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映画感想文 テネット TENET

!ネタバレあり!

 Netflixについに『テネット TENET』配信……は、ちょっと前から配信されていたけれど、やっとこさ視聴することができた! いやいや、マイリストに山ほど映画を放り込んで、1本1本観てはこうやって感想文を書いているのだけど、すると視聴するのにめちゃくちゃに時間かかっちゃって……。感想文を書くために毎回2回視聴して、その感想文もそこそこ長いので……。

 映画『テネット』を特徴付けているものは、「タイムトラベル」の有り様について。今までの映画に出てくる「タイムトラベル」といえば、ある特定の時間にぴょんとワープして、そこに流れている時間軸の中へ入っていく……という発想のものがほぼ全てだった。映画『テネット』が斬新であるのは、「時間が逆行していく」という現象を提唱し、映像で表現してみせたことにある。
 映画『テネット』の中で未来からやってきたモノというものが登場してくるのだけど、それはある日突然、特定の空間に出現してきたのではなく、「未来から時間が逆行して私たちの元へやって来た」という設定で作っている。
 そうすると、「タイムマシンなるものが未来の世界で発明されたのなら、どうして我々の前に未来人は姿を現さないのか?」という問いに対する答えになっている。タイムマシンはいきなり時間をぴょんと跳躍してくるものではなく、徐々に時間を逆行して、どこかで私たちと交差するものだから、未来人がやって来ても「すれ違うだけ」だという説明ができる。遠い未来から人や物を過去に送ろうとしても、ゆっくり逆行していくのだから、私たちの時代までやってくるまえに朽ち果ててしまう(朽ちにくい物だったとしても、それが未来から逆行してやって来たなんて気付かない)。だからやはり未来人は私たちの前には姿を現さないという理屈になる。
 そうした発想で作られた『テネット』の映像は極めてユニークだ。映像の中で描かれているものがどんどん逆へ進んで行く。映像的にトリッキーだし、そんな発想で作られた映画は過去にほぼないから、新鮮な映像体験をもたらす。時間が逆行する映像は、要するに映像を撮ってフィルムを逆回転させているだけなのだが、もちろんそれだけだと面白くない。逆行の映像に「順行」の現象も交差させる。この二つを交差させることで、映画は特別な個性を獲得していく。
 最近の視聴者は、映画の中で奇妙な映像を見ると、何でも「はいはい、どうせCGでしょ」と反応する癖があるが、おそらくこの作品ではほとんどCGは使われていないだろう……というのが私の推測。

テネット (58)a

 メイキングビデオその他一切見ていないから推測で話をするのだけど、逆回しをするシーンは、逆回しを想定して、カメラの移動を「逆方向」に動かして撮影する。次に俳優を置いて、さっきと同じ場面をカメラ移動順行で撮影する。この二つの素材を合成すれば、CGを使わず逆回しの映像と順行の映像が同時に交差するということになる。私の想像では、だいたいのシーンはこうやって撮影したんじゃないかと考えている。
(合成をするときにコンピューターは使うけれども……。でもCGで空間を作ったり、流体を生成しているわけではないだろう)

テネット (54)

 「順行」と「逆行」を交差させる試みは、普通のシーンだけではなく、アクションシーンにこそふんだんに登場する。でも私の想像では、ああいったシーンもほとんどアナログではないかな……という気がする。逆走する車はカースタントが実際に逆走しているのだろうし、格闘シーンもやはりスタントマンが逆向きを想定してアクションしているのではないだろうか……。
 監督のクリストファー・ノーランはみんなが想像する以上にアナログ志向監督で、トリッキーな映像も、ほとんどCGなしでアナログな仕組みをうまく利用して表現している。CGなどを使わなくても、アイデア次第ではまだみんなが見ていない、想像もしていない映像を作れる……そういう志向を持っている監督だ。不思議映像はなんでもかんでもみんなCGではないのだ。

