映画感想 ファンタスティック・ビースト2 黒い魔法使いの誕生
えーっと……これ、どういうことだ?
ある日、Netflixでこの作品が配信されていた。「見た作品だよな」と思って一応確認すると……あ、見てなかった。そうか、『ファンタスティック・ビースト』の2作目ってまだ見てなかったんだ。
ご存じ『ハリー・ポッター』映画シリーズ10作目。ハリー・ポッターたちの活躍からおよそ70年前に起きた出来事が描かれる。魔法生物学者ニュート・スキャマンダーを主人公に据えた『ファンタスティック・ビースト』シリーズ第2作目である。
脚本は原作者であるJ・K・ローリング。監督は後期『ハリー・ポッター』シリーズを指揮したデヴィッド・イェーツ。
本作の興業成績だけど、残念ながらシリーズ最低のオープニング記録となった。週末まで勢いは続かず、興行記録は61%まで下落。制作費2億ドルに対し、6億5400万稼ぎだし、並の映画よりも稼いだとは言えるけど、『ハリー・ポッター』シリーズとしてはやや厳しい数字となってしまった。
評判はさらに厳しく、映画批評集積サイトRotten Tomatoesによれば肯定評価36%。平均点は10点満点中5.3点……残念ながらかなり低めの評価となっている。
ストーリー前半パート
とりあえず、前半のストーリーを見てみよう。
1927年。イギリス・ロンドン。
イギリス魔法省のとある小部屋にニュート・スキャマンダーが呼び出されていた。
「審問を始める。国外への旅行禁止命令を解いて欲しいと。その理由は?」
「魔法動物の本を書くためです」
ニュートは淡々と答えていく。この審問会のメンバーのなかには兄のテセウスもいて、ニュートに対して冷ややかな視線を向けてくる。
魔法省の目下の懸念は、魔法界の思想テロリスト・グリンデルバルドが脱獄したこと。グリンデルバルドは魔法界の秩序を破壊しようと目論んでおり、その行動に共鳴する魔法使いも多い。今はまだ平和だが、それは嵐の前の静けさ……。そこで魔法省はニュートに魔法省への参加を提案する。所属は兄とおなじ「闇祓い」。魔法省への所属を認めれば旅行を認める。ただし――グリンデルバルドが探している人物、クリーデンスを始末すること。
ニュートはその申し出を断り、審問会を後にする。
ニュートがロンドンの街へ出ると、そこに待ち受けていたのはダンブルドアだった。ダンブルドアはニュートがホグワーツの学生だった頃の恩師で、そもそもニューヨーク行きを決めたのはダンブルドアが「サンダーバードが密輸されている」という話をしたからだった。 ダンブルドアが言う。クリーデンスがパリにいる。実の家族を探している。クリーデンスはどうやら純血の血を引いているらしいが、血筋が不明。ダンブルドアはニュートに、クリーデンスの血筋の謎を解き明かして欲しい……と依頼する。
ニュートはその依頼も断り、別れる。
ニュートはそのまま自宅に戻り、しばし魔法動物たちとの一時を過ごす。が、上階のほうで何か気配がする。行ってみるとそこにいたのはクイニーとジェイコブだった。ジェイコブは魔法を使えない一般人だったので記憶を消されたはずだったが、その記憶も戻り、クイニーと恋愛関係に戻っていた。
しかしニュートはクイニーが「惚れ魔法」を使ったことを見破り、魔法を解く。
クイニーとジェイコブは相思相愛の関係だったが、魔法から醒めるとほんの少しのすれ違いで喧嘩を始めてしまう。クイニーはそのまま「フランスのティナのところへ行くわ」と去って行ってしまうのだった。
ここまでで31分。前半パート。起承転結の「起」。
この最初の30分で……えーっと、どういうことだ?? ってなってしまった。設定がよくわからない。前作の内容を忘れてしまっている。本作だけを見て楽しめるか、設定や前作のストーリーを思い出せるか……というとぜんぜんピンと来ない。「えっと、つまり、どういうこと?」ってなってしまう。
今作の評判がやたらと低い理由がわかった。これは「あれ? どういうこと?」ってなる。それで設定を再確認して、もう一回視聴。そこでやっと「ああ、そういうこと」とわかってきた。というわけで、今回は私なりにわかったこと……を掘り下げていこう。
