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読書感想文 アニメビジネス完全ガイド 制作委員会は悪なのか/増田弘道

成長し続けているアニメビジネス

 アニメビジネスの現在を見ると、全体的に右肩上がりで成長を続けている。アニメは必需品でもなければ工場生産製品でもなく、常に新鮮なコンテンツを作り続けなくては成長はあり得ないメディアだ。しかし現実問題として、アニメは「制作できる本数」に限界があり、同時にユーザー数にも限界がある。その限界を超えて制作すると、途端にアニメビジネスは不安定に陥る。事実、それが原因で2010年アニメ制作本数/分数がガッと落ちて、それでマスコミ達が「アニメバブル崩壊!」と煽り立てた。
 だが冷静になってDVD売り上げを見ると、上がりもせず、落ちもせず、横ばいを続けた。単にユーザー側のキャパシティを越えて作って、業界が勝手に自滅したが、ビジネス自体に陰りが出たというわけではなかった。

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↑2010年アニメ分数がガッと落ちて「アニメバブル崩壊」と騒がれたが、ビデオ販売本数は下がってなかった。

 制作側の「制作可能な限界」とユーザー側の「購入可能な限界」というものがそもそもある一方で、常にその限界を目指して作り続けないと収支のバランスが危うくなるのがアニメ業界だ。このバランスが崩れると、アニメの現場はいとも簡単に崩壊し、それに釣られて業界自体のバランスも前のめりになってしまう。アニメビジネス・業界はそれくらい不安定なバランスでどうにかこうにか維持しているものである。

 しかし現実問題として、アニメの制作本数は増え続けている。テレビアニメも、劇場アニメも。
 2014年頃、制作の現場から「ウチは2年先までスケジュールが一杯」という発言をよく聞くようになった。その一方で囁かれていたのが「2016年クライシス」だった。なぜならこれは「スケジュールが一杯」ではなく、2年先の「予定」まで埋まっている意味だったからだ。
 2014年頃に企画されていた作品が1年から2年くらいかけて完成し放送され、そのタイミングが一斉に来るから、このタイミングで制作現場のキャパシティが崩壊する……。実際、2016年にはいわゆる作画崩壊、放送納期が遅れるなどのトラブルが散見されるようになった。
 アニメ会社は大手ゲーム会社のように、規模が小さいゆえに、複数の企画を同時に進行させることがどうやらできないらしい。

 2017年、日本動画協会がアニメスタジオに実施したアンケートの多くには、制作本数が増えたのに対して、スタッフの確保が難しくなった……という悩みが語られている。アニメのスタッフは「その辺のオッサン」をバイトで集めればいい仕事ではなく、充分な訓練を積んだ絵描きでなければ勤まらない。本当にいい絵の描けるアニメーターというのはアニメの業界でも少数で、その少ない人材を取り合うような現象が起きている。
 もう一つ、多かった意見がクオリティの維持。人の目は肥えていく。ユーザーが求めるものは高くなっていく。しかしそのクオリティを維持できる人材はごく少数という葛藤。
 マスコミはついアニメの本数や分数だけでアニメビジネスを語りがちだが、内面はそんなに単純ではない。複雑な問題が絡んでいる。当然ながら、アニメユーザーだって無闇に本数や分数を増やせば喜ぶわけではなく、増えれば増えるほど「観なくなる作品」が増え、同時にどこかで作画崩壊が起きるリスクを抱えることを知っている。アニメユーザーとマスコミの間にある谷間は永遠に埋まらないだろう。

 実は2014年に入り、「第4次アニメブーム」は起きていた。2014年と言えば日本国内でいえばアニメブームが頂点に達し、下降線に入ったのに?
 海外需要が激増していたのだ。2014年から2015年は海外売り上げが179%アップ、2015年から2016年へは131%アップ。わずか2年で2.35倍にも膨れ上がった。
 海外市場が膨張した主な理由は中国だった。中国政府から海賊版の取り締まりがあり、正規品を販売するよう指示があった。それで日本からアニメを買い求めるようになったのだ。
 そのうえに、NetflixとAmazonという外資系も入ってくるが、圧倒的なのは中国だ。
 だが、「中国の爆買いが来た」、と喜んでいる場合ではない。中国は政府の一声で、突然日本からの買いが止まる。「中国は儲かるから」といって、そこに体重をかけすぎるのは絶対にすべきではない。
 ちなみに2016年に海外と契約した国でもっとも本数が多かったのは1位中国、2位韓国、3位台湾、4位アメリカ。日本人は「海外」といえばすぐに欧米をイメージするが、数字を見ても一番アニメを買っているのは東アジアの国々だ。

