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映画感想 ジョン・ウィック2

前作

 前作から3年……。ジョン・ウィックが帰ってきた!
 監督はチャド・スタエルスキ、脚本デレク・コルスタッド、音楽タイラー・ベイツ……と前作と主要なスタッフが再集結した制作された続編。
 制作費は4000万ドル。前作からきっかり2倍。増えたけれども、まだ「低予算映画」くらいの予算感。これに対して世界興行収入は1億7000万ドル。前作の2倍も稼ぎ出している。大抵の続編は1作目より興行収入は落ちていくものだけど、なんと2倍も稼ぐ大ヒット作となった。
 3年の時を経て、DVDが売れて、評価が固まっていき、ジョン・ウィックを知るユーザーが増えていき、続編への弾みとなったようだ。

 さて、その内容は……。

 前作から5日後。ジョン・ウィックはとある自動車工場に潜入していた。
 そこはパッと見にはタクシー専用イエローキャブをあずかっている工場っぽく見えるのだけど、中身を開けると出るのは「非合法の白い粉(小麦粉じゃないよ)」や金塊。それをより分けて、別のところに配送する仕事をやっていた。そんな工場の中に、ジョン・ウィックの車フォード・マスタングが保管されていた。
 前作のストーリーを終えて「そういえばあの車は? どうしたの?」と思った人は多かろう。前作でやり忘れていた仕事を、わざわざ第2作目のオープニングに持ってきたのだ。その工場主は前作のロシアンマフィアと同系列組織で、問題を起こしたヨセフは甥っ子。それで車を預かっていたところに、ジョン・ウィックが来ちゃったのだ。
 「やつは恐ろしいんだぞ! 鉛筆1本で3人を殺したんだ!」
 という前作を踏襲したお話も出てくる。初めての観客にもわかるように、ジョン・ウィックが何者かを紹介してくれているんだね。前作を見ていると、やりとりがギャグっぽくも見えてくるけれども。
 ジョン・ウィックは車を取り戻して脱出しようとするが、その最中で工場に張り込んでいるマフィアたちに妨害される。戦っているうちに、結局車はボコボコのベコベコ。最終的には工場にいるマフィア全員殺害。工場主と乾杯をして去って行く。

 このオープニングシーンで15分。今回も15分刻みでお話が展開していく。

 前作でやり残した仕事も完了させ、今度こそ引退……。ジョン・ウィックは仕事道具をまとめて、地下のコンクリートの中に埋めるのだった。
 わざわざ掘り返した場所にコンクリートを流し込み、整えるところまでやる姿に、彼の几帳面さが見えてくる(しかもその日のうちに)。

 が、そこにやってくるのがイタリア系マフィア・カモッラの幹部サンティーノ・ダントニオだった。
 ジョン・ウィックはかつて引き受けた仕事で、サンティーノ・ダントニオの助けを得るために「誓約」を結んでいた。その時の借りをいま返せ。殺し屋社会の掟は絶対だ……とサンティーノ・ダントニオは言う。
 ジョン・ウィックは今度こそ引退だ……と考えていたので、依頼を拒否する。
 するとサンティーノ・ダントニオはグレネード・ランチャーでジョン・ウィックの家を破壊。
 殺し屋社会で掟は絶対。掟から違反してはならない。ジョン・ウィックはこの仕事をやむなく受けるのだった……。

 はい、ここまでで30分。本当、きっちりした脚本作ってるよね。
 やむを得ず殺しの仕事を引き受けるジョン・ウィックだが、やはり宿命的なものを感じさせる。だって、日常に戻ろうとするジョン・ウィックはヨレヨレのポロシャツなんかを着て、なんとなくイメージが薄らぼんやりしている。いったい誰なのかわからない。
 殺し屋としての姿になって、むしろその本人らしい像が浮かび上がってくる。要するに、格好いい。あの姿を見ると、やっぱりジョン・ウィックには日常は似合わないんだな……という気がしてしまう。