宇宙船レッドドワーフ号 201903IEmuunDY9E

 しかし実は……こういう『テネット』的な発想で作られた映像作品は、これが初めてじゃないんだ。私が『テネット』を観ている間、連想していた作品がある。それはイギリスBBC制作のSFテレビドラマ『宇宙船レッドドワーフ号』だ。
 NHKで1998~1999年の間に放送されていた海外ドラマで、私はこのドラマが大好きだった。『宇宙船レッドドワーフ号』はコメディドラマで毎回ユニークなSFエピソードが展開する作品だ。お話は一見するとコメディらしく馬鹿馬鹿しく、荒唐無稽に思えるが、実はきちんとしたSF考証の上で作られた、「いい加減」のように見えて「真面目」なSF……いや、真面目にふざけたSFだった。私はこの作品で、SFの基本を学んだように思える。
 その『宇宙船レッドドワーフ号』の一編に、こんなお話があった。20年前の作品なので、私自身、自分の記憶を探りながら話をするが、あるとき、主人公達一行はいきなり数億年の未来世界へとタイムスリップしてしまう。
 宇宙というのはビッグバンによって誕生した。その時の爆発の勢いは今も衰えることはなく、宇宙というのは膨張を続けている。その膨張の勢いが加速を続けているから、時間も少しずつ早くなっている。ところが数億年の後、この膨張は勢いをなくし、今度は逆に収縮をはじめる。すると時間は逆行をはじめる。映画『テネット』的に言うと、「エントロピーが減少する」状態に入る。『宇宙船レッドドワーフ号』の主人公達はその「逆行中」の世界へとタイムスリップしてしまうのだ。
 時間が逆行していく世界や社会はどうなっていくのだろうか?
 まず食事をするときは、空のお皿に向かって食べ物をゲロゲロ吐いて、全部吐き終えると皿の上にきちんと盛り付けられた食べ物ができあがる。『テネット』でも数週間時間を逆行していくシーンがあったから、そこでもしも食事シーンが描かれたら、お腹のモノをゲロゲロ吐いていたはずだ。未来の人にとっては満腹状態は避けねばならぬ事態で、吐いて空腹にならなければならないのである。すると料理人は、完成した料理を元の食材に戻すわけである。(オシッコやウンチはもちろん……)
 他にも、散らかった部屋があったら「よーし片付けるぞ!」と部屋で大暴れして、暴れ終わったら綺麗に部屋が片付くわけである。時間が逆行していく状態を真面目に考えると、そういう描写になるのだ。
 そういう20年前に作られたSFテレビドラマの内容が頭の中にあったから、まさか『テネット』という作品の中で、高級な画面で「逆行」世界が再現されていることに驚いてしまった。そういうわけで、少し懐かしくも嬉しくなってしまった作品だった。
(※ 後で知った話だが、遠い未来では「時間が逆行する説」は現在では「あり得ないこと」と否定されているそうだ。よくよく考えると、時間が逆行しているとはいえ、食べ物を吐いてしまうとエネルギーの補給ができないので、例え時間が逆行していても食べ物はお腹の中に入れなくてならない。映画『テネット』の場合、食事をどう摂っていたのかは謎)

 前置きがすっかり長くなってしまったが、いつものようにストーリーを前半を2つに分けて見ていくとしよう。『テネット』は2時間半の映画なので、区切りが40分、40分ごとに作られている。まず最初の40分を見てみよう。

テネット (1)

 冒頭はキエフの国立オペラハウスのシーンから始まる。
 これから演奏が始まる……という時、突如テロリストグループが突撃する。
 オペラハウスの外では特殊部隊がすでに待機していて、テロリスト襲撃が始まったと同時に突撃作戦が始まる。かくしてオペラ会場は銃弾飛び交う阿鼻叫喚の地獄と化した。
 しかし実は、テロリスト襲撃もそれに対抗する特殊部隊突撃も、観客の一人として劇場内にいるCIAスパイを暗殺するための偽装だった。
 主人公はその特殊部隊に混じって、暗殺ターゲットにされているCIAスパイを救出し、オペラハウスから連れ出すことを目的としていた。
 主人公は「証拠隠滅」としてオペラハウスに設置された爆弾を観客から遠ざけ、さらにターゲットにされていたCIAスパイ救出に成功する。

テネット (8)

 が、成功したと思えた直後、逃亡に失敗してロシア人特殊部隊に掴まってしまう。
 主人公は拷問を受け、自殺薬を口に含み、昏睡状態に陥る。

 ここでタイトル『TENET』。およそ8分30秒ほど。

テネット (12)

 主人公が目を醒ますと、そこは船の上だった。自殺用の薬だと思ったものは睡眠薬だった。いったい何が起きたかわからない主人公に、男は「これはテストだった」と告げる。
 男は主人公に、国家を超越するある任務に就くことを依頼する。
「冷戦が起きている。真実を知ることは破滅に繋がる。情報は限られる。君に与えられるのは、これと、ある言葉だけ。TENET。扱いは慎重に。開くのは正しい扉だけじゃない」

テネット (13)

 男の指令を受け、とある研究所へと向かう。
 そこにあったのは、「未来からやって来た」という石の塊だった。その石の塊に向かって銃を撃つと、石にめり込んだ銃弾が銃口へと戻っていく。
 弾丸は普通、前へ進む。しかしエントロピーが減少すると、逆へ動く。だから未来から逆行してやってきたモノの前で銃弾を撃とうとすると、逆に弾丸が銃口へ戻って行ってしまう。原因と結果が逆になるのだ。
 主人公は、ふとオペラハウスでの任務中、同じ現象を目撃したことを思い出す。あの時も、銃弾が逆へと動いていた。すでに主人公の周囲で“何か”は始まっていた。