まずプロローグ。ジョニー・デップが演じるグリンデルバルドが護送中に脱走してしまう。グリンデルバルドは魔法省が危険視するテロリスト。その過激な言論に共鳴する魔法使いも多い。そういうこともあって魔法省が警戒していたのだが、まんまと逃げられてしまう。
ところかわって魔法省。ニュートは前作、ニューヨークへ行っていたのだが、その街をうっかり半壊させてしまったために、お説教を喰らっている。
しかしただのお説教ではなく、今後国外旅行を認める代わりに、条件として魔法省に入れ。所属先は兄と同じ部署だ。
ニュートはその提案を納得できない。まずいってテセウスは「闇祓い」。魔法動物学者であるニュートは適正ではない。
魔法省の目下の懸案事項はグリンデルバルドの存在。その勢力の拡大を阻むために、魔法省はニュートみたいなはみ出し者でも味方に付けておきたい。
「そしてグリンデルバルドはこの若者を使い、野望を実現しようとしている」
ニュート「クリーデンスはまだ生きているような仰り方ですが……」
ここのやり取りで急に「クリーデンス」という人物が出てきた。誰だ?……前作で養母から虐待を受けていた少年のことだ。このクリーデンスの体内に魔法生物オブスキュラスが寄生しており、クリーデンスの負の感情を養分にして強力になっていった……というのが第1作目の内容だった。
そのクリーデンスは1作目で死んだと思われていたが、どっこい生きていた。ただし現在どこにいるのか不明。アメリカを離れて、ヨーロッパのどこかにいるという。
審問会の提案を断ったニュートには監視が付くようになる。もしかしたらすでにグリンデルバルドの手先かも知れない……という疑いがあるからだ。
ニュートはその追っ手を撒いて、そのすぐ後に出会った人物がダンブルドア先生。ハリー・ポッターシリーズでもお馴染みの先生だ。若い! いや、若くないけどお爺ちゃんのイメージがあったから若く見えてしまう。
ダンブルドア先生との対話を見ていきましょう。
そもそもニュートがニューヨークへ行ったのは、ダンブルドアの入れ知恵だった。といっても直接「行きなさい」と言ったのではなく、「サンダーバードが密輸されている」と教えただけ。そう言えばニュートはニューヨークへ行くだろう……という見込みがあってわざわざ言ったわけだが。
ダンブルドアは語る。
「魔法動物のなかでも鳥には親しみがある。言い伝えではね。ダンブルドア一族が窮地に陥ると、不死鳥が現れるという。曾祖父が体験したらしい」
ああ、そんなお話し、ありましたね……。この台詞、後々の伏線です。憶えておきましょう。
ダンブルドアがニュートに声を掛けたのはそんな話をするためではない。クリーデンスがパリにいて、実の家族について調べている……という情報を察知したからだ。クリーデンスはただの人間ではなく、どうやら純血一族の1人らしい。「リタの弟」という説もある。
リタって誰だっけ? ……ってなるけど、この女性。ニュートの兄、テセウスと婚約している女性。クリーデンスはこのリタの弟ではないか……という噂があった。でもそれは本当かどうかわからない。
魔法動物オブスキュラスは「愛を知らない子供の中で育つ」。もしもクリーデンスの出自が明らかになり、アイデンティティを取り戻し、あるいは親子や兄弟の愛を知ればオブスキュラスは消滅する。クリーデンスは救われ、魔法の世界も救われる。
実はグリンデルバルドもクリーデンスを味方に付けたいと考えている。グリンデルバルドはどうやらクリーデンスに関する「秘密」をすでに掴んでいる様子。グリンデルバルドはその秘密を解き明かす切っ掛けになる手紙をクリーデンスへ送る。
魔法省とグリンデルバルドがクリーデンス獲得を競い合っている……という状況だ。そこでダンブルドア先生はニュートに見付けて欲しい……と依頼する。
でもニュートは乗り気ではないし、そもそも魔法省から海外旅行を禁止にされている。しかしダンブルドア先生は、フランスの隠れ家の住所を書いたカードをニュートに預けて行くのだった。
ここまでがニュートに与えられた最初の命題であり、物語が最初に提示しているもの。しかしニュートはこの冒険の召命を断る。
帰宅すると何やら賑やかな様子。クイニーとジェイコブが勝手にニュートの家へと上がり込んでいた。
2人は相思相愛の様子。どうやら間もなく結婚するらしい。
そんな2人の様子を見て、ニュートはすぐに「惚れ魔法を使ったな」と察する。
