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5月15日 AI技術を隠れサイコパスに預けた結果……

 この頃はAI関連のニュースを毎日のように聞く。最近話題に上がったニュースを見出しだけでまとめてみよう。

5月2日 pixiv なりすまし・模倣作品でクリエイターの利益を不当に害する行為などを禁止するガイドラインを一部公開。

5月10日 FANBOXでAI生成作品の取り扱いを当面のあいだ禁止。
5月10日 FantiaでAI生成作品の取り扱いが一時停止。
5月11日 DLsiteでAI生成作品の取り扱いを一時停止。

 ……と、今月の間にpixiv、FANBOX、Fantia、DLsiteなどで一斉にAIの取り扱いが中止になった。
 背景には「AI絵師」と呼ばれる人たちのなかに、「pixivを利用して“効率的に”AI学習させている」といった報告をする者もいて、絵描き達が自分たちの絵が無断でAIに利用されている……ということに危機感を持ち、抗議の意味を込めてこれまでの投稿イラストを閲覧停止にした……ということがある。こういった絵描き達の抗議に運営側が応えた結果……でもある。
 他にもAI絵師たちが絵描きに対し、「養分になってくれてありがとう」とコメントし、さらにAIを利用したイラストでいくら儲けたか……という収入額をキャプションにした画像を貼り付けたり……といった明らかな挑発行動をする人まで出てきた。他の事例を見ても、どういうわけかAI絵師を自称する人たちは、絵師達に執拗なほど攻撃的なコメントを送り続けている。あたかも……いや間違いなく、AI絵師たちは自分たちのほうが上の存在だと信じて疑っていない。

 ……と、こんなふうにAIイラストにまつわる問題が日々ネット上を騒がせている。
 私としてはAIを有用に活用するならば問題なし……と考えていた。例えば漫画で背景にモブキャラを一杯描かなければならない……という場合。それは大変だから、AIで人物を出力して、それをトレースする……。そういう使い方もある。そうやって大変な作業をアシストさせるもの……としては非常に有用と考えていたが、昨今の騒動を見ると、あたかも「AIはすべてダメ」という空気にもなりかねない。
 人間は極端から極端へと振り動かされる
 アメリカでは5月2日から全米脚本家組合(WGA)がストライキを始めている。かなり大規模ストライキに発展していて、これによる影響で映画、ドラマの制作に大きな影響を与えてしまっている。もともと脚本家に対する不遇の扱いが問題になっているのだが、伏流として「AIに脚本の仕事を奪われるのではないか?」という危機感もそこに含まれている。
 かつてCGが登場したときも、俳優が「自分の仕事をCGに奪われるのではないか」と危惧したことがあった。実際にデジタルクリエイターがCGシーンを作ったけど、俳優がそのシーンを没にした……ということもあった。
 今ではそういう危機感は薄らいでいき、俳優はCGで構築されたシーンを受け入れているし、CGで何でもできる時代だからこそ生身のスタントに挑戦しよう……という俳優も出てきている。
 CGでならなんでもできる……というのは正しいようで間違っている。何もかもCGで作ったシーンはどこか嘘くさくなってしまう。例えば『ターミネーター・ニュー・フェイト』にはヘリコプターがビルの壁面すれすれを横切っていくCGシーンがあるのだが、迫力はぜんぜんない。「CGだから」という以前に、どこか力感を感じない。絵面が嘘っぽい。
 一方、30年前に制作された『ターミネーター2』では本物のヘリコプターを飛ばして主人公達を追跡させている。こちらのほうはどのシーンを見てもゾクゾクと来て、「凄い!」と思わされてしまう。
 最近制作された『ターミネーター:ニューフェイト』のほうが高度なことをやっているのに、どこか迫力不足に感じてしまう。これが「CGであればなんでもできる」……というわけではない、という意味。CGでシーンを作るなら、かなりしっかりした土台を組み立てないと、どこか薄らぼんやりする。CGシーンがばっちり決まっている映画、というのはこの土台組み立てをやっているから。CGであればどんなシーンでも自在に作れる……というのは事実だけど、作り手の「シーン構築能力」の低さまでをフォローしてくるものではない。シーンの構想が貧相だと、いくらCGにしてもかっこいい画面は生まれない。『ターミネーター2』のほうが画面がかっこよく見えるのは、構想力の違いがあったから。
 しかし人は極端から極端へと振り回される生き物だから、一時は「CGを使った映画は全部ダメ!」みたいな論調が評論家の間にも空気としてあったくらいだった。
 アメリカでは脚本家達が、AIの登場はCG登場以来の危機感だ……と考えている。AIが登場したときは俳優達が猛烈な危機感を憶え、抗議した。次は脚本家、絵描きが危機感を憶え、抗議する段階に来た。
 こういうのは持ち回りで、いつか「自分の番」が来るものなんだ。自分は無関係……ではない。
 AIにまつわる問題は日本だけではなく、世界中の議論となっている。

