とみー

木質バイオマスを産業の中心に

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最近の記事

できることが制限されるとできることだけをやるようになるから、不便な環境も悪くないのかなと思います。なんでもできる環境に置かれると何もやらないことになりがち。能力なんかも同じことが言える気がしていて、できないことがあるとそこを補う能力が尖っていくこともあるのかなと。

    • 木材の主成分であるセルロースは分解されるとグルコースになるけど、酸や酵素の力でセルロースを分解して木自体を甘いお菓子にできたりしないんでしょうかね。

      • 自分が特に大切にしているわけでは無い部分でマウントを取られた時に、どうでもいいから別に嫌な気持ちになるわけでは無いが、一応マウントを取ってきている相手の顔を立てないといけないから褒めないといけない。それがマウント対応の面倒くさなんじゃ無いかなと思っています。

        • 研修で島根に来ています。今年は地方の工場に来ることがたくさんありました。 製造の現場に来ると、何が可能で何が不可能なのかが理解できて、本当に良い経験だと感じています。

        できることが制限されるとできることだけをやるようになるから、不便な環境も悪くないのかなと思います。なんでもできる環境に置かれると何もやらないことになりがち。能力なんかも同じことが言える気がしていて、できないことがあるとそこを補う能力が尖っていくこともあるのかなと。

        • 木材の主成分であるセルロースは分解されるとグルコースになるけど、酸や酵素の力でセルロースを分解して木自体を甘いお菓子にできたりしないんでしょうかね。

        • 自分が特に大切にしているわけでは無い部分でマウントを取られた時に、どうでもいいから別に嫌な気持ちになるわけでは無いが、一応マウントを取ってきている相手の顔を立てないといけないから褒めないといけない。それがマウント対応の面倒くさなんじゃ無いかなと思っています。

        • 研修で島根に来ています。今年は地方の工場に来ることがたくさんありました。 製造の現場に来ると、何が可能で何が不可能なのかが理解できて、本当に良い経験だと感じています。

          clubhouse議事録#1 共感に関して(しげ)

          私は真面目な話をするのが結構好きです。 普通に日常生活を過ごしていると、真面目な話をする機会は限られてしまいます。いつも真面目な議論を吹っ掛けると面倒に思われることも多いのかなと思い、自粛している部分があります。 そうした気軽にはできないことでたまった議題を消化する場として、私はこのnote以外に、clubhouseで友人と毎朝交互に議題を持ち寄って様々な話をしています。タイトルの最後の(しげ)は今日の議題を持ち寄った人を表しています。 clubhouseは話し終わった

          clubhouse議事録#1 共感に関して(しげ)

          ズレの重み

          平行な線を引きたいと思ったとします。 2つの線が1cm程度なら2つの線が1°くらいずれてても気になりません。 でも10cmに伸ばした時には全く平行だとは思えない線になっています。 一番手前の部分で間違うと、進めば進むほど目的地とは別の場所に行ってしまうでしょう。 手前の部分が人生に大きな影響をもたらすと考えると、10年後に転職するかどうかよりも、いま1万円を一万円札でおろすのか、千円札10枚で下ろすのかの決断の方が重要かもしれません。 そう考えると、なんでもない日常

          ズレの重み

          新規・へたくそが生きづらい世界

          私は、何事もみんなで楽しくやれたらそれでよいと思っています。 勉強も、スポーツも、ファン活動も、ゲームも。誰もが楽しくやるのが一番だと思っています。 ただ、スポーツの世界ではこのような考えの人は多くないような気がします。私も、声を荒げて様々なことを人に要求したり、逆にたくさん人に罵倒されてきたりして、そんなものだと思ってきました。 人よりも上手であることや経験が長いことでマウントをとりたくなる気持ちはすごくわかります。また、勝ち負けがあって成り立つような勝負の世界もあり

          新規・へたくそが生きづらい世界

          些細な日常をただの思い出で終わらせない

          私は最近、日常から感じたことをスマホのメモアプリに書き留めています。日常の様々なことに目が向くようになると、自分が知っている道理のようなものは本当に限定された世界のものであることを実感します。 具体的には、「日常で自分がとる行動に関して、このようにしたらいいのではないかという仮説」に関して書き留めています。 例えば、研究室の教授とうまく話がかみ合わなかったときは、「自分の意見を言うよりはもう少し教授に話してもらった方が良かったかもしれない」みたいなことを書き留めます。