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 アニメ市場について、もっと詳しくみていくとしよう。
 アニメ制作市場、あるいはアニメ業界市場と呼ばれるそれは、2016年に2301億円を記録している。産業市場と制作市場を比較して見よう。制作市場は全体の売上増に引きずられて2016年には史上最高を記録するが、それでも産業全体の10%~15%程度でしかない。つまり、日本では流通業者がアニメ売り上げのほとんどを占めているわけである。
 日本のアニメ制作費(TVアニメ、劇場アニメ、OVA)のトータルは700億円前後となる。この金額をすべてまなかい、それを流通で回すことで2兆円を超える売り上げを叩きだし、そのうちの15%である2300億円が製作・制作者に戻っていく……というのがアニメビジネスの仕組みだ。
 一方、ディズニーは2016年には556億ドル(6兆1195億円)を売り上げている。これは製作と流通が一体化しているからだ。これが日本との大きな違いである。

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制作委員会は悪なのか?

 ネットを見ると、「製作委員会悪人説」を多く見かける。これは正しいのだろうか? ネットでまことしやかに囁かれる話として、「製作委員会がアニメの儲けを吸い上げているから、アニメーターが貧乏生活に陥っている」というものだ。これも本当だろうか? データから詳しく見ていくとしよう。

AKIRA アキラ

 製作委員会方式は1970年代から80年代にかけて主に実写映画界隈で生み出された仕組みだった。その当時は映画会社が斜陽の時代に入っていて、一社では充分な資金が作れず、そこで製作委員会という方式を作って制作費を募ったことから始まっている。
 この方式がアニメ業界に入ってきた初期の作品が1988年『AKIRA』だ。「講談社・毎日放送・バンダイ・博報堂・東宝・パイオニア・住友商事・東京ムービー新社」の8社が共同で出資し、『AKIRA』のアニメ化が実現された。

 製作委員会方式が生まれてから、アニメの制作はどのように変わったのか。
 制作側は作品の権利を失うが、その代わり制作費が“全額”支払われるようになった。その以前は代理店から少ない制作費を補填してもらい、商品化権の分配でやりくりするという方法で、商品が売れなかったら即打ち切りだったし、場合によっては赤字になっていた。製作委員会が生まれてから、とりあえず全額支給が当たり前となり、制作の現場は生活していく充分な給料を得ることができるようになった。
 それに製作委員会でリスクを分散すれば様々な企画に挑戦ができ、作品の多様さに繋がった。いま、様々なアニメを見ることができるのは、製作委員会のおかげである。

 2018年NPO法人は「低賃金の新人アニメーターを守りたい! 住居支援2018」というプロジェクトをスタートさせる。
 新人アニメーター支援として独自に寮を用意し、講習会やコンテストを実施するというもので、それ自体は非常に素晴らしいものだ。ここから様々な才能が巣立っていくだろう。
 問題なのが、プロジェクトの発足時に提示された説明文だった。その一部を抜粋しよう。

「製作委員会から制作会社に支払われる制作費が充分な額ではないこと。
現状では、制作会社は4分の1が赤字と言われています。
結果、アニメーターの労働環境が悪化することに……」

 製作委員会から制作会社に支払われる制作費が充分ではない……。制作会社の4分の1が赤字……。
 実際には製作委員会から制作会社へは、制作費は満額支払われている。4分の1の制作会社が赤字なら、アニメ会社はどんどん潰れているはず。しかし現実には増えている。どうもこの「4分の1が赤字」という話は、特にエビデンスはなく、風評で書かれた一文だった。

アニメーターは低賃金なのか?