 仕方なくジョン・ウィックはもう一度サンティーノ・ダントニオに会いに行く。
 美術館のシーンだが、背景に出てくる絵画はジョヴァンニ・ファットリによる『クストーツァの戦い』(1880)……だと思う。いや、さすがに知らない作品なんで、あまり自信がない(ネットで検索しても出てこないから、本当によくわからない)。こうやって大写しで描かれる場合は、その登場人物の置かれている状況を説明している時だ。一見穏やかに話し合っている2人だが、置かれている状況や内面は……ということだろう。その絵画が、イタリア人作家……というところもポイントで、これからジョン・ウィックが行かねばならない場所を示している。
 サンティーノ・ダントニオはジョン・ウィックに殺しの依頼をするのだが、その相手はなんと実姉。父が死去して、生前の遺言に従って姉が組織のボスを引き継いだのだが、それがサンティーノ・ダントニオは気に入らない。姉を殺して自分がボスの座に着きたいと考えていた。
 ジョン・ウィックにとって引き受けたくない仕事だが……。殺し屋社会の掟で絶対に受けねばならないし、引退もしたいから引き受けることにする。
 ジョン・ウィックがこの仕事を引き受けたくなかったのは、「難しいから」ではなく、殺しのターゲットである女、ジアナ・ダントニオは友人。友人を手にかけたくはない……。
 しかし掟だから仕方ない……。ジョン・ウィックはイタリアに移り、仕事の準備に取りかかる。
 仕事を引き受け、準備を終えるまでが45分。
 意外にこの「準備映像」にたっぷり時間を使っている。前作ではほぼハンドガン1丁で仕事をこなしていたのだが、今作では銃弾を受け止める硬質化繊維を織り込んだスーツを発注して、さらに様々な武器も購入。今までで一番たくさんの武器を用意して、仕事に臨もうとする。そのお買い物風景だが、ジョン・ウィックが「もっと激しいものを」「デザートは?」と尋ねる様子がなぜか可愛く見えてしまう。

 今回の使用武器だが、イタリア襲撃時にはハンドガンに「オーストリア製グロッグ コンペティションモデルG34」。ライフルには「TTIカスタムAR TRー1」ショットガンに「M4 Super90」。
 イタリア襲撃時の武器は基本的にはこの3つのみ。相変わらず最小手数にこだわるジョン・ウィック。
 といっても、(私を含め)素人には武器のことなんか何もわからない。ここが演出的にうまいところで、武器の弱→中→強と威力が上がるごとにはっきりと音で聞き分けられるように作ってある。あえて武器を3種しか登場させず、しかも個性をわかりやすく作ってあるというのがポイントだ。シーンが暗く武器のディテールも見えづらいが、音を聞けばなんとなく武器の威力がわかる……という仕掛けもうまい。
 ただし、強力な武器ほど取り回しが難しい、というのが武器の宿命的。映画ではハンドガン→ライフル→ショットガンと1コずつ強い武器に変えていくのだけど、強力な武器を使えば無双できるかといえばそうでもなく、ショットガンは連射性能と装弾数が少ないので、細かい戦闘は結局のところハンドガンを使うということになる。
 よくある映画では、強い武器を持ちだしたら主人公がいきなり無双しだして、主人公の無敵性を際立たせるものだけど、あえてそういう演出を取らない。対戦の駆け引きを一つ一つ描いているところが、このシリーズのいいところだ。強力なショットガンを持ち出しても、ショットガン特有の弱点を見せてくれている。

 中盤の戦闘ではS&W社の「SW1911SC E-Series」。サイレンサー付き銃だ。
 武器の話をしているが、何を言っているかわかるか? 実は私も検索して出てきた情報を書き並べているだけでな~んにもわかってない。自分でも調べながら「へぇ」とか思ってる。
 そして中盤のバトルシーンでついにメインウェポンである「鉛筆」が出る。やはりジョン・ウィックは鉛筆が最強のようである。
 その人間が本当に強いかどうかは、最弱の武器を持たせてみればわかる。最弱の武器を持ってどんな相手でも渡り合えたら、そいつは間違いなく強い。

 後半の武器には「Kimber社のWarror」。ただし、弾丸はたったの7発。「7発でどうにかしろ」と「『バイオハザード』の縛りプレイ」みたいなことを要求される。でも、それを平然と受け入れるのがジョン・ウィックの格好いいところ。
 たった7発の銃でカチコミに行き、撃ち殺した相手から次々に銃を奪って進行していく。
 ここで不思議なのが、常に銃は1丁ずつ。「もっと拾わないの?」と思ったのだけど、常に1丁……というのがジョン・ウィックの美学なのだろう。

 ところがジアナ・ダントニオはジョン・ウィックにターゲットにされていることを察すると、自殺を選んでしまう。「死に方も自分で選びたい」……プライドの高い女の意地を見せるのだった。
 このことによって、ジョン・ウィックはジアナ・ダントニオを守っていたマフィアたち全員に狙われることになる。さらにサンティーノ・ダントニオもジョン・ウィックの報復を恐れて700万ドルの懸賞金をかけて殺し屋たちを扇動する。
 ジアナの暗殺から、その護衛たちの逆襲を受ける展開に、さらにサンティーノ・ダントニオが放った配下と戦いが繰り広げられる展開で、前半60分。
 ジアナ・ダントニオ暗殺の後、大量のザコ戦が展開された後、間を置かず殺し屋同士の「中ボス戦」、それを経て最後には大ボス=サンティーノ・ダントニオ戦と、段階を踏むような構成になっている。
(途中に出てくるバイオリン弾きの殺し屋はチャド・スタエルスキ監督の奥さんだそうだ)

