそく二の丸を囲む空堀が目に入ります。

 二の丸は広大な平坦地ですが、周縁部に土塁が築かれていたのも見てとれます。

 二の丸を出て西に回ると、かなり深い堀を観察できますが、藪におおわれています。

「上杉謙信を破った名城」なので、もっと整備とPRをしてもいい気がします。前述の「太田図書の墓」はこの付近の土塁上にあります。

 本丸に登っていくとこんな風景。印旛沼に臨む台地を生かしてつくられています。

 本丸東側の斜面はなかなかの迫力です。かつては印旛沼が城のすぐ下にまで迫っていたことを考えると、攻めにくさがわかります。

 本丸と二の丸をつなぐ土橋。本来はもっと細かったのですが、公園整備の際に重機が入る都合上、広げられてしまいました。

宿内砦も訪問したい

 城址公園として残っているのは、広大な城のほんの一部だけです。しかし、京成臼井駅から臼井城址公園に向かう途上には「宿内砦跡」という遺構があります。臼井城の支城であったと考えられます。

曲輪と土塁が残る

 残存度としては高くないのですが、「上杉謙信を撃退した城」として非常に見応えのある城といえます。

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