 一般社団法人日本アニメーター・演出協会(JaniCA)は2009年と2015年、アニメーション制作者の仕事や生活の現状を明らかにするために、『アニメーター労働白書2009』『アニメーター制作者実態調査報告書2015』をまとめ、発表した。
 それを実際に示したデータが次の図となる。

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 見れば明らかだが、動画、第2原画の給料が異常に低く、「年収110万円」という数字が出ている。これが俗にいう「新人アニメーター 年収110万円」と呼ばれる部分である。しかしそれ以外の役職を見ると、例えば第3位である「仕上げ」は194万円という数字が出ている。動画と第2原画だけが異常なほど低い、というのが実態だ。

 データ全体像を見て気がつくと思うが、アニメには様々な役職がある。「アニメーター」と一言に言っても、動画マン、第2原画、動画チェック、原画マン、LOラフ原画、作画監督と分かれている。作画監督まで上がると、年収は390万円。ここまでくると、普通のサラリーマン並みの年収を得ていると言える。
 世間的に「年収110万円」と騒がれているのは実は動画マンだけであって、それ以外の役職は意外にもそこそこの給料を得ているわけである。問題なのは、アニメーターのスタート地点である動画マンの異様な給料の低さだ。

 ではどうして動画マンの年収がこうも異常な低さなのか。やはり製作委員会が制作費をケチっているから低収入なのだろうか。
 動画マンの給料を世間並みにまで持ち上げようとしたところで、制作費がいきなり倍になる……ということはない。それだけの制作費を払おうと思ったら払えるはずである。
 ところがそのぶんの制作費が払われようとはしない。現場の声を聞いても、ベテランアニメーターですら「動画マンの単価を上げるべきだ」という声はまったくあがらない。むしろ動画マンの給料を安く抑えておこう……という意思が製作、現場の両者にあるように思える。これはなぜだろうか?

 実は動画マンの給料が上がることは、望まれていないのではないか――そのように勘ぐられても仕方ないような状況が、客観的には見られるのである。

本の感想文

 本の紹介はここまで。ここからは私の感想。それから、“私個人的な経験談”を書いていこう。


 まず、「製作委員会」の問題だが、世間的に言われている話を聞いても、どうにも基本的な誤解がある。その話からしよう。
 私はこの話、ブログでわりとしてきたと思ったのだが、どうにも伝わっていないので、今回改めてはっきりと書く。

 製作委員会は作品の権利を持っている団体である。その製作委員会からお金を受け取って、制作を委託されているのがアニメ制作会社である。

 ゲームの世界では、「パブリッシャー」と「デベロッパー」という言葉がある。
 パブリッシャーが作品の権利を持って、販売する会社のことである。
 デベロッパーは制作費を受け取り、作品を制作する会社のことである。
 デペロッパーは制作を請け負っただけで権利があるわけではないから、当然作品のロイヤリティその他に口出しすることはない。
 アニメの製作委員会とアニメ制作会社はこの関係性と同じである。
 製作委員会はアニメ制作会社に対して、制作費はキチッと支払っている。もしも支払っていなかったら、それは法律で争うべき問題だが、その問題が出ていないということは、制作費はきちんと支払われている……ということだ。
(※ パブリッシャーもデベロッパーも本来の意味はどちらも同じ「会社」。現在はパブリッシャーが権利会社を指し、デベロッパーが制作会社と意味が分離しているが、言われはじめた当初は、英語がわかる人から「意味一緒じゃねーか」と言われていた)

 もちろん、アニメ制作会社もこういった状況に対して、何もしなかったわけではない。例えば京都アニメーションは自ら製作委員会に加わっている。どういうことかというと、自分で制作費を払っている。制作費を払い、製作委員会に名を連ねて、権利を主張している。
(大人の世界なんだから、権利を主張したいならお金を払う)
 おそらくは、CD制作やグッズ制作、イベント開催といったものは得意の会社にお願いして、そちらの利益もそれぞれの会社の所にいっているのだろう。しかしDVD利益とかそういったものからはロイヤリティを得ている仕組みなのだろう。