魔法を解くと我に返るジェイコブ。ジェイコブはクイニーに魔法を掛けられて操られていたことにショックを受ける。「そんなことしなくても結婚するのに!」。
しかしクイニーはジェイコブの愛を疑っている。というか、そもそも魔法省の法律としてノー・マジ(非魔法族)とはデートすることも結婚することも禁止。惚れ魔法を使って繋ぎ止めておかないと、どちらとなく別れるように言ってくるはず……。それがクイニーには受け入れられない。
これがクイニーにとっての行動動機になっている。現在の魔法省の法律だと、ジェイコブと結婚できない。もしかしたらグリンデルバルドならその法律を変えてくれるかも知れない……。その想いがクイニーを変えてしまう。
クイニーはフランスにいるティナに会いに、フランスへ行った。ジェイコブはクイニーに会いたい。ニュートもティナに会いたい。そのついでに、クリーデンスの捜索もする。諸々目的が合致したところで、フランスへ密航するのだった。
ここまでが前半パートのあらすじ。
ストーリー中盤パート
引き続き中盤のストーリーを見てみましょう。
魔法省はクリーデンスの行方を求めて、フランスの「裏」の世界でひっそり開催されている魔法サーカスへと潜入する。
潜入するのは魔法省の闇祓い:ティナ。クイニーの姉だ。
ティナはニュートと“いい仲”だったが、ニュートがリタと結婚する……と勘違いして、すでに別の男性と交際を始めたところだった。この勘違いの元は雑誌の誤報。「スペルバウンド」という魔法界にのみ流通している雑誌があって、そこに「テセウスとリタが結婚」とするところを、なぜか「ニュートとリタが結婚」と誤報。マスコミはいつの時代もいい加減……というのは変わらない。
ニュートはその誤解を解くためにリタに会いたい……というのが動機だった。ニュートにとっての第1ミッションがティナの誤解を解くこと。第2ミッションがクリーデンスを探すこと、となっている。
ところでさっきから話題にされているクリーデンスって誰だっけ??
この彼。
『ファンタスティック・ビースト』1作目で養母から虐待を受け、負の感情を養分とするオブスキュラスの宿主になっていた。第1作目で死んだと思われていたが、どっこい生存。フランスの魔法サーカス団と行動を共にしていた。
しかも美人の恋人もできている。大蛇に変身できるナギニだ。作中では「インドネシア出身」と紹介されるナギニだが、演じているのは韓国人女優のクローディア・キム。
クリーデンスはサーカスにくっついてきてフランスまでやってきたが、実の家族の手がかりを掴めず、鬱屈としていた。そこにグリンデルバルドからの手紙が届く。「居場所がわかった」と喜ぶクリーデンスだった。
今夜このサーカスを去る……クリーデンスはナギニとともに逃亡計画を立てるのだった。
サーカスでのドタバタの末、ティナはクリーデンスを取り逃がしてしまう。その後、この男性が声を掛けてくる。ユスフ・カーマという名前の男だ。
ユスフもクリーデンスの素性を解き明かそうと調査していた。ユスフとクリーデンスはどうやら遠い親類に当たるらしい。ユスフは純血種一族最後の男であるが、もし親類であればクリーデンスも純血種ということになる。
ティナはユスフと同行すれば、クリーデンスの手がかりを掴めるかも知れない……と彼の誘いに乗るのだが……。
一方、クリーデンス自身も自分の出生を巡り、調査していた。グリンデルバルドからもらった手紙の場所へ行くと、そこに小さな老婆が待ち受けていた。ハーフ・エルフのアーマだ。レストレンジという男の小間使いをやっていた女性だ。
アーマはクリーデンスの姿を見て「あの時の子供か……」と感激するのだが、そこに刺客グリムソンが襲撃して、アーマは死んでしまう。
魔法省の役人達は、ホグワーツにも出向する。ダンブルドアに「グリンデルバルドと戦ってくれ」と要請するが、ダンブルドアは断る。
ダンブルドアがグリンデルバルドと戦えない理由はこれ。ダンブルドアとグリンデルバルドは学生時代、“固い友情”の証である「血の誓い」を交わしたから。これでお互いに「絶対に争わない」という呪いをお互いに掛けていた。
しかしテロリストであるグリンデルバルドとそういう関係だった……と魔法省に話すわけにもいかず。「とにかくグリンデルバルドと戦う気はない」と、ダンブルドアは魔法省の申し出を断り続けるのだった。
