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シリーズFILE 2.西脇唯編〜アニメ・ゲーム主題歌を歌う「歌姫たち」からの影響の受け方。

といふことでFILE 1.加藤いづみ編とガイドラインを
語った上で二回目へとぼちぼち入りましょうか。

アニメ・ゲーム主題歌を歌う「歌姫たち」からの影響の受け方。
〜シリーズFILE 1.加藤いづみ編〜|torov|note

酔いはそこそこに醒めたとして、2月あたまの近況報告と
ひとまずの「歌姫たち」からの影響の受け方ガイドライン
を敷いてから寝ることにする。|torov|note

まあ大元のベースにしようと思った記事は、私も
かつてコメント参加してた(但しここのコメントの通り
出自の問題でtorovではないHNで参加してるけど)
こちらの記事をベースにして幾つかつらつら書けや
しないかと、といふことで。

でも今回採り上げるのはスタジオミュージシャンと
クリエイターとしてのお仕事を兼ねていたタイプだった
ので事績が隠れて名前を挙げられなかった人をあえて
ここに持ってくる、と。

ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜 · 森口博子
公式出来たから使え、ってんならただ消さずに誘導せえ。

つべに西脇唯がセルフカバーしているバージョンが
あるのか。


1990年代前後のシンガーソングライターはやはりこの
時期に様々な形で苦労していましたが、ソースが
画定してないけどラジオか何かできっかり経緯は
聴いたよな、な案件でこの表のときには進言しなかった、
けど重要なのがまあ西脇唯さんかなと。

 森口博子が珍しくキングレコードではなくスター
チャイルドレーベルから「F91」の主題歌を出した
時に曲を作った人の仮歌(デモテープ)がすごく
良かった、と評価されてそれが西脇唯さん個人としての
本格デビューに繋がった、って流れだったかと思う。
(一応論拠と元ソースは見つかった。トリビア流行った
頃にアニメのトリビア載せるページと掲示板が
あって、そこに元ソースを提示してた。なんでも
西脇唯が林原めぐみのラジオに出てた回があり、
(なので、ハートフルではなくTBN(Tokyo Boogie Night)
ではないかと)そこでデビュー(キングでデビュー)の
きっかけを語っていたようで)

件の案件に今載せるとすれば1990年の「風の大陸」
主題歌が実質デビューなのでかなりデビューは早い。


あしたも♡ともだち 西脇唯

旧ドラとも呼ばれる(私の区分だと『ドラえもん(3)』
末期のEDでにしわきゆい名義)時に隠れた名曲として
こんな曲もある。

「この人を悼む」シリーズ・3回目は
たてかべ和也氏。(2015年6月18日没)|torov|note

 ただこの当初から『ドラえもん』の楽曲制作などを
含めテレビ朝日ミュージックとのズブズブな感じを
匂わせていたのと、一緒くたにやらかされて結局
誰も幸せになれなかったレコード会社シャッフルに
巻き込まれたことでなかなか表に出られなくなって
しまったのもまた西脇唯さんなのかな、って感触が
ある。
(以前言及した経験もあるのだけど、スタチャから
ワーナーミュージックへの移籍で結果的にTWO-MIX、
西脇唯、引退直前まで行ったけどこの人は逆方向で
スタチャに行った奥井亜紀とかがみんなその後
上手く楽曲をリリース出来なくなるトラブルに遭う、
だっけ)


ワーナー移籍後で印象があるのはこの主題歌あたりか。

あちこちに死相が出まくっている(特にキャストと
キャスティング)金田一少年の事件簿EDか。
演出の人も私は苦手。『ドラゴンボール』も『ペド』
も立ち上げたのが東映のこの人だったからどちらも
シリーズ全体を好きにはなれなくてね。
もう島田満(脚本)も亡くなっていないんだよな。
西脇唯ワーナー時代の佳曲「はてしなく青い空を見た」
でした。

 結局クリエイターとしての守備範囲が広過ぎて、
逆に今西脇唯で拾っていくと必ず何かがこぼれて
しまうくらいの「テレ朝的スピード感」を持ち合わせた
アーティストでありクリエイターだったのが、
西脇唯さんだったような気がします。
 シリーズFILE 2.西脇唯編〜でした。

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