テネット (16)

 主人公は銃弾の出自を探るため、製造地を特定し、インドへと向かう。銃弾を製造し、売ったのはムンバイにいるサンジェイ・シンと呼ばれる“大物”だった。邸宅の周囲は警備厳重で、気軽に会える相手ではない。
 そこで、ニールと呼ばれる男と合流する。
 ニールの提案で「バンジー飛び」でサンジェイ・シンの邸宅へと飛び込み、接触を図る。すると、サンジェイ・シンは見せかけで、黒幕はその妻であるプリヤだった。

テネット (17)

 銃弾を売った相手は、ロシア人のアンドレイ・セイターという名前の男だった。表向きには天然ガスで富を築いたとされるが、実はプルトニウムが本当の商売だった。
 プリヤがこのアンドレイ・セイターに銃弾を撃ったときは、特に「逆行する不思議な銃」でもなんでもなかった。銃弾はセイターが逆行させた……という情報を得て、会ってみることにする。

テネット (19)

 プリヤの紹介でイギリスへ。英国情報部マイケル・クロズビーという男に会う。
 そこでセイターと呼ばれる人物の情報を得る。ロシアのスタルスク12という、1970年代に捨てられた街で生まれた。2週間前のオペラ劇場襲撃と同じ日、スタルスク12でも大きな爆発があった。
 セイターはやがて古里を出ると、金の力で英国の支配階級へ上り詰めていった。セイターが利用したのは、“バートン卿”の娘である、キャサリン・バートン(キャット)の力だった。  セイターとキャットが出会ったのは競売の会場だが――しかし、その出会いはロマンチックなものではなかった。
 キャットはその以前、トマス・アレポという男と“男女の仲”だった。だがアレポは贋作師で、ゴヤの贋作を作ってシプリーズの競売に出した。その時の鑑定士がキャット。
 セイターは900万ドルでゴヤの贋作を手に入れ、これでキャットを脅迫し、結婚。“バートン卿”の娘と結婚したことによって、イギリス支配階級の仲間入りしていた。

テネット (23)

 主人公は、ゴヤの贋作を持ってキャットと面会。
「トマス・アレポから手に入れた」
 と言っただけで、こちらの話に応じてくれた。

テネット (24)

 キャットはセイターに脅迫されていた。美術品詐欺で警察に通報するぞ、と。それで意に沿わない結婚をさせられ、息子も奪われてしまった。セイターから逃れられない状態に陥っていた。
 主人公はキャットを解放するために、ゴヤの絵画を盗み出すことを約束する。

テネット (29)

 ゴヤの絵画は空港の倉庫に保管している。ロータス社所有の美術品専門の倉庫で、空港内倉庫なのでタックス・ヘイブンとなっている。
(※ タックス・ヘイブン 一定の課税が軽減、ないし完全に免除されている地域のこと。空港内だからその国の課税対象になっていない)
 金庫室は一部屋一部屋完全に独立していて、他の部屋で何かあっても影響は一切なし。もし火災が起きても10秒で締め切られ、ガスで火が消し止められる仕組みになっていた。
 主人公達はその倉庫に、飛行機1機をまるごと突っ込ませる作戦を思いつく。さらに滑走路に金塊をばらまき、人々が飛行機と金塊に気を取られている隙に絵画強奪をしようと考える。

テネット (33)

 決行当日、飛行機が倉庫に激突して炎上。周辺から人々が避難し、誰もいなくなったなか、主人公達は計画を実行に移す。  その途中、倉庫の中心部にある謎の部屋に近付く。何者かの気配がする。その部屋に入っていくと――突如2人の男が飛び出してくる。主人公は謎の男と格闘戦を演じるが、謎の男は奇妙なことに、自分たちとは「逆」に動いていた。周囲に散らばっていた銃のパーツが男の手元に飛びついて合体するし、さらに撃つと銃弾が銃本体へと戻っていく。謎の男は「逆行」で動いていた。
 主人公はどうにか謎の男を組み伏せるが、ニールが「殺すな。情報を持っているかも知れない」と警告した瞬間、謎の男はシャッター下に吸い込まれて、消えてしまった。

 ここまでが前半約45分。情報量が尋常じゃないね。
(映画『テネット』は2時間半の映画なので、45分ほどのところで最初の区切りが来ている。アニメで言うところの「Aパート終了」だ)
 私も一回目の視聴時、内容のほとんどを理解することができなかった。2回以上の視聴は絶対必要な作品だ。

