戦争まで引き起こした「イエロー・ジャーナリズム」①~センセーショナリズムの起源
【本シリーズのあらすじ】
マスメディアが扇情的な内容で大衆の興味を引く手法は、19世紀末のアメリカで発達した、いわゆる「イエロー・ジャーナリズム」に顕著である。新聞経営者のジョセフ・ピュリッツァーとウィリアム・R・ハーストが苛烈な報道合戦をしたことでも名高い。米西戦争を引き起こしたとまで言われる過熱報道はなぜ生じたのか。センセーショナルな報道手法の歴史もたどりつつ、現代にも通じる教えを探りたい。
古くからあるセンセーショナリズムの手法
マスメディアは、しばしば人目を引くような見出しや内容によって人々の興味をかき立てようとする。マスメディアも営利企業である以上、発行部数や視聴率を伸ばして利益を確保しなければならないため、センセーショナルな情報が世の中にあふれるのは不可避である。現代に生きる私たちも、こうした扇情的な情報とどう付き合うべきか掘り下げて考えてみるべきだろう。
マスメディアが、時に嘘や誇張も交えて大衆を煽るようになったのはいつからだろうか。歴史を紐解くと、メディアの発達と扇情的な報道は不可分だったことがわかる。
古代ローマの「新聞」
例えば、古代ローマには「アクタ・ディウルナ」という官報があり、「世界最古の新聞」とも称されている。ユリウス=カエサルが元老院の議決を広く知らせるために発行を開始したとも伝わる。むろん、印刷技術のない時代だったため、手書きの掲示板のような形態であったと考えられる。
この「アクタ・ディウルナ」は、政治的なニュースだけでなく、結婚・離婚のようなゴシップ記事や犯罪など、かなり俗っぽい話題も扱っていたという。
江戸時代~明治時代の日本にも、瓦版というメディアが人気を博した。その内容は心中のようなゴシップ、怪異譚といった庶民の好奇心を刺激するものが多かった。
人気を博した「ニュース・ブック」
近世~近代のヨーロッパでは、活版印刷技術が発明され、現在のような新聞や雑誌の形態が徐々に発達してくる。16~17世紀には、新聞の直接の祖先といえる印刷物「ニュース・ブック」が見られた。後の新聞と違って、一部につき一つのニュースを扱うため、どうしても人目をひくテーマが好まれる。そのため、殺人などの犯罪や裁判の様子、疫病や災害などが話題の中心となった。
例えば、あるニュース・ブックのタイトルは「リンカンシャーで起きた二人の夫による恐ろしくも非人間的な二件の妻殺し、一件は病気の妻の絞殺、もう一件は殺人および死体遺棄のための放火」である。ニュース・ブックがどのような刊行物だったか、あらかた察しがつくだろう。
次回以降は、いよいよ新聞の歴史をたどりながら本題に入っていきたい。
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