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大河「麒麟がくる」の分析【第4回の感想】 登場人物の戦国武将たちは今いくつなのか? (1548年 小豆坂の戦いの頃)

大河ドラマ「麒麟がくる」第4回『尾張潜入指令』(2020.02.09放送)では、1548年の「小豆坂の戦い」がはじまり、織田と今川の争いが勃発。

〜あらすじ〜
今川との戦いで尾張の信秀(高橋克典)は瀕死の重傷を負う。その知らせを受けた道三(本木雅弘)は、妻の治療を終え今度は尾張へ向かうという東庵(堺 正章)に、天敵・信秀の容態を秘密裏に探るように命じた。その目付け役に任命される光秀(長谷川博己)。菊丸(岡村隆史)もお供に加わり、三人は尾張・古渡城へ潜入。信秀の情報をうまく聞き出すことに成功するが…。


明智光秀は尾張国で身分を偽り潜入中、“幼少期の徳川家康”にばったり出会う。幼名は“竹千代”。とても幼い。なぜ竹千代が尾張国に居るのか。NHK公式番組サイトにこうまとめられている。転載。

このころ今川義元が絶頂のころで、三河の岡崎城主・松平広忠(竹千代の父)は織田信秀による三河進攻で今川氏へ加勢を乞うも、見返りに竹千代を人質として要求され、6歳になった嫡男・竹千代を駿府に送った。しかし、その途中で田原城の城主・戸田康光の裏切りによって織田側に引き渡されてしまったという。竹千代を手に入れた織田側は再三広忠を脅すが、広忠は今川への従属を貫き要求に応じなかったため、竹千代はそのまま尾張に留め置かれている。

家康の過酷な幼少期のはじまりだ。幼い頃の家康は、転々とあちこちの大名の人質となる悲痛な運命。ばったり出会った光秀には「母上のもとに逃してくれ」と懇願した。

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このシーンを見ていて、私に戦国武将の世代感覚がないから、「あれっ、家康と光秀ってこんなに歳離れてたんだっけ?」と気になったので、調べなおしてみることにした。
1548年の時点で、「麒麟がくる」の主要な登場人物たちは何歳なのか。

1548年当時の年齢(年齢順)
斎藤道三 55歳 1494-1556年(63歳没)
織田信秀 38歳 1511-1552年(42歳没)
明智光秀 21歳 1528-1582年(55歳没)
織田信長 15歳 1534-1582年(49歳没)
豊臣秀吉 12歳 1537-1598年(62歳没)
徳川家康 6歳 1543-1616年(73歳没)

光秀と家康は15歳も離れている。一回り以上だ。
この時点での家康は若干6歳、母親が恋しいのも当然といえる。

信長と比べても、明智光秀のほうが6歳も年上。秀吉よりは9歳も年上。

これをみて「演じる役者の実年齢の上下関係」とはずいぶん違うんだなとあらためて思った。比較してみよう。

長谷川博己 1977年生 42歳 (明智光秀 21歳)
染谷将太 1992年生 27歳 (織田信長 15歳)
佐々木蔵之介 1968年生 52歳 (豊臣秀吉 12歳)
風間俊介 1983年生 36歳 (徳川家康 6歳)

光秀・信長・秀吉は歳が離れているとは言ってもある程度“同世代”といえるけど、演者のほうは世代さえも全然違う。信長が歳下すぎるというか、秀吉が年上すぎるというか。
でもまあ、わざわざこうしているのには制作者たちの意図もあるのだろう。楽しみにしておこう。

(おわり)
※他の回の感想分析はこちら↓


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