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大河「いだてん」の分析【第43話の分析】 “スカルノ大統領と東西冷戦”に巻き込まれる田畑の運命

いだてん全話の感想と分析を書きためているブログです。
今回は第43話『ヘルプ』について書きます。
時は1962年、東京オリンピックまであと2年。準備は着々と進む中、田畑らはインドネシアで開催される『アジア競技大会』へと旅立った。

〜あらすじ〜
開催まで2年。国民のオリンピック熱は盛り上がりに欠けていた。テレビ寄席の「オリンピック噺ばなし」に目を付けた田畑(阿部サダヲ)は五りん(神木隆之介)を呼び、広告塔に任命する。組織委員会では準備が本格化。アジア各都市を回る聖火リレーの最終ランナーの候補に金栗四三(中村勘九郎)が浮上する。田畑はジャカルタで開催されるアジア大会を席巻せっけんし、五輪開催にむけ勢いをつけようともくろむが、開幕直前に大問題が発生する。

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1、戦争は“終わって”なんかいなかった

前回の第42話を見て、当ブログで私は、池田勇人首相が出てきたことに触れて「スポーツと政治は別物というけれど、一番の問題だった戦争も終わったし、“戦争に利用されるスポーツ”はひと段落したのでは?」「戦前の嘉納治五郎のいた時代からは政治の役割も変わって、国民の所得倍増計画も推進され、政治がリードする“経済”という面にはスポーツもうまく協力関係を築いていくべきでは?」というトーンで書いた。

今回、第43話を視聴して、一番はじめに思ったのは、“戦争は終わってなんていなかった”という事だ。

日本国内のみで考えると、日本は敗戦国として直接的に戦争に踏み出す権利も軍隊も1945年に失っている。“戦前と戦後”という言葉も一般的に浸透し、1945年を節目として“戦争のない環境”であると言える。国内においては。

でもオリンピックは“国際”舞台だ。

東京オリンピックの前哨戦として田畑たち日本代表選手一行が渡航した『アジア競技大会』の開催国インドネシアが、中華民国(台湾)とイスラエルの選手を入国拒否しているという。これはインドネシアが外交上同盟関係にある“中国とアラブ諸国”に配慮して、“敵対する国を締め出した”というわけだ。

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中国と台湾は揉めていて、アラブ諸国とイスラエルは揉めているからである。

これはよくない。
まさに、“政治の都合”で、スポーツ選手が“スポーツをする権利を剥奪”されている。
政治がスポーツに“介入”してしまっているし、スポーツで保たれるべき“平等性や平和主義”を失っている。

なぜインドネシアが“締め出し”を実行するのか。
それはまだ世界中で戦争が続いているからだ。
“冷戦”だ。

2、“国父スカルノ”と“東西冷戦”について

この時のインドネシアの指導者は、スカルノ大統領である。

日本だと妻のデヴィ夫人ばかりが有名で夫のスカルノの偉業がクローズアップされないが、スカルノとは“インドネシアの独立”における中心人物。スカルノなくして“インドネシアの独立はなし得なかった”という国父だ。そして初代大統領。

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インドネシアは長くオランダの植民地だったが、スカルノは1920〜1930年代にかけて反植民地運動を自ら起こし国民をリーダーシップし、1940年代には第二次世界大戦下でオランダがドイツに占領されたりインドネシア本土が日本軍に制圧されたりした隙間を縫って、独立宣言。その後の独立戦争を経て、1950年にはついにインドネシアが独立国家としての建国を成し遂げた

スカルノが独立をなしえた過程には“アメリカを中心とした西側諸国の支援”も大きく、良好な関係を続けていたが、マレーシア建国などの歴史的背景でわだかまりが産まれたりした末、スカルノは1960年代以降は親中施策(つまり共産圏との親密関係)に大きく舵を切った

この頃、世界では、
西側と東側、民主主義圏と共産主義圏といった対立構造、つまりアメリカ対ロシアを中心とした“冷戦”が熱を帯びていた。
大国同士の直接的な戦争はなくとも、経済や技術や国力を競い合ったり、朝鮮やベトナムでは代理戦争が行われたりもした。

1990年前後に、ベルリンの壁が壊されソ連が解体した歴史を見終えた今となってはわかりにくいが、この1960年代頃は“西側と東側の力関係は拮抗”し、世界中がピリピリとしていた。

『アジア競技大会』が開かれたのは、まさにその頃の出来事だったのである。

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3、政治の怖さ、政治の強さ

田畑たちはアジア競技大会の当日朝になっても、出場するかしないか決断がつかない。

いろいろ細かな事はあるが、決断を迷ってる要素をまとめると以下だ。

◆出場する理由
・スポーツと政治は別物。選手の練習努力を国際政治の影響によって奪われてはならない。
・日本が出場辞退すると事実上、大会自体が中止に。大変な準備をしてきたインドネシア国民が強い反日感情を持つ恐れ

◆辞退する理由
・IOCが認可しない大会にでたら、2年後の東京オリンピック開催国権利を剥奪されるかもしれない。
・出場したことがのちに国際問題化したり、責任をとり辞任する事になる可能性。


裏では、川島正次郎(浅野忠信)が不気味に暗躍している。
田畑が“津島会長おろし”を企てていると触れ回り、津島派の政治家たちからの反感が田畑に集まるよう仕向けている。“田畑はオリンピックを私物化したがっている”と印象を植えつけて回る。
スカルノ大統領と親密な外交関係を持ち、ふたりきりで食事会をしているシーンが流れる。川島を通じてインドネシアにお金が流れている事がうかがえるセリフ。

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川島は、
インドネシアが特定の国を入国拒否すると、あらかじめ認識していたの“かも”しれない。
日本選手団が飛び立ったのを見届けてから、その事実を報道各社に情報リークしたの“かも”しれない。
ボイコット国が増えすぎてスカルノが焦って入国拒否をとりやめる判断をしないよう「日本は出場させるので大会開催は問題ない」とスカルノに耳打ちしたの“かも”しれない。
津島と田畑は意見の対立が続き当日朝方になってもたぶん決めきれず、疲れているタイミングで宿舎にいってあおれば、田畑が興奮して出場の決断をするだろうと読んでいたの“かも”しれない。

川島の行動や考えはいずれもフィクションだ。
深読みしなければ飄々としているだけの男だが、考えてみればみるほど、川島を中心に話しが転がっているようにも感じられるのである。


それにしても、だ。

アジア競技大会の出場可否は、判断が遅すぎたし、根回しができなさすぎた。
ただ迷っているだけにみえた。時間だけが無駄に過ぎていた。

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田畑の弱み、国際経験の少なさ、がここに描かれたのだと思う。
嘉納治五郎のグローバルリーダーシップがあれば、もう一歩動きが早かったように思う。田畑が迷った末に額縁の中の肖像画治五郎に尋ねてしまうところからも、自己判断への自信も陰っているのがわかる。

川島に、そこを突かれたのだ。
しかし、その弱点は“真実”でもある。
もしも川島が今回の引率の主導者なら、こんなトラブルには見舞われなかったとも思える。未然に防げさえできたかもしれない。

政治とオリンピックは別物であるべきである。
しかし、それは“政治を無視してよい”と言う事ではないのだろう。政治と一定の距離をとるためには、政治をも巻き込むチカラがいる。それができなければ“オリンピックは政治に飲み込まれるだけ”である。
政治の怖さとともに、政治の重要性が示された、そう感じさせる第43話であった。

(おわり)
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