テネット (2)

 まず映像だけど、見始めて「あ、やっぱり20インチのモニターで見るものじゃないな」と感じた。この作品に限らず、クリストファー・ノーランは劇場の大きな画面で見ることを想定した画面作りをする。冒頭のオペラハウスのシーンにしても、観客一人一人の顔がわかるように撮られており、これは劇場のスクリーンで見たらそれだけで圧倒されるはずだ。クリストファー・ノーランはそういう劇場向けのどっしりした構図作りこだわりを持つ監督だ。クリストファー・ノーラン監督が「映画は劇場で」にこだわるのは、こういう構図作りがテレビサイズだとイマイチ力を発揮しないことがわかっているからだ。

テネット (4)

 上のカットには、4人並んだ特殊部隊がいて、そのうち3人はマスクが曇って顔が見えない。その中、主人公だけ顔が見えるようになっている。20インチモニターで見ると、これは「ギリギリ見える」程度になる。劇場なら、かなりはっきりと俳優の顔が見えたはずだ。クリストファー・ノーランはそういうところまで計算して映像作りをしている。
 そうはいっても、普段なかなか劇場に行ける機会がないので、20インチのモニターで観るしかないわけだけど。

 冒頭、仲間同士の合い言葉として「黄昏に生きる」「宵に友なし」という言葉が使われている。
 「黄昏」とは昼と夜の端境、日本では「逢魔が時」と呼ばれる時間だった。日常と異界の端境とされる時間だ。「黄昏に生きる」とは、主人公達がその境界に生きている人……ということが示されている。
 次に「宵に友なし」とは、「死後」のことだろう。黄昏という「境界」を通っていき、宵である「死の世界」へ行く。「友なし」なのは、死はいつも一人であるからだ。
 このオペラハウス襲撃シーンの後、主人公はまさに一度死亡する。薬を口に含み、顔をクローズアップしたところで『TENET』とタイトルが出る。ここで主人公のアイデンティティは一度死ぬことになる。
 冒頭、主人公は「アメリカ人」と呼ばれ、以降は「誰それ」とも呼ばれなくなる。これはつまり、アメリカ人としてのアイデンティティを喪った存在。ある意味ゴーストのような存在になったことを示唆している。
 映画『マトリックス』に出てきた二つのカプセルを覚えているだろうか。ニュアンスで言うと、あれと同じである。
 しかしあの銀のカプセルは睡眠薬だった……と説明される。映画の最後の方で、セイターが銀色のカプセルを手に持っているシーンがある。冒頭に出てきたカプセルと同じもので、それは睡眠薬などではなく、自殺薬だ。このシーンを見ると、果たして冒頭に出てくる薬は、本当に睡眠薬だったのか? という疑問が生じる。
 おそらく睡眠薬だったのだろう。でも隠喩的なニュアンスで、主人公はあそこで一度死亡し、幾多の超現実的な事件をくぐり抜けて、新しいアイデンティティ・自我を獲得するまでを物語としている。

 さて『TENET』についてネットで調べると、必ずある画像へ行き当たるはずだ。
 「SATOR AREPO TENET OPERA ROTAS」と書かれたラテン語の回文だ。意味は「農民のアレポが仕事として車輪(鋤?)を持っている」。文字を並べると、次のようになる。

S A T O R セイター
A R E P O アレポ
T E N E T テネット
O P E R A オペラ
R O T A S ロータス

 下から読んでも上から読んでも、右から読んでも左から読んでも同じ言葉になる。こんな言葉よく考えたね、そしてよく見付けて映画に採用したよね。
 見ればわかるように、映画中に出てくる固有名詞は、だいたいこの回文から採られている。
 回文になっているのは名前だけではなく、映画全体の構成、個々のシーン構成も回文・反転状態になっている。
 冒頭、オペラハウス襲撃を偽装したCIA工作員暗殺計画の只中、主人公は真逆の任務を密かに受けていて、計画を実行に移そうとしている。これも表面的な状況に対する回文になっている。
 プリヤに会いに行くシーンは地上から上界へ逆バンジーをする。逆バンジーをする直前、主人公達は地面に寝転がって身構える。これも「逆行」を意識したシチュエーション作りだ。
 映画全体が回文・反転になっているのは、このオペラハウス襲撃シーンの同じ頃、別のところでクライマックスシーンが展開していることに繋がっている。映画の色んなところが常に回文・反転になっていて、それぞれの意味を補強させている。いやいや、よくもここまで作り込んだね……と恐れ入る脚本だ。