 前置きが長くなってしまったけれど、今回のテーマは「AIは是か非か」という話題ではなく、「AIを利用する人の倫理観の低さ」について。これはどういうことなのか……を考えていきたい。
 すでに書いた話だけど、AI絵師の中には堂々と「pixivに投稿された絵をAIに学ばせている」と報告する者もいる。ランキングに上がってきた絵をまるごとAIに学習させる。つまりpixivの中でも特に優秀とされる絵をまるごと、無断でAI学習させ、再現させている。
 こういったことを堂々と公言するのもどうかと思うが、それを学習元になっているイラストレーターに報告する――「養分になってくれてありがとう」と。この倫理観のなさはどういったことか。

 人は誰もが社会的倫理をきちんと備えて生きているわけではない。

 もう何年も前の話だが、映画館に行ったときのこと……。
 映画館に入るまでの長い行列ができていて、私はその最後尾に並んでいたのだが、後からやってきた、いかにも悪そうなニイちゃんが「バカじゃねーの」とぼやいて列の前のほう、なんとなくちょっと人と人との間があいているところに割り込んでいってしまった。
 明らかに割り込みなんだけど、誰も文句言えない。だって見るからに怖そうなニイちゃんだもの。誰もが気になったはずだけど、誰も何も言えない……そんな空気だったが、当のニイちゃんは何も気にせず、連れてきた彼女との談話を楽しんでいた。

 この彼はおそらく……「自分は合理的に判断した」と考えたのではないか。だって長く並んだ列を見て「バカじゃねーの」……と律儀に並んでいる人々を見下したような発言をした後、列の前の方へスッと入っていった。「割り込んでいっちゃったほうが、早く順番が来るじゃない」……と。実際、それをやって誰も文句を言わなかった。
 列に並ぶ……という社会ルールは守らなくていいのか? しかしそんなルール、誰も明言していない。ルールが明言されていないし、実際割り込んでも誰も文句言わなかった。だったらズルした方が得でしょ。もしも誰かが文句を言ったとき、その時になって対応すればいい。……たぶんそういう感覚ではなかったのか。

 もう何年も前のニュースになるが、2016年頃、PC DEPOTというパソコン販売・修理専門業者がなにもわかっていない高齢者に対し、あり得ないほどの高額なサポート契約をさせていた……ということがあった。サポート料で月々1万5000円、解約料がなんと10万円……あきらかなぼったくり。高齢者を「どうせPCのことなんか何もわかってないだろう」とカモにしていた。

 PC DEPOTは今も何事もなく同じサポートをやっているが……改善されたかどうかわからないので、近寄らない方が良いだろう。

 こちらも、おそらくはやっているほうは「自分が合理的に判断してやっている」と考えていたのだろう。相手はどうせPCのことを何もわかってない老人で、金は余るくらい持っているんだし、そんな相手に数万円、数十万円いただいて何が悪いんだ……。
 IT関係の技術者には時折ではなくてもこんな「サイコパス気質」な人は存在する。「○○やったほうが簡単に儲かるじゃん。なんで誰もやらないの」……と。その瞬間、儲かりさえすればいい。悪いこととは思わない。だって法律で規制されているわけじゃないんだもん。もしも法律が変われば、その時に対応すればいいわけで……。
 かつてあった「コンプガチャ」もやっているほうとしてはこんな感じだった。「儲かるんだから」「それで誰かが困ろうが、知ったこっちゃない」「自分に得になることならいくらでもやってよい」……こういう感覚の人が仕組みを作ると「コンプガチャ」のような悪どい商売になっていく。