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 前に『たまこラブストーリー』というアニメ映画を観たが、エンドクレジットの「製作委員会」の項目に、京都アニメ社員の名前がずらりと並べられていた。ということはこの作品の利益のほとんどは京都アニメが手にしていたということだろう。
 放送されている全てのアニメをチェックしているわけではないが、そこそこ大手のアニメ会社はみんな同じようにやっているはずだ。東映アニメ、サンライズ、ProductionIG……こういったところは製作委員会を作っても、自分もそこに名前を連ねているはずだ。
(どこを見ればわかるんだ? エンドクレジットに書いてあります。「製作委員会」と書かれて、その下にレコード会社、出版社、グッズ製作メーカーと連ねてあって、その次に作品のアニメ制作会社も書いてあると、製作委員会にアニメ制作会社も入っている……と見ることができる)

 じゃあなぜアニメの現場がいまだに貧乏暮らしなのか? それはアニメDVDだけで豪邸暮らしできるようなものじゃないからだ。DVD販売といっても、そこまで莫大な利益を上げられるわけではない。アニメを制作し、それを人々にきちんと届くように作ろうと思ったら、それこそイベントを開催したり、グッズを作ったり、ラジオを始めたり……ありとあらゆるものに金がかかる。それくらいやらないと、ユーザーの意識になかなか届かないものなのだ。収入が出たら、関係した人々全員にお金を配らなくてはならない。仕事をしてもらったのだから、当然だ。すると個々の給料は少なくなる。アニメは制作も収入もギリギリのところで動いている。だからみんな貧乏暮らしなのだ。

 ネットでよくいわれる話に、「製作委員会だけが莫大の利益を得ている」という話も違う。
 どういうことかというと……この業界(一部の例外はあるが)、高級車に乗っている人ってほとんどいない。庭にプール付き豪邸に住んでいる人もいない。みんな普通にアパート暮らし。上にいる人もそこそこ貧乏やっている。宮崎駿監督は確かに別荘を持っているけど、別荘持っているようなアニメ業界人なんて、ごく少数。本当に莫大な利益を独占しているなら、みんなもっと高そうな服を着ているはずだが、そんな人はいない。
 テレビ・新聞業界の人は、この不況の最中でも高級車乗っているという話は聞くのだが、アニメ業界となると、そういう話は本当に聞かない。
 忘れられがちだが、製作委員会はいろんな業種の連合なので、確かにアニメビジネス全体の取り分を見ると多く感じるが、製作委員会の中でも細かく細かく分散されている。最終的な一人当たりの取り分となると、さほど大きな金額でもない。

 だが、もちろん製作委員会は素晴らしい仕組みだとも言わない。
 やはり製作委員会は制作会社ではないから、勘所がわかっていない。お金が入ると思ったら、現場のキャパシティを無視してどんどん発注し、その結果現場が崩壊していく……そんなことはよくある。製作委員会は現場のキャパシティがどこにあるか、いまいちわかってないんじゃ……という疑惑はある。
 それに、外部から投資があっても、製作委員会は慎重になって、そのお金でハリウッドがやっているような一点集中型の「すごい作品を作ってやろう」と発想しない(そういうすごい作品を作ろうとしても、描けるアニメーターは少数だからうまくいかないだろう)。もしもの失敗に備えて、お金を分散させてしまう習性がある。お金を分散させて、作品点数を増やし、現場のキャパシティを無視して制作を発注して……その結果クライシスを迎える。
 製作委員会は制作の現場を知らないから、こんなバランスを欠いた問題を起こしうる。

 さて、ここからは私の個人的な経験談の話をしよう。
 私は2000年頃、アニメーターをやっていた。
 ……いやいや、待ってくれ。「とらつぐみみたいなロクに絵を描けないやつがアニメーターだったわけないだろ!」と読んでいる人のほとんどが思ったはずだが、その話はちょっと後回しにしてくれ。まず話を聞いてくれ。