 ちなみに、回文の意味は、

SATOR
  種まき、プランター、創設者、祖先(祖神)、始祖。
AREPO
  意味不明。おそらく固有名詞であり、創作されたものか、エジプト起源のものと見られる。
TENET
  保持する、保管する、理解する、所有する、学ぶ、保存する、維持する
OPERA
  仕事、世話、援助、労働、サービス、努力・トラブル
ROTAS
  回す、回転させる

 とWikipediaに書かれている
 それぞれの意味を、映画中に登場するキャラクター、ギミックと合わせてみると、意味がわかってくるだろう。
 不思議なのはAREPOアレポ。意味は「不明」。たぶん、「現代では意味は伝わっていない」という解釈だと思うが……。映画『テネット』ではトマス・アレポという人物が登場してくる。トマス・アレポは贋作師で、劇中に姿を現していない。贋作師ということは「絵描きとしてのアイデンティティを持ち得ない」人物で、しかも劇中に姿を現さない。「意味不明」という説明に映画の設定を寄せるように作られている。
 そのアレポが作成した贋作というのがゴヤ。ゴヤといえば18世紀スペインの宮廷画家だ。なんでゴヤなんだろう……意味はあるはずだと思うけども……。一つ思い当たるとすれば『着衣のマハ』『裸のマハ』の二つの作品。『着衣のマハ』と『裸のマヤ』は絵画史上でもユニークな二重構造の作品だ。でもそれだけだと弱い。ここでゴヤが採用された理由は私には思いつかなかった。
(後になったもう一つ思い当たったのが『我が子を喰らうサトゥルヌス』。サトゥルヌスは我が子(ハデス、ポセイドン。ゼウス)を食べてしまうが、後に吐き出されて、もともとハデスが長男でゼウスが末っ子だったが、この関係性が逆転してゼウスが長男になってしまった。またサトゥルヌスは時を司る神でもある)

 逆行する謎の銃弾の出自を求めて、主人公はインドへ、次にイギリスへ、そこでロシア出身のセイターという人物に行き当たり、接触を試みようとする。
 クリストファー・ノーラン監督のユニークなところは、今作の場合は「タイムトラベル」というファンタジックなギミックを採用しながら、作品の抽象度を低く抑え、映画全体のリアリティレベルを一定に維持し続けているところだ。あたかも映画の中でのできごとが本当に現実で起きているかのようなリアリティを持って描いている。この印象を作り出しているのは、抽象度を落とさないように、その周辺に起きる出来事や社会観をガッチリ描き込んでいるからだ。
 これはかなり大変なことで、「タイムトラベル」という突飛なギミックが出てくるのだから、「細かいところは良いじゃないか」……というような甘えや妥協を一切許さない映画作りをしている。

 クリストファー・ノーラン監督はトリッキーなアイデアで映画を作ることで知られる映画監督だが、私にはもっと素朴なところからアイデアを育んでいるように思える。
 例えば『インセプション』は、「カットバック」という技法そのものをテーマにしているんじゃないかと私は考えている。クリストファー・ノーラン監督はやたらと「カットバック」を多用する監督ではあるが、そのカットバックそのものに特定の意味のある「物語」を与えるとどうなるか。ある一方では一つの物語が進行していて、もう一方ではそれに紐付いたもう一つの物語が多重的に展開しているとしたら……そういうところからお話を膨らませていったんじゃないだろうか。
 と同時に、クリストファー・ノーラン監督は「時間」にも特別な関心を持っている作家でもある。初期作品『メメント』ではまさに時間がテーマ。映画はラストシーンから始まり、15分ごとにその前へ、その前へと逆行するように描かれている。
 そもそも映画とは、時間をコントロールするメディアだ。映画はだいたい2時間だが、映画中に起きる出来事は数日から数年にわたる。時間が圧縮されたり、間延びしたりしているのが映画だ。その進行を逆方向にしたらどうなるか……ある意味で『テネット』の雛形となる発想だ。
(同様の発想は漫画では実現しないし、ゲームも常にリニアに前方向へ向かっていくメディアだからやはり実現しない。時間をコントロールする映画だからこその発想だった)

 ポイントはそこにどんな「物語」を与えるか。どのような「物語」で肉付けしていったら、大がかりなファンタジーが展開しているのに抽象度を上げることなく、起きている出来事がリアルなものに感じられるか……。
 これを実現するために、クリストファー・ノーラン監督作品は世界で起きている様々な世情を映画の中に投入し、“一つの視線”や“一つの世界観”ではなく多方面から物語に厚みが感じられるように作ってある。
 映画『テネット』の場合は、アメリカ、ロシア、インド、イギリスと地域を変えて、地域を変えるだけではなくそこで起きている文化や現在の政治を取り込みつつ、ガチガチに作り込んでいく。そうすると作品は、「よくよく考えたら奇怪な物語」であるのに、何かとてつもないリアリティを持って立ち上がってくる。
 普通の脚本家・映画監督は「タイムトラベル映画だから」と設定に甘えて、抽象度を上げてしまうところだが、クリストファー・ノーラン監督は抽象度は絶対に上げない。どうやったら抽象度を上げずに、すべてが現実に感じられるように描けるか……もちろんエンタメ作品として楽しい作品に仕上がるか、ここに徹底した神経を注いでいる。だからこそ、映画がトンデモない凄みをもって感じられる。