 『ジョン・ウィック』は裏社会を舞台にしているのだけど、基本的にはほとんどジョン・ウィックと知り合い。ほとんどの人はジョン・ウィックを知っているし、一定以上彼に信頼を置いている。寡黙なジョン・ウィックだが、裏社会の中で人間関係をきちんと築いてきたことがわかる。
 前作の大ボスであるヴィゴはもともとジョン・ウィックの雇い主だし、コンチネンタルのオーナー・ウィンストンもジョン・ウィックと知り合いだ。それどころか、強い信頼を置いている。今作の最初のターゲットとなるジアナ・ダントニオもジョン・ウィックの友人だし、その護衛であるカシアンも知り合い。カシアンは会った瞬間「ジョンか?」みたいに声を掛け合うくらいの仲。
 基本的には全員ジョン・ウィックとの知り合いという範囲内で展開していく。で、ジョン・ウィックはこの知り合い……つまり自分を構築する周囲の社会をどんどん崩壊させていく。
 まず最初に妻であるヘレンを失い、犬を失い、車を失う。車は取り戻せた(ボロボロだけど)が、家は爆破されてしまう。最後に家に戻ってくるのだけど、ヘレンと映った写真は全て喪ってしまう。スマートフォンにはヘレンと一緒の動画があったのだけど、これも映画の途中で壊れて動かなくなってしまう。帰る場所、妻を思い起こすものを全て喪ってしまう。
 今回の暗殺依頼で友人ジアナ・ダントニオを殺し、その護衛をやっていたカシアンも友人だったが、それも殺す。最終的にはジョン・ウィックは裏社会の中から居場所を喪ってしまう。
 第1作目、2作目は(そういう意図はなかったと思うが)「前後編」の関係になっていて、ジョン・ウィックが自身を構築していた周囲の社会を全て喪っていく物語……完全なる孤独に陥っていくお話になっている。ただひたすらにジョン・ウィックを追い込んでいく。

 孤独に陥っていくヒロイズム……。『座頭市』という作品は、座頭市が活躍することによってその地域で起きている問題は解消されるが、座頭市は1人罪を背負って去って行く……という構成だ。それとは違うものの、どこか「孤独なヒロイズム」像に通じるものがある。
 ヒーローとは圧倒的な力を行使して人々からちやほやされるものではない。力を持ったことによって、呪いのように罪を背負い、しかしそのことを引き受けて去って行くのだ。呪いを受けたことに対して、不平や不満などは言ってはならない。ヒーローが呪いを受けることは宿命なのだ。
 ジョン・ウィックは掟に従って指示された仕事をこなしただけだ。しかし歯車が狂って、ジョン・ウィックは一つ一つ自分を構築社会を、自分を庇護していた社会を喪っていき、最終的には1人になっていく。1人になって去らなくてはならなくなる……。その姿こそが作り手がこの作品の中で描きたかった理想のヒーロー像だ。

 要するに、キアヌ・リーブスただただ可哀想なお話。彼は「孤独な男」が似合う。

 『ジョン・ウィック』PERT2だが、続編といえば、前作のストーリーをリファレンスしながら表現をより過激していくだけ……みたいな傾向はあるけれど、本作ではそうではなく、ちゃんとストーリー的な続編。2時間ドラマのさらに続きとなる2時間ドラマを観た……という印象になっている。「前後編」に感じられてしまったのは、そのためだ。
 ただ、アクションについてだが、どことなく「パターン」の繰り返しになってきた。ジョン・ウィックが多人数を相手にする時の動き方だけど、まず目の前の相手を倒し、ねじ伏せて、その間に迫ってきた1人2人をヘッドショットで倒して、最後にねじ伏せた相手の頭を撃って終わらせる……この動きのパターンが何度か繰り返されている。ガンフーが「そういうスタイルの流派」だからなのだけれど、見ていると「さっきから同じ体の動き方をしているな……」と気になるは気になる。
 そうはいっても、本作にはありとあらゆるアクションがあって、様々な超人技が披露され、そのなかの1つに過ぎないのだが。バラエティ豊かなアクションパターンを考えるのも大変だ。

 後半に入り、ローレンス・フィッシュバーンが登場する。モーフィアス? モーフィアスなにやってるんだ?
 監督チャド・スタエルスキは『マトリックス』の時はキアヌ・リーブスのスタントマンを務め、最新作『マトリックス リザレクションズ』では出演もしている。キアヌ・リーブスとローレンス・フィッシュバーンの関係性を知らないわけがない。さては、配役で遊んでるな。


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