ここまでが起承転結の「承」。ここまで頭に入れていたら、この作品をちゃんと楽しめるはず。
ネタバレ クリーデンスの出生の謎
でもやっぱり「よくわからなかった」という人に向けて、後半に明かされるネタバレをしておこう。
この段落はがっつり本作の重要なネタバレ部分なので、それを了解した上で見てもらいたい。
結局、この彼はいったい誰なの? ……の答えを示しておこう。
ユスフ・カーマは由緒正しいセネガルの名門の純血一族だった。父の名はムスタファ・カーマ。母はロレナ。父ムスタファ、母ロレナ、息子ユスフの3人は幸福な家族だった。
ところがそこに、レストレンジという名のフランス人魔法使いが現れ、ロレナに欲情し、「服従の魔法」をかけて奪ってしまう。
その後、ロレナは女の子を出産して、死亡してしまう。
その時生まれた女の子がこの女性。リタ・レストレンジ。テセウスと婚約している女性だ。
ロレナの死に、ムスタファは嘆き悲しむ。そのままムスタファは死んでしまうのだけど、その死に際に、息子ユスフに「レストレンジの最愛の者を殺せ」と言い残す。ユスフはその遺言に従って、レストレンジの愛する者を殺そう……と行動する。
当初、ユスフはリタを殺すつもりだった。ところがレストレンジは娘・リタをとくに愛していない……ということに気付く。
ロレナが死去した後、性欲モンスターのレストレンジはその3ヶ月後には再婚。後妻への愛情はやっぱりなかったのだけど、息子コーヴァスが生まれて、初めて愛情を知った。
さてその後の話だ。
レストレンジはユスフが息子を殺しに来る……ということを察して、安全を得るためアメリカ行きの船に乗せる。
この時、娘リタと小間使いのアーマが同行する。
ところがトラブルが起きた。船が沈没したのだ。
リタは泣いてばかりだった赤ちゃんにウンザリしていたので、船が間もなく沈没する……という混乱の最中、別の赤ちゃんと入れ替えてしまう。その赤ちゃんを乗せたボートは荒波に飲まれて転覆。
つまりユスフの復讐の相手であった赤ちゃんは、すでに死んでいた。
クリーデンスはその時、リタが入れ替えてアメリカに連れて帰った赤ちゃん。その時の一家は船の沈没でこの世を去っているので、誰だったのかわからない。クリーデンスの出生の秘密は、とうとうわからないままになってしまった。
もちろん、今作はこれで終わらない。映画の最後の最後でクリーデンスの本当の出世が明らかになる。そこだけは映画を観てのお楽しみ……ということにしよう。
映画の感想
今回の『ファンタスティック・ビースト』を感想をまとめると……「よくわからない」だった。どうやら私だけではなく、「え? どういうこと?」……そう思った人も多かったらしい。
それも無理もない話で、まず最大のキーパーソンになっている、クリーデンスっていったい誰? 確認したら前作にも出ていたのだけど、前作を見た直後ならいざ知らず、それから数年が過ぎているわけだから記憶からポンと抜け落ちてしまっている。今作の中で改めて誰なのか……という説明もしてくれない。
最初の審問会のシーンが「設定説明」も兼ねているわけだけど……。そのクリーデンスを魔法テロリスト・グリンデルバルドが獲得しようとしている。クリーデンスがグリンデルバルドの手に渡ると危険らしいが……何故なのかがわからない。しかもクリーデンスが「リタの弟」らしい……という話も急に出てくる。
クリーデンスって誰? リタってテセウスと婚約している人だよな……と頭の処理が追いつかない。
お話しが進むと、ユスフという黒人男性が出てきて、彼もクリーデンスを狙っているという。しかしなぜ?
最終的に謎の解明へとお話しが進むのだけど、その場面に入っても「え? どういうこと?」「誰の話?」ってなってしまう。
今作の引っ掛かりはここ。まず「前提」となる「設定の提示」がない。設定の提示がなくお話しが進むから、「え? 誰? 誰の話をしてるの?」となってしまう。その後、次々と登場人物が出てくるけど、印象がぼんやりしている。なんだかわからないキャラクター達が次々と出てきて特に何も活躍することなく、物語から退場する。いったい何だったんだ……ってなる。
例えば彼女。クリーデンスの恋人のようなポジションとして出てきたのだけど、作中、特に活躍することなく姿を消す。別にいなくてもよかったのでは……?