テネット (25)

 いろいろあって、主人公はキャットと会食まで行き着く。しかし上の画像を見ての通り、キャットは終始腕組みをしたまま。相手に対して強い警戒心を抱いていることがわかる。
 主人公の目的はあくまでもセイターと会うことで、キャットは仲介してもらえばそれでいい。そのキャットから信用を得るために、ゴヤの絵画を盗み出す……。
 しかし主人公はキャットの身の上話を聞いているうちに、次第に表情が真剣になっていき、単に「盗みだそう」ではなく、「キャットを救い出そう」という目標を持ち始める。
 ここがポイントで、こういったSF作品の場合、ストーリー展開やキャラクターの台詞で感動させる……ということが難しい。パズル的に読み解く楽しみはあるけど、情緒的なところでの「感動」は難しい。しかし大多数の映画のお客さんというのは、情緒的に映画を“感じたい”と思っているもの。『テネット』の場合、これにどう対処しているのだろうか。

テネット (11)

 作品をよく見てみると、主人公の情緒をやや大袈裟気味に描いていることがわかる。冒頭の、「仲間達はみんな殺された」と知らされるシーンで涙を流す。キャットの身の上話を聞いたときも、視線はやたらと強くなって見たまま「正義漢」を感じさせる表情になっている。その後の奇怪な現象が起きたときも、意外と表情リアクションは大袈裟に作ってある。
 そうやって感情面をやや大袈裟に描くことで、「クールなSF」から「ホットなSF」へ少しずつ寄せようとしている。こう描くことで、「パズル的な解読だけの作品」ではなく、主人公の情緒や、「キャットを暴力夫から解放できるか」といった感情的な側面が読みやすくなり、その行動の行方を追いかけたくなる。『テネット』の場合は、作品が複雑なだけに、そうした「情緒的に感じられる」描写への配慮が重要になってくる。

 続いて前半の見せ場、ゴヤの絵画強奪・焼却のために、計画を練る主人公達。ここでクリストファー・ノーラン監督お得意のカットバックを使いまくったシーンが出てくる。
 クリストファー・ノーラン監督ではお馴染みのシーンだけど……いつも思うのだが、作るのは大変だろうな……。
 というのも、1ワード言うたびに撮影地を変えて、また1ワードだけ言ってまた次の撮影地へ……と何度も移動を繰り返しながら、しかし同じテンションを保ちながら台詞を紡がなくてはならない。(実際には通して芝居をして、それを切り分けて編集に入れていると思われる)。しかも今作では、現地を下見しながら計画を練る主人公達、倉庫の説明をするキャット、倉庫内を案内するセールスマンと、3つの場面の台詞をひと連なりの台詞にまとめ上げている。とんでもなく複雑だ。
 そうやって作られた一連のシーンは、3つのシーンを圧縮してテンポの良さを生み出しているし(むしろ複雑さを感じず、わかりやすい)、それに滅茶苦茶に格好いいのだけど、実際作るのは大変だろう。時間が掛かるだろうし、やっているうちに役者もスタッフも「今はどのシーンの台詞だ」となりそうだ。編集をやる人のセンスも問われる。
 それでもここまできっちり作ってくれるから、最高のシーンになっている。ノーラン監督のこういうセンスはたまらなく好きだ。

 それで、問題のゴヤを盗み出すのに、飛行機1機倉庫にぶつけてしまおう……という作戦を練るのだが……。冷静に考えたら、さほど意味がない。陽動にしてもスケールが大きすぎ。冷静に考えたら、もっとスッと忍んで入って、スッと盗み出せば、それでいいはずだ。
 でもこれはエンタメ映画だ。いくら合理的といっても、そこにスケールを感じなければ面白くない。こういう場所にこそ、いかに大きな展開を見せて観客を楽しませるか……だ。
 このシーンの引っ掛かりは、謎の男との格闘に夢中になっているうちに、肝心のゴヤを忘れてしまうことだが……。

 では次の40分を見ていこう。

テネット (39)