8-1コマ3切り出し

↑アニメーターじゃないとわからない話満載の一コマ。右上の「歩き」動画は、試してないが、重ねてみると普通に動いて見えるはず。

 さて、私がアニメーターだった頃の話。その当時、私の務めていた会社ではとある作品を受け持っていたのだが、その作品が突如放送打ち切りとなってしまった。
(タイトルは明かせない。私の立場で明かしていいものじゃないので)
 後で事情を聞いたところによると、そのアニメは玩具会社一社提供作品だったらしく、テレビアニメ放送は宣伝で、主力商品がおもちゃだった。が、このおもちゃがまったく売れなかった。おもちゃが全く売れず、会社倒産、アニメ放送打ち切り……ということだったのだ。

 その後になって、お店で肝心の「売れなかったおもちゃ」が300円のワゴンセールに出されていた。あまりにも哀れに思えたので買おうかと思ったが……結局買わなかった。
 その作品はそこそこ人気で、今でも時々pixivで見かけたりする。「子供の頃好きだったあのアニメ」ということで二次創作を書く人はちらほらいる。人気はあるのだが、しかしその作品はその後、DVD化もされず。映像化権利がどこかに吹っ飛んで行方不明になったのか、それとも大惨事を起こした作品だから誰も手を付けないでいるのか、それはよくわからない。

 こんな話をしたのは、もしもアニメが一社提供で、主力商品が売れなかったらどうなるのか……という話を紹介したかったからだ。会社がひとつ潰れてそこの社員が路頭に迷い、作品は放送打ち切り、果たして私のいた会社は制作費を受け取ったのだろうか……(私は給料は受け取っていたが)。アニメは制作費が莫大だから、ハイリスク・ハイリターン、失敗したときの惨事が大きいのだ。
 そこで製作委員会だ。製作委員会はいろんな企業の連合で、リスクを分散しあっているから、大惨事級の失敗があってもとりあえず共倒れを防ぐことができる。
 私はそういう元会社が倒産して突如制作打ち切り……という話をごく近いところで聞いていたから、製作委員会は必要だと感じていた。

 たぶん、私がアニメーターだった……なんて話をしても誰も信じないだろう。こういうブログを書き始めた頃には私は完全に絵描き引退して一枚も絵を描いてなかったし、アニメーターだった話は過去のもの、ネットは自分の信じたくないものは信じない世界。ちょっと前なら「嘘松」と言って切り捨てただろう。ネットがそういう世界だとわかっていたから、私も言わなかった。

 でも私は元アニメーターだった。
 その時の体験話で、私の限界はせいぜい月生産500枚程度だった。動画の単価は150円なので、月収は最大でも7万5000円。でも実際にはほとんどの月でそんな給料もらえなかった。私は年収110万円以下のアニメーターだった。
 動画マンとして生存可能かどうかは、月1000枚描けるかどうかで決まる。もちろん、「へのへのもへじ」が1000枚ではない。描くのに1時間掛かる絵を月1000枚だ。それがどんな無茶かわかるだろうか。
 私の時代でも、アニメーター就職希望者の中には「アニメーターになると親に言った瞬間、勘当された」という人もいた。アニメに対する偏見が強く、アニメ制作者を犯罪集団か何かだと思っている親はその当時はいた。その子は残念だけど、アニメーターとして生存できないだろうな……と思った。(熱意はあったし、絵も上手かったが……)
 私の周辺では月1000枚を書き切れる動画マンは一人もいなかった。これは「私の周辺では」という括弧付きの話で、当然ながら探そうと思えば月1000枚のソルジャーはいる。私の周辺では月500枚がみんな限界だった。
 たぶん、私の世代の時点で、月1000枚はほとんど無理ゲーだったんじゃないか……という気がしている。というのも、キャラの線の量が多い。多すぎる。普通のクリンナップするだけで1時間掛かる。それに中割のラフを入れて、さらにクリンナップ。一日生産量20~30枚が限度だ。

 すると動画マンの最初の目標地点は、できるだけ早く「原画マンになること」となる。動画マンとして暮らしていくことはもはや無理ゲーだったから、原画マンになることという目標に向かって必死になるわけである。それができなければ、現場を去るしかない。
 そういうわけで、動画マンとして入ってきた若者達のほとんどは、1年ほどでみんな原画マンへと上がっていくわけである。それができなかった者から消えていく。