※ コンプリートガチャ ……通称コンプガチャ。ガチャなどで複数のアイテムを揃えることでレアアイテムを入手できる仕組み。2012年、不当景品類および不当表示防止法によって規制された。私は「ガチャ」の仕組み自体どうなんだ……と考えている。

 確かに「合理的」かもしれないが、それが社会的に許されるかどうかの判断ができない……。そこを考えることができない……という人たちがわりといる。こういう人たちを、私は「隠れサイコパス」と呼んでいる。
 こういった隠れサイコパス達は、世間一般的には普通の生活をしている。普通の学校生活を送り、普通に社会人になって、普通に色んな人と交友関係を持っている。世の倫理観より先に合理性を重んじる性格だから、周りの人たちからは「頭のいい人」と一目置かれていることだろう。学生時代は平均以上の成績だったはずだ。本人も「自分は頭が良い」と思い込んでいることだろう。
 だが倫理観が欠落している。社会倫理や常識……そういったものは文句を言う誰かが出てきた時に対応すればよい。自分のやっている行いが良いか悪いか、結果として誰かに迷惑をかけることになるか……そういう反対側にある現実を想像することができない。もしもクレームが来ても、何が悪いのか理解できない。
 頭は良いかもいれないが、想像力に欠ける。
 そういう人間だと誰にも気付かれていない。だから「“隠れ”サイコパス」だ。こういうタイプは実はIT業界に結構多いらしい……という話を聞く。

 こんなことを考えたのは、実際にpixivランキングのイラストでAI学習させています……と報告していた人のTwitterを見ていたのだけど……それを見ていて「あ、こいつ、自分は頭が良いと思ってやがるな」と感じたからだ。
「これをやれば簡単にできるじゃん。なんで誰も気付かないの? これに一番に気付いた俺って頭いいー!」
 ……って感じ。実際にそういう感じのツイートともに、自分のやっている手法について図説していた。
 「それはやっちゃダメだろ」という感覚がない。

 なんでこんな話の頭に行列に割り込んでくるヤンキーのニイちゃんの話をしたのか……というと、ヤンキーのバカと認知能力に差がほとんどないから。ヤンキーのバカに知識だけを与えると隠れサイコパスになる。頭が良くても倫理観が育つかどうかは別問題。というか、倫理観の問題はさておきとして、「学力」にしか目を向けない日本の教育も結構悪い。

 絵描きには絵描きに対して「仁義」というものがある。AIを使うとしてもアシストのみ。学習させるとしたら、自分の絵のみ……使うとしたら、そういうやり方になるはずだが、AI絵師にはそういう「仁義」がない。だからどこかタガが外れたような行動に出てしまう。

 AIには有用性があるはず……しかし残念ながら、こういう隠れサイコパスたちにAI技術を与えてしまった。結果的に「AI自体がダメ」と極端から極端へと世の中が揺れ動こうとしている。かつての「CGを使った映画は全部ダメだ!」……みたいな空気感になりつつある。

 最近、聞きかじった話だけど、とあるゲーム会社ではデザイナーがどんどん解雇されているという。解雇されたところに入ってきたのがAIだ。AI技師を1人入れて、デザイナーを一気に解雇、そのかわり給料を上げる……。
 とあるゲームグラフィッカーという人が匿名で上げた報告だから、どれくらい本当で、そういった事例が業界内でどれだけ広まっているかよくわからない。そのうちにAIイラストを利用したゲームが出てくるようになったら、本当だった……と証明されるが、今のところは本当かどうかは保留しておこう。
 事実としたら、おそらく「どっちのほうが効率が良いか」のみで判断された結果だろう。人間を雇い入れるのは金が掛かる。絵をオーダーしても、完成まで数日、数週間もかかる。でもAIに絵を書かせれば安いコストで、数秒で絵を仕上げてくれる。絵の完成度問題はさておき、「コスト」のみを考えると「人間のクビを切ってAIを導入しよう」……という判断になる。
 こういう判断をした経営者は「俺って頭が良い!」と思っていることだろう。

