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【書評】乃至政彦「謙信×信長 手取川合戦の真実」(PHP新書)

 上杉謙信が戦った相手といえば、川中島の戦いでの武田信玄がまず思い浮かぶでしょう。織田信長の戦った相手ならば、今川義元や武田勝頼らが出てくるはずです。

 そうした中で、「謙信対信長」の戦いがあったことを知っているのは、ある程度戦国史に詳しい方だと思います。

 それは、天正5年(1577)に加賀で起きた「手取川合戦」です。川中島の戦い、桶狭間の戦い、長篠の戦いなどと比べると知名度は高くありません。

 この戦いでは、上杉謙信の軍勢と、柴田勝家率いる織田氏の遠征軍が激突し、上杉方が勝利したとされます。しかし、一級史料「信長公記」に詳細な記載がないなど、史料が乏しく謎に包まれています。両雄の激突にも関わらず知名度が低いのは、不明点が多いためでしょう。


なぜ謙信と信長が戦ったのか

 本書は、謎が多い「手取川合戦」をテーマとし、独自の見解を多く盛り込んでいます。ただし、本題の手取川合戦の叙述は終章のみで、上杉謙信と織田信長の関係の軌跡がメインに書かれています。

 謙信と信長はもともと対立しておらず、初めは同盟関係にありました。上杉氏は武田氏と敵対しており、織田氏は武田氏を脅威としていたため、利害が一致していたのです。

 しかし、1575年の長篠の戦いで武田勝頼が大敗。共通の敵である武田氏が力を失ったことで、謙信と信長の対立が表面化していきます。

「手取川合戦」の実像

「信長公記」は戦国時代の一級史料ですが、手取川合戦については記述がごっそり抜けており、地名にも矛盾が生じています。それについては、「ある事情」から、著者の太田牛一が記述を濁したのではないか、という推論がなされています。

 また、この合戦が大規模な会戦だったどうかも微妙です。織田軍の出陣目的は、謙信に攻められていた能登の七尾城の救援でした。しかし、遠征登城で七尾城の落城を知って撤退を開始。上杉軍が追撃したことで損害が出た――という流れだったと考えられます。

秀吉は独断で戦線離脱したのか

 また、この合戦では次のような逸話も知られています。羽柴秀吉が総大将の柴田勝家と対立し、独断で帰陣。信長の怒りを買った、というのです。しかし、「信長公記」には秀吉の戦線離脱の理由も書かれておらず、上杉方の史料はむしろ秀吉の善戦を伝えています。

 手取川合戦で秀吉の不始末があったかどうかについて、本書は否定的な見解を述べています。

 謙信と信長というビッグネームの対決ながら、知名度が低い手取川合戦。従来あまりなかった視点から描かれた戦国時代は興味深いものです。

 

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