唐突にパリの町並みに巨大な「布」が覆い始める。印象的な場面だけど、「え? なに?」とむしろ混乱する。これはグリンデルバルドが共鳴する魔法使い達に招集を掛けている……という場面なんだけど、そういう場面だということが腑に落ちていないから、「感動」するのではなく「え? なに?」となってしまう。
こうやって画だけを見るとなかなか格好いい構図で描かれているのだけど、この場面に至るまでの経緯が見えづらいから、せっかく作り込んでいるのに「格好いい」と思えず「いったい何が起きているんだ」という混乱に繋がる。
この作品はずっとこんな感じ。「え? いったい誰の話をしているの?」「何がそんなに問題なの?」……物語の始まりとしてクリーデンスというキーパーソン的な人物が出てくるのだけど、どうして魔法省もグリンデルバルドも彼の獲得に躍起になっているのか……。その前景がいまいちわからないから、彼らの必死さも伝わってこない。物語の重要な説明をしないまま、状況だけがどんどん進んで行く。それでどのシーンを見ても感情が動かず、ずっと滑っていくような感じになっていく。
作品の中には様々なキャラクターたちの感情が描かれているわけだけど……例えばクイニーの心情もそこに描かれているのだけど、見ていてもその感情が腑に落ちることがない。
詳しく設定を確認してみると、クイニーは「ノー・マジ(非魔法族)と結婚できない」という問題を抱えているのだけど、その前提が提示されてないから、俳優がどんなにしっかり芝居していても、見ている側に響かない。ずっと「え? どういうこと?」のまま進んでしまう。
後半、錬金術師のニコラス・フラメルという人物が出てくるのだが、彼も何者なのかよくわからない。なのにクライマックスではすごい活躍をする。凄い魔法使いらしいが……誰だよお前……という感じ。
ではどうしてこんな作品になってしまったのか……。
それは映画と「ミステリー」というジャンルの相性が悪いから。「ミステリー映画の王」と称されるヒッチコックは「自分はサスペンスしか作っていない」と語る。映画の世界で大雑把に「ミステリー」とひとくくりにされるものは、「ミステリー」「サスペンス」「サプライズ」に分けられる。
サスペンスとサプライズは映画的に相性はいいのだが、問題なのはミステリー。ミステリーをきちんとやろうとすると、どうしても画面が単調になってしまう。小説は「文字文化」なのでえんえん構造の解説をしてもいいが、映画で同じことをやると退屈なものになる。
そこで映画でミステリーをやる場合、サスペンスとサプライズにうまく振り分けなければならない。
『ファンタスティック・ビースト2』を見ると、実はちゃんとミステリーをやろうとしている。だからやたらと複雑。しかし本当にミステリーをやろうとすると画面が単調になるから、必要な説明を端折って、見栄えの良いシーンを持ってこようとする。
すると訳のわからない作品になってしまう。おそらくはこの作品が小説だったら面白くできていたんじゃないかと思われるが……。映画にするとどうしても中途半端な映画にしかならない。
熱心な『ハリー・ポッター』シリーズ・ファンだったらそこまで大問題ではない。シリーズ・ファンだったら、詳しい設定を一つ一つ憶えているはずだ。今回の映画の中で、改めて解説する必要はないだろう。
でもほとんどのユーザーはそういうわけではない。私も含めたほとんどの視聴者はライトユーザーだ。そういうライトユーザーに向けた配慮がまったくない。
設定を改めて確認してから再視聴すると、ようやくこの映画の良さはわかってくる。よくよく見ると、それぞれのシーンがしっかり作り込まれている。画面が良い。
でも改めて見ても――やっぱりシーンが上滑りしている感じがある。手の込んだシーンは一杯あるのだけど、感動しない。驚かない。シーンが物語と連動していない。なにか重要な回線が途切れたまま、お話しだけが次々と展開していっている……そういう感じに見えてしまう。全てが生煮え状態。どのシーンも、何が起きている過程でその場面が描かれているのかよくわからない。
それぞれのシーンの作り込み自体はよくできているし、俳優の芝居もばっちり決まっている。ここまでしっかり作り込んでいるのに、すべて上滑りして見えてしまう。つまり、シナリオが明らかに良くない。「シナリオの出来が悪い」に全てが集約されている。アイデアを一杯敷き詰めすぎて、何が物語の核なのかよくわからない作品になっている。シナリオが致命的に悪いから、それぞれの作り込みがぜんぶ薄っぺらく見えてしまう。シナリオがいかに大事か……がこの作品から見えてくる。
次回作は今作の失敗をうまく取り戻せていればいいのだけど……。