言語化では追い付かない壁

これまで私は、言語化やら目的意識など、思考して何か行動に移すというプロセスを大切にしてきました。ただ、これまでに出会った人の中で圧倒的な結果を残していた人のことを思い出すと、必ずしも考えに考え抜いた結果で戦っているわけではないのではないかと思うようになってきました。

才能が同じであれば、考えている人の方が考えていない人よりもパフォーマンスは高いように思えます。ただ、必ずしもそうではないケースもあるのではないかという問いからこの考えは生まれました。

考えている人も考えていない人も努力はするという前提に立つと、考えていない人の強みは「なんとなく努力しているうちに思わぬ力がついていた」ということだと思います。

筋トレを例にとって考えてみたいと思います。考えて筋トレをする人と何も考えずに筋トレをする人がいるとします。この二人が上腕二頭筋を鍛えるために筋トレをするとして、考えて筋トレをする人は上腕二頭筋に必要十分に効かせるために20キロの重りを使って正しいフォームで筋トレを行います。一方、考えていない人はなんとなく筋トレをするため、上腕二頭筋に効かせるトレーニングのはずが、周囲の筋肉を使ってしまい、30キロの重りを使って間違ったフォームで筋トレを行います。

もちろん、上腕二頭筋を効率よく鍛えられるのは考えている人です。ただ、考えていない人も同じように努力しているので、いつの間にか鍛えれる筋肉が存在しているかもしれません。その知らぬ間に鍛えられていた筋肉がどこかで圧倒的なパフォーマンスを出すカギになる可能性があります。ただ、考えていない人はいつの間にか鍛えられていた筋肉の存在を知らないため、後々どうしてそんなに強いのかを聞かれても答えられません。

私がこれまで出会った、圧倒的にパフォーマンスが高いにもかかわらずあまり深く物事を考えていないように見える人はこういったところで差をつけていたのかもしれません。

確かに、個々の事例に一つ一つ対応するのは、一つ一つ考えて言語化によって対処した方が良い解決につながるでしょう。ただ、全ての問題に対して深く考えていくことは無理があります。

そこで、それぞれの問題をまとめて解決できるような方法が求められるわけですが、そういう戦いになると、言語化して物事に対応する人よりも、なんとなくのセンスで問題に対処する人の方が、有利になりそうです。なぜなら、あらゆる問題をまとめて解決するのは、あまりに複雑なプロセスを踏むからです。つまり、言語化では追い付かないのです。

このことから、私はどのようにして生きればよいのかを考えました。それはあえて何も考えずになにかやってみるということです。そうすると、思わぬところで解決の糸口が見えるかもしれません。そこまで立ち回りを設計している人はセンスのある人にも負けないようになるのではないでしょうか。

補足
最終的な結論も私が”考えて”出したものです。何も考えずにセンスで突っ走る人が強い理由も私が”考えた”考察です。センスのある人が強い理由は私のような凡人が思いもしないところにある可能性もあるわけです。ゆえに、本当に強い立ち回りはセンスを磨くということかもしれません。あまりにざっくりとした結論になったため、補足として書かせていただきました。

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