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とろろの気づき

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とろろ99の何気ない気づきや思いつきをまとめています。
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飲み屋の印象が変わった話

飲み屋の印象が変わった話

最近、簡単なゲーム配信をしているんだけど、同居人が居るということで、あまり大きな声を上げられない。

そして今日職場で忘年会の話が出てきた。
忘年会といえば特別なことがない限り、いわゆる飲み屋(お酒が飲めるお店)になると思う。

そしてその話を聞きながらふと思ったんだよね、飲み屋ってお酒や会話を楽しめる場所だとずっと思っていたけど(他人に迷惑にならない程度に)大きな声をあげることが許される場所なん

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【気づき】メモした情報との付き合い方について

【気づき】メモした情報との付き合い方について

手書きのメモをスキャンしまくっていた時にふと思いました。

「見返さないのであれば、(存在している‪)‬意味が無い」

という考えに則った場合、

そこに「アナログ」も「デジタル」もないよなぁ…と思った。

デジタル化は検索しやすいけど、 それって【「探し物が在ることがわかっている」+「見返そうとしている」】という式が成り立ってこそだよなぁ…と思いました。

以上、今日の気づきでした。

【今日の気づき】
PC周りは机の向きを変えるだけで配線がめんどくさい。

終わり!

昔からの友人たちと年々気兼ねなく話しにくくなってくるのって「歳を重ねたから」だと思っていたけど、実際は単純に「会う頻度が減ったから」なんじゃないかと思った。

ただ単に「どこまで踏み込んで意見を言って(いじっても)いいか‪」の距離感が曖昧になるだけだと思ったのでした。

終わり

断捨離して腑に落ちたこと ・ 気づいたこと。

断捨離して腑に落ちたこと ・ 気づいたこと。

3ヶ月ぶりくらいに部屋の片付け(断捨離)の続きをした。

無性に身軽になりたい気分だったので結構ガッツリやったけど、主にクローゼットの中を行ったので部屋の見た目はあまり変わらず…。

でも片付けをしたという実感は確かにあって少し身軽になった気分…。

今回断捨離をやっていて気づいたことがある。

それは、どんなに高性能な良い道具であっても、道具はあくまで道具なんだなってこと…。

主体である僕の方

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いつもリラックスしたい気持ちと自己研鑽しなけれはという気持ちがせめぎ合っている。

ただ最近自分の『自己研鑽 = 辛いこと』って感じ方に違和感を覚え始めている。

もう少し楽しく、肩の力を抜いてやってみても良いのではないか?

もしかしたら今が大きな転換点なのかもしれない。

自分なりのメモの作り方がみつかった話。

自分なりのメモの作り方がみつかった話。

ここ数日いろんなメモの取り方やアプリを実際に試していました。

色々な方法を考えることはあっても、使い勝手を試してみることは圧倒的に少なかったので、気づくこともたくさんありました。

noteでメモについての記事をいくつか読んだことも助けになりました。

知っている人は知っているだろうし当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど、僕にとっては探し求めていた答えなので、やっと見つかったという感じです

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文字起こしアプリ『Notta』を使ってみて。

文字起こしアプリ『Notta』を使ってみて。

テキスト化された文章の編集・修正作業に「テキスト化前のボイス」を聞きながら行えるのがこんなにやりやすいものだとは思わなかった。

ただ、短文を打ち込んだりする場合は、素直にiPhoneの音声入力機能やGoogle音声入力を使った方が勝手が良さそう。

「音声をテキスト化する」と一言で言っても、そのアプローチには思っている以上に使い分けがあるんだと感じた。

次はMacBookの標準の音声入力(認識

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僕が「音声入力」に食指が動かなかった理由考察。

僕が「音声入力」に食指が動かなかった理由考察。

iPhoneの音声入力・Google音声入力・Nottaなどの『文字起こし』ソフト…。

「声をメモの手段とする」という行為に対して、自分の食指が動かなかった理由がわかった気がしたので、書き出すことにする。

以下、理由。

周りに人が居ると恥ずかしい(音声のみ・テキスト化)

後から見返しにくい(音声のみ)

音声の誤認識が多くて編集・修正がめんどくさい(テキスト化)

一言に「音声入力」といっ

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自分が成長の為にやりたいことがたくさんある。

「でも平日夜はもう頭が疲れ切っていて何もできない…」

…といつも思っていた。

けれど「だったら思考停止状態でもできるくらい簡単な事だけしてみよう」と、ふと思った。

上手く運用できるかわからないけど、現状打破に繋がると嬉しい。

日常を旅する。

日常を旅する。

すごく大雑把に捉えるなら、旅行っていうのは、いつもとは違う大地や空気や文化に触れて非日常を楽しむことだと思っています。

ならば、
時間軸をずらして、
いつもと『全く同じ道』をドライブして、
そこに非日常を感じれば、
それはもう一種の旅行だよね。

……と、5時間ほど前に通った帰宅ルートを走りながらふと思ったのでした。

メジャーなやり方かもしれないけど、スマホやPCに書く前に、紙に殴り書きするとすごく楽で良い。

何かを記憶しようとするとき、既存の知識を自分なりに抽象化する過程がある。

最近、この抽象化の過程で自分の感覚に身を委ねてしまってもいいものなのかふと迷う時がある。

もしかしたらこれは新しい気づきの兆候なのかもしれない。