 いったい何が起きたのか。この任務の背後に何があるのか……。主人公は再びインドへおもむき、プリヤへ会いに行く。
 プリヤは金庫室に現れた二人の男は同一人物だと話す。主人公が組み合った男は逆行で進行していて、「外へ逃げていった」のではなく、外から入ってきて「回転扉の中に入った」だから同時に二人が観測された。
 主人公はセイター面会の他に、回転扉から飛び出した謎の男を調査しなければならなくなった。
 セイターは「プルトニウム241」を所望していた。その一部は、オペラハウスの中に隠されていて、セイターはCIAの部隊から盗み出そうとしていた。しかし、プルトニウム241はウクライナ保安庁が所有していて、1週間後タリンへ移動することになっていた。
 プルトニウムは核兵器の材料だ。セイターが危険な何かを計画しているのは間違いないが、その全容がわからない。セイターがどこでどんな計画を練っているのか、聞き出すまで殺してはならない。

テネット (45)

 ゴヤの絵画を焼却したことでキャットからの信用を得た主人公は、セイターの乗るヨットへと招かれる。
 セイターは主人公に対して猛烈な警戒感を持っていて、自分や妻に近付くと殺すぞと脅迫する。が、オペラハウスでの一件をほのめかすと、にわかに関心を示し始めた。
「オペラの何を知っている?」
 主人公はセイターに語る。2008年、何者かがロシアのミサイル基地を制圧した。1週間後に基地は奪還されたが、核弾頭の重さが4分の1になっていた。その時紛失したプルトニウムの一部は、テロが起きたオペラハウスにあった……。
 そこまで説明して、主人公はセイターと手を組みたいと申し出るのだった。

テネット (45)a

 焼却したはずのゴヤの絵画は、無事だった。セイターは「胸騒ぎがしたから」と前日にゴヤの絵画を倉庫から出していたのだった。
 セイターは「私には未来が見える」とも語る。

テネット (47)

 絵画を見せられて錯乱したキャットは、セーリングの最中にセイターを突き落としてしまう。
 主人公は海に落下したセイターを救い出して、信頼を得ることに成功する。
 セイターが語りはじめる……。10代の頃、故郷であるスタルスク12でプルトニウムを探す仕事を請け負っていた。スタルスク12は核爆発が起きて街全体が放射線で満たされていた。セイターはその中にずっと居続けたため、肉体は放射線の影響を受けていた。
 主人公はそんなセイターに、タリンを移動することになっているプルトニウム241を強奪することを約束する。
 だがセイターは主人公を信用していなかった。その夜、ヨットに金塊が持ち込まれる様子を覗き込んでいると、発見され、拘束され、脅迫を受けるのだった。

 対話の中で主人公はセイターが持っている金塊を一個手に入れる。それを持ち帰って調査するが、金塊の出所がどこなのかわからない。
 セイターは“秘密のポスト”を持っていて、おそらく未来から送られてくる“タイムカプセル”の中から金塊を手に入れている。しかし、その秘密のポストがどこにあるのか、まだ判然としない。

テネット (51)

 間もなくプルトニウム241強奪作戦が決行される。
 護送車の前後左右を大型車で取り囲んで行動不能にさせ、その間に消防車のハシゴを護送車の真上に付けさせてプルトニウム241を強奪する。
 作戦成功……と思ったが、そこにセイター達がやってきた。セイターは主人公達を信用しておらず、キャットを人質にしてプルトニウム241を手に入れようとしていた。
 そこに、横転する謎の車が間に飛び込んでくる。何が起きているのかわからない。主人公はキャットを救い出すために、仕方なくプルトニウム241が入った「箱」を差し出すのだった。

テネット (57)

 どうにかキャットを救い出せた……と思ったが、さらにセイターの手下達が突撃してきて、銃撃戦になり、主人公もキャットも連れて行かれるのだった。
 主人公とキャットは赤と青に分離された部屋へと連れて行かれる。鏡の向こうではセイターが“逆さ”に喋っている。
 「箱」の中にプルトニウム241は入っていなかった。「プルトニウム241はどこだ。言わないと女を撃つぞ」とセイターは脅しかけてくる。キャットが腹部を撃たれたのを見て、主人公はとっさに、「プルトニウム241はBMWの中だ」と明かす。
 そこに“応援部隊”がやって来て救い出される主人公。しかしキャットは致命傷で、あと3時間も持たない……。キャットを助け出すために、主人公は「回転扉」の中へ入るのだった。

 ここまでが1時間20分。映画の中間地点の直前まで。アニメで言うところの「Bパート」までの内容となっている。
 相変わらず密度がとんでもなく濃いね。
 Bパートに入って、「プルトニウム241」がキーアイテムとして登場し、お話が冒頭のオペラハウスにまで繋がった。よくよく見返してみると、プルトニウム241のパーツがオペラハウスのシーンですでに登場している。
 Aパートでは謎の人物だったセイターもようやく登場し、キャットとの破綻した夫婦生活の実態もわかってくる。

