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【遺産相続】 統失2級男が書いた超ショート小説

中田竜一は小学2年の3学期からずっと番長をやっていた。その為かなり横暴な立ち振る舞いで学校生活を送っていたが、中学2年の時、友人のスマホで海外の拷問動画を複数件見てしまい(世間には、こんなにも恐ろしい人間が沢山居る、俺はこれから謙虚に生きて行こう)と考えを改めるに至っていた。高校に入学すると喧嘩を売って来る同級生も居たが、余りやり過ぎない事を心掛けて闘い、難なく勝利を収めていた。

令和8年、竜一は27歳になっていた。本格的に蒸し暑くなり始めた7月のとある日、竜一が勤務先から1人暮らしのマンションに帰宅すると亀山晴美なる人物から手紙が届いていた。亀山という姓に覚えはあったが、晴美という名は知らなかった。宛先が自分の物である事をもう一度確認して封を切る。『拝啓、突然のお手紙失礼致します。私は中田竜一様の異母兄妹に当たる妹の亀山晴美という者です。この度、中田様に大事なお知らせがあり急いで筆を取る事となりました。去る4月
27日、私と中田様の父親である亀山慎也が交通事故に会い他界致しました。享年64歳でした。今回、中田様のお住まいを調べる迄に時間が掛かり、父の葬儀へ中田様に御出席頂く事が叶わなかった事を大変残念に思っております。その父の事でございますが、父は遺産と保険金を私の母、私、中田様に残しておりました。つきましてはその事で中田様とお話したいと考えております。下記の私の電話番号まで、お電話頂けると助かります。それではお体には御自愛下さいませ。敬具』これが手紙の内容だった。戸籍謄本でしか知らなかった父親が2か月前に死んでいた。4年前には母親も乳がんで死んでいたので、竜一はこれで両親を失った事になる。竜一の心を何とも言えぬ感情が支配した。竜一が3歳の時に母親と離婚し竜一が20歳になるまで毎月15万円の養育費を振り込み続けた父。3歳までしか共に暮らしてなかったので、当然ながら顔も声も覚えていない。心の整理が付かない竜一はまだ見ぬ妹に電話を掛ける気にもなれず、その晩はシャワーは浴びたが夕食は取らず寝てしまった。

4日後の土曜日、竜一は福岡に向かう新幹線の中に居た。晴美と面会し父親の墓参りをする為だ。竜一はずっと1人っ子で育って来た。だから兄妹という物の感覚が丸で分からない。まだ見ぬ妹、母の違う妹。その妹との面会がこんなにも気を張るものなのか、竜一は自分らしくもない繊細な感情の存在に驚きを覚えていた。面会場所は北九州市にあるホテルのラウンジだった。

ラウンジに客は多かったがソファーに座る晴美の事は直ぐに見付ける事が出来た。事前の画像送信で互いの顔は確認済みだった。晴美の前に立ち「中田竜一です」と挨拶すると、晴美も立ち上がり「亀山晴美です」と挨拶を返して来た。着席後、先に口を開いたのは晴美だった。「そっくりです、竜一さんの顔は余り父とは似ていませんが、声は若い頃の父にそっくりです。やっぱり血が繋がっているのですね、あっ、それでもよく見ると鼻の形も父の鼻と共通しているように見えます」晴美は朗らかに話す。「そうですか、血は争えないものですね」竜一も笑顔で返す。「父から竜一さんの事を始めて聞いたのは高校1年の時でした。『お前には母親の違う兄が居る』と父はテレビで野球観戦しながらいきなり言い出したのです。私は勿論、驚きました。そして父に『兄に会ってみたい』と申し出ました。しかし父は『相手に迷惑が掛かるから駄目だ』と言うのです」「迷惑とは?」竜一が尋ねると晴美は真剣な表情になり「スマホで『亀山慎也 北九州市』で検索してみて下さい」と言った。竜一は昔から亀山慎也という名は知っていたが、母親と自分の元から去って行った父親の名をネット検索する気にもなれず、それまでその様な事は1度もして来なかった。しかし晴美の申し出を拒む訳にも行かず、竜一は言われた通りに検索してみる。すると『指定暴力団誠心亀山会、会長亀山慎也』と出て来た。

竜一は父親の自宅であった不動産の相続は放棄し、遺産として相続税を差し引いた1億8千万円、死亡保険金として2千万円を受け取った。(父親の葬式には多くのヤクザが出席したのだろう、晴美はそれを腹違いの兄に見せるのが嫌で訃報を遅らせたのかも知れない。俺の父親はヤクザだった。遺産の金も人々を苦しませて稼いだ金だろうし、保険金の掛け金に使った金も汚れた金だ、俺はそんな金を使っても良いものか)竜一は葛藤の中にあった。竜一は人並みには物欲を抱える男ではあったが、同時に規範意識の高い男でもあった。竜一は2億円の事で2年間も思い悩んだ。その結果、導き出した金の使い方は信仰する宗教団体に全額献金する事だった。躊躇する心もあったが、これが最善の金の使い方だと自分に言い聞かせて献金した。2億円を献金した影響もあってか竜一は4年後には教団の中堅幹部である岡山県支部長補佐になっていた。信仰心が強く弁舌が優れていた竜一は、教団信者たちからの信頼も厚く多額の献金を集める事にも成功していた。竜一は教団内でその後も順調に出世を続け信者の女性とも結婚し2人の子供を設けていた。正に我が世の春だった。

その日、竜一はいつもの日曜日と同じく教団施設で説法を行っていた。30分を超える説法を終え近くの自宅まで徒歩で帰宅していると、後方から走って近付いて来る人間の足音が聞こえて来た。それを気にも留めず歩き続けていた矢先、竜一は背中に人が衝突する感覚と焼ける様な痛みを感じた。そして2度目の同等の焼ける様な痛みを感じた後、痛みを堪えて振り返ると1人の若い男がナイフを持ち鬼気迫る顔で立っていた。(刺された)状況を理解した竜一は男からナイフを取り上げようとする、しかし手に力が入らない。竜一と男は揉み合いになるが、抵抗も虚しく竜一は次に腹を3回刺されてしまった。アスファルトの上に崩れ落ち横たわった竜一は強烈な痛みの中で(こんなに刺されては、これはもう助からんかも知れんな)と心の声で呟いた。その傍らでは返り血でシャツを真っ赤に染めた男がナイフを片手に胡座をかき、動かなくなった竜一を静かな表情で眺めていた。竜一の43年の短い生涯は救急車の中で終わりを遂げた。犯人は竜一を介した教団への献金によって破産した女性信者の息子だった。辛い言い方になりますが、もしかすると竜一は謙虚さを少し忘れていたのかも知れません。

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