 それで私は……最後まで原画マンになれなかったアニメーターだった。
 そそっかしい人は、私が「元アニメーターだった」という話だけを見て、「とらつぐみみたいな絵が描けかないやつが……」とコメント欄に書こうとしただろう。君たちの考えは正しい。私は原画マンに上がることができなかった。絵描きの才能はやっぱりなかったのだ。
 それどころか私は体を壊してしまった。アニメーターを1年ほど続けた段階で右肩が痛み出し、そのうちにも腕を肩から上へあげることができなくなってしまった。
 整体……? 当時は貧乏だったので、病院なんて「いくらかかるんだろう」と怖くて行けなかった。私はアニメーターを辞めた後も、半年以上は右肩の痛みに耐えて過ごしていた。右肩が使い物にならなくなったから、絵描きもやめた……というわけだった。
 何かの幸運で原画マンに上がれたところで、右肩を壊して辞めていただろう。
(2014年、何の因果か私は再び絵を描き始めて……結局すぐに辞めてしまったが……いまだに肩が弱かった。壊れて放置した肩は治っていなかった)

 本書には仕上げに関する話も載っている。仕上げもかつては動画マンと同じく薄給職だったが、2000年のデジタル化が始まってからは話が変わった。デジタル以前は絵具を使ってセルを1枚1枚塗っていたが、デジタル化以降はバケツツール一発で塗りを完了させられる。アニメ専門の塗りツールというものがあって、例えば動きの少ないカットだと10枚くらい一気にばーっと塗ることもできる。
 仕上げはデジタル化の恩恵を受けて、1枚当たりの単価は変わらなかったが、全体としての収入は上がった。ついでにデジタル化によって撮影もかなりの合理化が進んで、精度もスピードも上がった。デジタル化は色んな部門が恩恵を受けた。
 ところが動画マンだけはデジタル化の恩恵を何も受けることができなかった。動画マンだけが相変わらず手書きで1枚1枚絵を描かなければならない。ここで給料格差の問題が起きた。

 もう一つの問題はアニメーター達の世間知らずだ。
 動画マンの単価は1枚150円。手塚治虫が『鉄腕アトム』をはじめた1966年頃からほとんど単価は変わってないらしい(1960年当時は1枚100円だった……という話は聞いたことがある)。
 それでも1966年当時は、動画マンは動画マンの仕事だけで普通に生活することができたと聞く。当時はキャラクターの線も少なかったし、なにより物価が低かった。演出は1本受ければ、都内で一戸建てに住めたと聞く。
 「アニメーターの薄給は手塚治虫が悪い」……という話は聞くが、それはちょっと事情が違う。動画1枚100円は現代の貨幣価値で見れば安いが、当時はそれで生活が可能だった。たぶん、その当時から安かったとは思うが、その時代では、動画マンはそれで一人で自立しての暮らしは可能だった。

 問題なのは、「その後」だ。
 あれから50年。日本はあらゆるものの物価が上がった。アニメキャラクターは線のオバケになり、動画マンの生産量が減っていく。しかし動画マンの単価が変わらなかった。そうすると動画マンはアニメーターとしての生活ができなくなっていく……。これは当然考え得る話である。
 ところが、アニメの現場でこのことをきちんと認識できている人はいなかったように思える。アニメーターは世間に出ることがほとんどまったくない。だから世間の物価が変わって、1枚150円の収入じゃどう考えても生活ができない……ということに気がついていなかったんじゃないだろうか。というのも、そこを深刻に考えていた人が、現場の誰もいなかった。
 私はアニメ専門学校に通っていたのだが、そこでよく聞かされた話が、「親の金がないと生きていけない」。ということは、社会の物価とアニメーターの単価が釣り合いが取れていないことに気付いてはいるということだ。そんな状況はアニメ会社や業界のほうが放置していいわけがない。
 「親の金を頼って生きていけ」という話の方が“業界の常識”になっていき、そちらのほうに合わせることが普通になってしまった。これは本来は業界の方がなんとかすべき問題だ。だがなぜか、業界の狂った体質に、お金のない若手の方が合わせることが“常識”になっていた。これがおかしいことに、業界の誰も気付かなくなっていたことが大問題だった。
 私も若かった頃は「それはそういうものだ」と思い込んで、その場にある考えに合わせようとしていた。でも後になってよくよく考えたら、これは明らかにおかしい。

