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大河「いだてん」の分析 no.8 【前編】自転車節の意訳と、軍歌「敵は幾万」の熱狂の怖さ


1話ずつ、5つの要素をとりあげて分析と感想を書いています。
今回の記事は【第8話 敵は幾万】について。
前編・後編に分けました。

【後編】や他の回についてはこちら↓

あらすじ(NHKホームページより)
大金を携えて上京してきた兄・実次(中村獅童)から、春野スヤ(綾瀬はるか)の働きかけで資金を得られたと知る四三。スヤと無邪気に野山を駆けていた自分が、オリンピックのために海を渡る不思議さを感じつつ、兄に一生懸命戦うことを誓う。四三の壮行会が開かれるころ、スヤは熊本で嫁入りをする。見送る大勢の人々の「敵は幾万」の歌に包まれ、オリンピックに出陣する四三と弥彦(生田斗真)。まさに汽車が動こうとしたとき、弥彦の名を叫ぶ声がする。

1、自転車節の意訳

綾瀬はるか演じる春野スヤに、金栗四三は淡い恋心を抱いている。しかしもともとの家柄の差もある上に、四三は奥手だし、叶わぬ恋である。
しかも兄からは「熊本に戻るとすぐスヤさんの祝言(結婚式)に出席する」と聞かされる。

春野スヤが、四三の渡航滞在費のために奔走してくれたと聞き、御礼を言いたくて四三は筆をとるが、書き進めることができない。スヤが結婚してしまうことに四三は悲しんでいる。

スヤもまた、四三のことが気になっている。だから渡航費の協力はどうしてもしたかった。秘めたる両思い。

スヤとの思い出は段々畑。走る四三をスヤが自転車で追いかけながら、いつも『自転車節』を歌ってくれた。
スヤをことを想う時、四三はいつも『自転車節』を思い出す。「東京でも歌うからね」とスヤと約束した『自転車節』。

ストックホルム出発前日、宿舎での金栗四三壮行会の締めの挨拶で、四三は『自転車節』を大声で歌う。日本で過ごす最後の夜。
歌う四三の映像に重なるようにして、「熊本のスヤの祝言の行列」の映像がオーバーラップする

思い出の段々畑を白無垢姿で歩くスヤは美しい。
どことなく、迷いを感じさせる表情を浮かべたスヤ。
遠く、東京と熊本、ふたりの視線が交差する。

『自転車節』は実在する流行小唄で、
明治後半に東京で流行った『ハイカラ節』の替え歌のようなものらしい。

ここで『自転車節』の歌詞を転載しておこう。
四三とスヤの遠距離恋愛を歌詞にしたかのようで、四三が力の限り歌うとグッとくる。
熊本弁の歌詞で意味がわかりにくいため、ざっくり大胆に私が意訳したものを()で示す。

『熊本自転車節』 (意訳 miyamoto maru)
逢いたかばってん逢われんたい
たった一目でよかばってん
(逢いたいのに逢えないよ、たった一目でいいから逢いたい)

あの山一丁越すとしゃが
彦しゃんのおらす村ばってん
(あの山を越えた遠い町で、あの人は暮らしている)

今朝も今朝とて田のくろで
好かん男に口説かれて
(今朝もあぜ道で、あなたとは違う人に告白された)

ほんに彦しゃんのおらすなら
こぎゃん腹も立つみゃあばってん
(あなたさえそばにいてくれたら、こんなに悩んだりしないのに)

千代八千代
どうしたもんじゃろかい
(いついつまでも、私はどうしたらいいだろう)

三三九度の盃事をする、スヤが映される。
義理の母の大竹しのぶがそれを見ているのが映る。義母は、スヤに別の慕う相手がいることになんとなく勘づいているのかもしれない。

2、「敵は幾万」の熱狂の先

第8話のタイトルは『敵は幾万』。
これは、歌のタイトルである。
ストックホルムへ出発するオリンピック団を祝福するために新橋駅で高らかに歌われたと、新聞に載った記事にある。
ナレーションの志ん生によって、当時の新聞の一部が抜粋されていたので書き起こしておく。

汽笛にわかに起こり
高師生徒などが
声を限りに歌う「敵は幾万」。
金栗、三島、大森夫妻のために、
万歳、万歳。

ここでも「新聞」。
前回の第7話で、熊本の金栗家の家族たちが、四三がオリンピックに出るのを応援してやりたいと心情が180度切り替わったのも、「新聞」が大きく影響したと分析した。

1910年代はまさに「新聞」の影響力がぐんぐん強まってきていた時代だ。
新聞普及のターニングポイントは日清日露戦争で、国民は新聞を通じて戦争の勝敗を見守った。
この時代、唯一のマスメディアが新聞で、セカンドオピニオンになるような他のマス情報がない。遠く離れた場所で起こった情報や事件は、新聞報道を頼るしかない。
この時代に蓄えられた新聞の影響力と権威が、大東亜戦争のフェイクニュースの温床にもなっていく。

それと『敵は幾万』。
この「軍歌」は、歴史上、大東亜戦争とゆかりが深い。wikipediaにはこうある。

太平洋戦争(大東亜戦争)時の大本営発表の戦勝発表の際、前後で流された。

「大本営発表」というのは、戦況状況報告のことである。こちらもwikipediaより。

大本営発表とは、太平洋戦争(大東亜戦争)において、日本の大本営が行った戦況の公式発表である。初期は割合正確だったが、作戦が頓挫した珊瑚海海戦(1942年5月)の発表から戦果の水増しが始まり、以降は戦況の悪化に関わらず、虚偽の発表を行なった。

しかし、この1912年当時の学生たちが『敵は幾万』を歌ったことに政治的な思惑はなく、純粋な応援歌として歌われただけだと思われる。先述のwikipediaにもこうある。

早稲田大学の応援歌に、これの替え歌として『敵塁如何に』(1905年制定)があるが、現在は使用されていない。

新聞も、軍歌も、新橋の応援団も、1912年当時はただ純粋にオリンピック団を祝福しているだけである。戦うのなら勝つよう応援したい。それだけである。

それでも、じんわりと、この後にはじまる戦争の匂いがにじみ出ている。キーワードがそろいつつある。オリンピック団出発の熱狂の先に、戦争への出国の熱狂がオーバーラップする。

いずれ『いだてん』の中でも、この「1912年の新橋」と対比する「1944年の新橋」が描かれることだろう。
我々はその“熱狂の行く先の恐ろしさ”を見ておくべきなのだ。
フェイクニュースがとりだたされる2019年の現代も、まったく他人事ではない。

(後編に続く)


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