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大日本帝国の甲子園

    現在、熱闘が繰り広げられている夏の全国高校野球(甲子園)。言うまでもなく、全国の代表校が頂点を競う大会です。

    第1回の大会は1915年で、甲子園球場で行われるようになったのが1924年。長い歴史を持つ大会であり、戦前には今と異なった風景がありました。

    日本は日清戦争により台湾を(1895)、韓国併合により朝鮮を植民地としました(1910)。また、日露戦争後に旅順・大連などをふくむ関東州を中国から租借し、事実上の植民地としていました(1905)。

    1921年の第7回大会で、日本統治下にあった朝鮮と満州の代表がそれぞれ出場を認められました。この大会で、釜山商業はベスト8、大連商業はベスト4まで進んでいます。

    1923年の第9回大会では、初の台湾代表として台北一中が出場しています。また、本大会に出場した徽文普通高等学校は、朝鮮民族のみで構成された最初で最後のチームでした。

    なお、満州代表の最高成績は第12回大会(1926)、大連商業の準優勝(静岡中に1-2で敗北)。台湾代表の最高成績も第17回大会(1931)、嘉義農林学校の準優勝(愛知の中京商業に0-4で敗北)となっています。朝鮮代表の最高成績は前述のベスト8でした。

    その後、大会は第2次世界大戦により1941年~1945年まで中断。敗戦した日本は台湾、朝鮮、満州を放棄したため、これらの地域の出場枠はなくなりました。

    敗戦から約80年が経ち、かつては甲子園に植民地の学校が出ていたことを知る人は少なくなっているのではないでしょうか。甲子園の長い歴史を紐解きながら観戦してみるのもいいかもしれません。


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