 ではどうして、業界の側がこの問題に手を加えようと誰も考えないのか?
 事実として、今においてもアニメの現場から、動画マン年収110万円問題を是正しようという声があがらない。業界にいるベテランでさえも……いや、むしろベテランであればベテランであるほど、この問題を問題だと声を上げる人がいない。これは風聞ではなく、私が直に現場で体験した話だ。声が上がるのは、いつも外からだ。
 いや、それどころか、むしろ「問題は維持すべきだ」という声すらある。これはなぜか?
 それはおそらく、「美談」にしているからだろう。アニメの現場に入りたての最初の頃はこんなに苦労したけれど、その当時の苦労があったから頑張ろうという意欲に燃えて、今という自分があるんだ……と。苦しい立場から這い上がった自分というプライドがあり、そこに至る物語を「美談」にしているから、誰も問題だと言わないのではないか。
 「美談」であるから反対しにくい風潮があるし、若手も「なんかおかしいな」、と思いながら、自分がそこから抜け出す頃には業界特有の風潮に染まって、「あの貧しい頃があったから今の俺がある」と美談にし始める。
 だから今の時代でも、人工的に苦しい状態を作り、それを乗り越えた若者の意識に「美談」を構築させるために、あえて「動画マン年収110万円」という問題を放置しているのではないだろうか。

 実際、動画マンの問題を「維持すべきだ」と言うベテランの中には、「動画マンの段階でそんなにいい給料をもらったら、上にあがろうという意欲がなくなる」という意見もあった(こういったベテランの若かった頃、というのは今より物価がもっともっと低かった時代だ。おそらく自分が若かった当時と物価が変わったことに気付いていないのだろう)。この辺りは本に載っている話ではなく、私が実際に聞いた話である。言った人の顔も覚えている。
 こういう意見を言う同じ人は、固定給になっている某アニメ会社を徹底的に批判する。「おい、あの会社では絵を一枚も描かなくても給料もらえるらしいぞ」と。これは本当に、何度も聞いた。
 古参のアニメーターほど、固定給を蛇蝎のごとく嫌っている。固定給になると、良い仕事も雑な仕事も同じ給料ということになる。すると良い仕事をしようという意欲がなくなる。だから固定給なんかは邪道なんだ……と。固定給反対派はだいたいこの意見だった。

 アニメーターの低給がどうして是正されずに残ってきているのか、私が考えるに、一番の問題はアニメーター自身だ。
 アニメーターは世間知らずだから、世の中の貨幣価値がどうなっているかよく理解していないし、社会の常識が変化していることもわかっていない。アニメキャラクターが線のオバケになっていて、月1000枚なんぞ無理ゲーという状況をわかっていない(いや、ある意味でわかっているが、わかっているうえで根性論剥き出しにして「やるべきだ!」と言ってしまっている)。そのうえに頑固で考え方が古くさいから、その業界でそういう因習があるなら、その因習に従うべきだと考える傾向がある。アニメーター達は職人であるから、残念ながらあまり理性的に物事を考えられるタイプがいない。
 私は前から思っているのだが、アニメーター低給問題は現場が声を上げて、製作委員会に直訴したら意外に解消されるのではないか……と考えている。別に制作費をいきなり2倍にしろという話ではない。たぶんあと1000万円ほど増額することで意外と解決する問題なんじゃないか……と考えている(試算も出していないが)。