          些細な日常をただの思い出で終わらせない

          凡人の戦略

          私を含む多くの人間は凡人です。もし何かの才能を持っていたり、圧倒的な努力で何かの能力を得たとしたら、その人はその能力を引っ提げて戦えばよいと思います。 一方で、私のような凡人でも、なんとかして自分のやりたいことをやったり、夢を追いかけていきたいものです。 では才能もなく、人並外れた努力をしてきたわけでもない私のような人間はどうすればよいのか。それは当たり前のことを当たり前にやる事だと思います。 よく、スキルは掛け算といわれます。100人に1人しか持っていないスキルを2つ

          凡人の戦略

          わからないことを「わからない」といえる力

          人から何かを聞かれたときに「わからない」ということができることは大事だと最近感じます。 私はできるだけ「知ったか」をしないようにしています。見栄を張ったり空気を読んだりしてやってしまうこともありますが、基本的に知ったかをして良いことはないと考えています。知ったかをすると議論が前に進まないこと、知ったかをした本人がどんどんつらくなることなどが理由です。 ただ、今回、知ったかが悪であるということを書きたかったわけではありません。逆に、わからないことをわからないと言えることがす

          わからないことを「わからない」といえる力

          コントロール可能なもの

          成功者の本の中で、「コントロールできるものにだけ集中する」という言葉が出てきます。確かに、自分の人生を振り返っても、他人のことなど、コントロールできないものに目を向けている時間は無駄だったなと感じてしまいます。 コントロールできるものに目を向けるためには何が自分にコントロールできるのか、何ができないのかを見極める必要があるわけですが、私はこれができていませんでした。特に、コントロールできないものをコントロールできると勘違いしてしまうことが多くあったように思います。 その原

          コントロール可能なもの

          ひたすら”考える”ことにこだわる理由

          これまで、私のnoteには”考える”という言葉が何度も出てきました。 なぜここまで考えることにこだわるのか。その理由に関して書いてみたいと思います。 そのために、”才能”という言葉の私の解釈を紹介したいと思います。 一言でまとめると、「才能は定性的なものではなく、定量的なものである」ということです。 人によっては当たり前かもしれませんが、解釈をそろえるために、少し例を交えて説明します。 世の中では才能はあるかないかの2つに分けて論じることが多くあります。例えば、「私

          ひたすら”考える”ことにこだわる理由

          言語化では追い付かない壁

          これまで私は、言語化やら目的意識など、思考して何か行動に移すというプロセスを大切にしてきました。ただ、これまでに出会った人の中で圧倒的な結果を残していた人のことを思い出すと、必ずしも考えに考え抜いた結果で戦っているわけではないのではないかと思うようになってきました。 才能が同じであれば、考えている人の方が考えていない人よりもパフォーマンスは高いように思えます。ただ、必ずしもそうではないケースもあるのではないかという問いからこの考えは生まれました。 考えている人も考えていな

          言語化では追い付かない壁

          今の世界は誰が作ったのか

          いつの時代もそうだと思いますが、世代間の考え方の間には違いがあります。とかく、われわれ若い世代はつい年上の人のおかしな言動を見て非難してしまいます。 間違っていることを間違っているということはとても大事なことです。ただ、視野を広く、想像力を豊かに持つことができれば自分の周りの環境はもう少し住みやすいものになるのではないでしょうか。そんなことを書いてみたいと思います。 ほとんどの人は自身の正義を持っていて、それは正しいと思っている人がほとんどです。ゆえにその正義に反する行動

          今の世界は誰が作ったのか

          最先端はどこですか?

          皆さんはそれぞれ頑張っていることがあって、それぞれ専門としていることがあると思います。ただ、どんな分野も一人で走っているわけではなく、広い世界には同じ分野で頑張っている人がたくさんいると思います。 私も自身の研究分野に関しては最先端に触れていなければと思い、新しい論文を読むようにしています。ただ、論文の中に書かれているのは、最先端であるのは間違いないのですが、分岐した末の先端です。それは仕方がないことなのはわかっています。ただ、なんとかその最先端は統合されないのかなと日々思

          最先端はどこですか?

          木は何でできているか(あなた史上最も面白い木の話vol.1)

          今回、私がずっとやりたかったことをやってみたいと思います。 私は木を化学的になんやかんやしていく研究を行っているのですが、正直な話、自身の研究をゴリゴリと前に推し進めることにさほど興味はないんです。 今出ている結果で修士論文を書くこともできなくはないわけで、残りの学生生活でもう少し遊びに時間を使うことはできます。 ではなぜ研究を進めることにあまり興味がないのに、実験をしたり、論文を読んでいるかというと、研究の中で生まれるコミュニケーションには大いに興味があるからです。研

          木は何でできているか(あなた史上最も面白い木の話vol.1)