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竹内孝治|マイホームの文化史
2019年8月7日 04:45
広島というところは死んだ人のゆくところでもあったようだ。人が死ぬとあの爺さんも広島へたばこを買いにいったげな。とうわさするものがあった。広島という土地は一つの幻想の世界だったのである。 宮本常一(*1)内田祥文が行く長崎敗戦から間もない1945年11月(*2)、東京帝国大学講師・内田祥文(図1)は、朝の急行で長崎へと向かいます。図1 内田祥文同行するのは東大助教授M氏、鉄道官Y氏のほか