 ここで「作画監督や演出は高い給料をもらっているから、ここから引いて動画マンに分配すれば」という意見を持つ人がいるかも知れない。しかし動画マンは1人や2人ではなく、数十人もいる。作画監督や演出の給料を引いて、それを動画マンに分配しても、1人1万円以下だ。それだと効果が薄い。
 それに、作画監督や演出は動画マンと比較して遙かに業務時間が長く、責任を負った仕事だ。彼らが高級をもらうのは当然の権利だ。
 給料を高くもらっている人からマイナスして、給料を低い人に配る発想は、「全員で貧乏する」発想でしかなく、それだと根本解決にはならない。単に業界全員で貧乏になるだけだ。それよりかは、制作費自体をあげたもらったほうがいい。

 というわけで、アニメーター薄給問題の一番の壁はどこにあるのかというと、アニメーター自身の方じゃないか……と私は考える。

 最後に蛇足を。
 ディズニーは制作と流通が一体となっている。これが究極的な強味になっている。日本にはディズニーのような、海外に向けた発信の術はないのだろうか……?
 というこの感想文を書いているまさにその時、ソニーがアメリカクランチロールを買収したというニュースが飛び込んできた(2021年9月頃執筆。買収完了のニュースが出たのは、8月10日)。クランチロールといえば、アメリカ最大のアニメ公式配信サイトである。これをソニーが手にした、という事実は大きい。
 というのも、これでアメリカに直に作品を紹介し、配信するサイトを得たということである。これでプラットフォーマーとして圧倒的な強味を発揮できるようになる。今までアメリカでの配信は第三者の手を介するというワンクッションがあったが、これからは直接アメリカのユーザーにアピールし、収益を手にしていくことができる。うまく行けば収益の形に革命が起きるかも知れない。
 アメリカには(アメリカに限らず)その国独自の流通網があり、その流通網にはその国特有の習慣や仕来りというものがある。こういうものの中に、海外の企業が入っていくことは容易ではない。アニメが人気であるはずなのに海外展開に失敗するのは、こういうところにうまく入っていけないからだ。
 例えばアメリカでは流通がやたらと多い。ほとんど出版社一つにつき流通が一つというくらいにある。すると本屋は、どの流通と契約を持つかが生き残れるかどうかに関わってくる。ここに、日本の漫画は入っていくのは容易ではない。ただでさえ、色んな流通と契約しているのに、さらに日本とかいう遠い国の出版社と契約して、もしも売れなかったらリスクだからだ。
 任天堂がアメリカでのビジネスでうまくいっているのは、「ゲーム業界」なるものが生まれる黎明期の頃から、何十年もかけてその国での流通網を獲得することに成功してきたからだ。
 その任天堂だって、あらゆる国でビジネスがうまくいっているわけではない。販売の歴史の浅い国では、主導権を持っていなければ存在感を示すこともできていない。人気があっても、ごく小さくでしか販売店のコーナーを獲得できていないことがある。外国でモノを売っていくということは、それだけ難しいのだ。(日本でXboxの展開がうまくいってないのも、こういう理由だ)
 クランチロールを買収したということは、ひとまずコンテンツを紹介するチャンネルを獲得したということになる。ここから収益化に向けた展開がうまくいけば、アニメビジネスのこれまでにないプラスになるはずだ。
 ただ……ソニーはそこまでアニメの制作に力を入れていない……という引っ掛かりがある。確かに『鬼滅の刃』は猛烈なメガヒットを飛ばした。『鬼滅の刃』級のヒットアニメコンテンツをたくさん持っているわけではない。
 それにソニーそのものの決定権が日本ではなくアメリカに傾いている。ソニーは本当に日本の企業だったかな……というくらいだ。そんなソニーに、日本のコンテンツを紹介する気概があるのだろうか。
 せっかく配信メディアそのものを手にしたのに、それを活かすアイデアや人材がいなければ、意味のない出費ということになってしまう。これまでアニメが海外展開に失敗し続けてきたのは、担当した人が海外での習慣をまったく理解していなかったからだ(英語すら喋れない人が担当していたこともあった)。うっかりすると、今回も同じことの繰り返しになる。
 クランチロールが良きアニメ発信のプラットフォームになれば理想的だが、ソニーらしい排他性……ソニー以外の作品排除に動けば、マイナスになる。ソニーはソニーのためだけに動くのか、業界全体のために動くのか。さて、どうなるか?


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