 セーリングを興じるシーン。
 なぜセーリングなのかというと、セーリングの最中ならヤバい話をしていても外に漏れないし、波の音が激しいのでほとんどかき消されてしまうからだ。あとやはり映像的な面白さがあるから。
 このセーリングのシーンの、意地悪な見方。

テネット (46)

 シーンの始まり、空にはほとんど雲がなかった。

テネット (48)

 俳優同士の対話シーンになると、あら不思議、突然空が曇り始める。
 さらにロングサイズのシーンになると、また雲が消える……。
 これは屋外撮影によくあること。映画を観るほとんどの人は空ではなく俳優を見るので、案外気付かれにくい。
 でも世の中には、背景の空ばかり見ている厄介な人もいるのだ……。

テネット (56)

 Bパート最後は例の回転扉のある部屋にやってくる。
 部屋の中は青と赤の光が射していて、「赤が順行」、「青が逆光」を示している。この法則は映画全体に張り巡らされていて、例えば映画冒頭に出てくるワーナーブロスは「順行」なので赤。
 空港の回転扉の部屋に入るシーンをよく見ると、入り口に赤と青のパネルが貼ってある。

 それにしても「赤が順行」「青が逆光」とは何を示しているのだろう……?
 私は物理学に詳しくないのだが、「光のドップラー効果」というものがあるらしい。遠ざかる光源は赤っぽく見えて(赤方偏移)、近付く光源は青っぽく見える(青方偏移)。
 映画『テネット』の場合、主人公達が順行の時は光を後ろから観測しているわけだから赤く感じられて、逆行しているときは前から迫ってくる光を観測しているから青く見える……ということだろうか。
 Wikipediaを見ると、原子炉にもドップラー効果があるらしい。この辺りまで来ると私には分からない世界なので、それぞれで確かめてもらいたい。関係があるような気がしているが、私には物理はよくわからない。

テネット (58)

 さて、いろいろあって、映画は1時間20分で中間地点に入る。映画の中間地点は、必ず物語が転換する何かが起きる局面である。『テネット』の場合は、ちょうどここから物語が逆行していくことになる。
 それまで主人公が体験していた事件を逆行状態で追体験し、最終的に映画の冒頭シーンまで戻ってしまう。オペラハウスのテロ事件と同時刻に起きていたスタルスク12まで戻り、映画は終わっていく。
 『テネット』は個々のシーンも回文形式になっていたが、映画全体も回文形式で終わる。いやいや、こんな手の込んだ構成の映画、よくぞ作ったな……とただただ感心。構成がユニークというだけではなく、一つ一つのシーンも重厚な作り、それでいてエンタメ的な楽しみどころ満載。ここまで作り込んだ映画になると、クリストファー・ノーラン監督でしかあり得ないだろう。本当に、ただただひたすら見事というしかない映画だった。

 最後に、主人公の相棒、ニールの謎。
 『テネット』関連をネットで検索すると「ニールはキャットの息子説」がちらちらと出てくる。キャットの息子は映画『テネット』の中では幼い少年としか出てこない。
 この説はどういう根拠なのかというと、キャットの息子の名前はマックス。正式な名前は「Maximilien(マキシミリアン)」。この名前を分解すると「Max-imi-lien」となる。映画のタイトルは『TENET』の回文だ。同じ法則でこの名前を読むと、「Max I'm」と「I'm Neil」という二つの名前が出てくる。
 演じたロバート・パティンソンはもともと髪色がブラウン。それが今作では金髪……キャットと同じ髪色だ。
 これが正しいかどうかわからないが、面白い考えだ。
 これを頭に入れて主人公とニールが初めて対面するシーンを見てみると、ニールは主人公の顔を見て、少し感動したような感激したような奇妙な“間”を置いていることに気付く(最初に見たときは「やけにぼんやりした受け答えする人だな?」と思っていた)。英語だと見落としやすいが、日本語にして演技をしっかり聞いていると、その印象はさらに強くなる。
 ではニールは主人公の顔を見て何に驚いたのだろうか。あの時の少年がもしもニールだとしたら、ニールは「あの時助けてくれた人だ」と思い至るはず。さらにニールがこの任務を請け負ったとき、主人公と対面することは知らされていなかったのだろう。だから話しかけ、顔を見た瞬間、ハッとする間を置いた……のかも知れない。
 ただ、これに関する答えは劇中で示されていないので、正解かどうかはよくわからない。これだけは「信じる信じないはあなた次第」というやつだ。


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