 AIのみに絵を任せていれば良いのか……というとそういうわけにはいかない。

 私は最近、AIをテーマにした漫画を描いたのだけど、「AIさえあれば誰でもいい絵が作れるのか」……というとそんなわけはない。使う人間がきちんと絵を理解していないと、いい絵はできあがらない。AIが変な絵を出してしまっても、変だと“指摘”できないからだ。
 これはCG問題でも起きた話で、最初にお話ししたように、「CGを使えばどんなシーンでも作れる」……というのは一面の事実だけど、作り手の想像力のなさまで補ってくれるものではない。CG映像を作る前にしっかりとした画面の構想がなければ、いくらCGを使っても安っぽい画面にしかならない。
 AIも同じで、作り手に構想力や絵に対する理解度がなければ、良い絵はできない。どうやったらそういう構想力や絵に対する解像度を上げられるのか……それは自分が絵を描けるようになるしかない。
 私は、未来の子供たちはそういう視点がどんどん欠けていくのではないか……と考えた。絵の構成やパースやデッサンといったものがグチャグチャになっているのに、絵描きとしての能力が低いゆえに気付かない。それどころか「自分はそこそこ絵が上手い」と思い込んでしまう。そういう現象が起きるだろう、と漫画の中で描いた。

 デザイナーのクビを切ってAIを導入した。それで絵の品質が上がるかどうかは――作り手の絵に対するポテンシャルが高ければ上がるでしょう。でもその資質がない状態でAIを導入しても、どこか見栄えの悪い、グロテスクな画面が生産されていくことでしょう。

 実はもう一方の問題も起きている。
 DLsiteを見ると、数日前までAIイラストを利用したエロ画集が一杯出ていたのだけど……そういったエロ画集はかなり売れていた(私の書いたエロ小説よりも!!)。Kindleでも売っていたから、そっちでもだいぶ利益を上げていたことだろう。
 サンプル画などを見ると……まずどの絵も似たような構図ばかり。絵としてのバランスが悪い。相変わらず指が6本や7本あったりするし、脚が3本ということもある。むしろグロテスクな印象だった。
 そういったものが結構売り上げを伸ばしている……つまり、人間かAIかどうでもよい。そういう人たちが世の中には結構いるんだ。おそらくはAI出力の絵が不自然だ……という認識もない人達。エロい絵が見られるんだったらなんでもいい……そういう人たちは実はかなり多いという事実。
 作品のクオリティなんて気にしない。クオリティという概念すら知らない。そういう人たちは実はたくさんいるのだ。そして、そういう人たちがAI絵師のカモにされる。

 人間は極端から極端へと振れる生き物だ。AIにまつわる世論やイメージはこの後、2転3転していくことだろう。AIがどういったものなのか、どういう有用性を持っているのか……そういう意義ある議論がされるようになるのは、その後になってやっとだろう。
 それまでは後で振り返ると「不毛」に感じるような話を何度も繰り返すことになる。どうしてそうなるのか……というと絵描きとしての仁義のない「隠れサイコパス」がこっちの土壌に踏み込んできて、荒らし回るからだ。今はそういう隠れサイコパスに対応しているうちに、こういう現状になっている。今はそれを乗り越えない限り、別の視点は見えてこないだろう。だがそうなるまで、まだ時間が掛かりそうだ。なぜなら隠れサイコパスたちは自分たちがやっていることの何が悪いのか認識できないし、そういうのがわからない人たちがひたすら踏み荒らし続けるだろうからだ。


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