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10月25日 キャラ被りしないようにキャラクターを作るのは難しい

 先日、何気なく漫画を読んでいたのだが……私がいま描いている作品とそっくりなキャラクターが登場していた。髪型、目、鼻、口などの個々のパーツがまったく一緒。違いがあるとしたら、髪の毛で眉毛が透けるか透けないか……という表現上の差くらいなもの。
 これを見付けて、「あ、しまったな……」と思うのだった。

 といっても、そこまで驚くような話ではない。というのも、そこまで突飛なパーツやバランス感で作り上げたキャラクターでもないから、同じようなキャラクターはそりゃいるでしょうよ……という感じ。ちゃんと探せば、似たような顔のキャラクターはもっともっと見つかるはずだ。そもそもどうしてこんな事態が起きてしまったのか、というとキャラクター作りに妥協をしてしまったから。

 漫画的な絵、というのはどうやって作り上げられるのか。このブログでは何度もお話ているが、「省略化」「象徴化」「凝縮」というプロセスを経て生まれる。対象を省略化し、象徴化し、特徴を凝縮すれば漫画的な絵となる。
 現代漫画の難しいところは、その省略・象徴化のセオリーというものがあまりにもガチガチに決められてしまっていること。例えば「美少女キャラクター」の顔といえば、目の形はこうで、鼻の形はこうで、口の形はこうで……というテンプレートがすでに作られている。
 このテンプレート的なものは全く無視するわけにもいかない。なぜなら先人が積み上げてきた美意識の結晶のようなものなので、先人が生み出してきたテンプレート的なものをしっかり踏襲すれば、技術はさておきとしてそこそこの絵ができると約束されているわけだから。
 逆にここから踏み外しちゃうと、どんなに上手く描いてもちょっといまいち……みたいなキャラクターになる。先人の積み上げてきた物には絶対に意味があるのだ。
 しかしその先人のセオリーをあまりにも捕らわれすぎると、新しいキャラクターは生まれない。セオリーが描いている半径の外に出なければ、新しいキャラクターは生まれない。教科書的・教養的なものは踏まえなければならないが、そこに留まっていたら何も生まれない。

 ちょっと余談だが、最近はAIに美少女キャラクターを描かせる……というものが流行っている。そのAIが描いているキャラクターというのが、いかにもどこかにありそう……という絵だ。
 不幸なのは、そういうスタイルの絵をその以前から描いていた……という絵師達だ。もはやその人が描いた絵なのか、AIが描いたのかの区別が付かない。Twitterで流れてくる絵を見ても、「これはAIの絵なのか、その人の絵なのか……」と判断が付けづらい作品がある。AIに画風が殺されているような現象が起きている。
 かわいそうだが、あの絵描きはもう絵描きとしての仕事はできないだろうな……。仕事を続けるためにはAIがしないような画風に転換しなければならない。
 おそらく「美少女絵」のセオリーをしっかり勉強した上でイラストレーターになった……という人なのだろうけど、教科書的セオリーだけではもはやプロの絵描きになれない現象が生まれてしまった。AIのおかげで一つ困難な時代が来てしまった。テンプレート的な絵はAIが一瞬で描けるので、そこから外れる絵を模索しなければならない……イラストレーターにとって苦難な時代が来てしまった。
 とにかくもキャラ作りのためのバリエーションは、さほど多くもない……という話だ。

 話を戻そう。
 現代イラストレーターの問題は、現実で観察したものから象徴化・省略化のプロセスを経てキャラクターに置き換えられているのではなく、すでに作り上げたセオリーの上にキャラクターを生み出す……という方法を採っている。最初から現実から乖離されている……という問題が起きている。例えば「擬人化キャラ」は現代イラストにありがちなテンプレートに当てはめれていけばポンとできあがる。そこで突飛なキャラクターは生まれないが、「はみ出したキャラクター」もまた生まれない。むしろはみ出さないようにキャラクターを作り出すことが、現代イラストレーターとして優等生的な描き方となっている。
 でも優等生的な描き方を続けても、本当の意味で個性的なキャラクターは生まれないし、そのキャラクターが誰が描いたのか意識されない。それこそ「AIでええやん」みたいに言われてしまう。

 『ジョジョの奇妙な冒険』で知られる荒木飛呂彦先生は「良いキャラクター」とは、「10メートル離れて見ても一瞬で何の漫画のキャラクターかわかること」と語っている。これは金言だ。漫画家にとって絵が上手いことは最重要ではなく、「離れて見ても一瞬で何の漫画のキャラクターかわかる絵を描くこと」だ。さらに「どんな作家が描いたわかる絵」を描けば、より良いだろう。もちろんのこと、それだけの個性を持ったキャラクターを生み出すだけの画力は必要だが、画力は絶対的に必要だとは語っていない。
 そんな荒木飛呂彦先生はどんなキャラクターを描いているだろうか。

 採点するなら100点満点中、100億点。誰が見ても『ジョジョの奇妙な冒険』のキャラクターで、作品をほとんど知らない人が見ても間違えることは絶対にない。しかもめちゃくちゃに格好いい。キャラメイキングとして完璧すぎるほど完璧。荒木先生は自分の言ったことを忠実に守ってキャラクターを作っている。

 『鬼滅の刃』の炭治郎も良いキャラクターデザインだ。1秒見れば誰だって「炭治郎だ」とわかる。黒と緑の一松模様がシンボルマークになっていて、色んなキャラクターグッズに転用できてしまえる……というところもこのデザインの強さ。

 「良いキャラクター」の要件としてもう一つ、私が考えているのは「二次創作が容易」であること。
 まずいって、二次創作がたくさん作られるキャラクターは人気のキャラクターであって、人気のないキャラクターは二次創作なんて誰も作らない。その二次創作を描くとき、誰が描いてもそのキャラクターだとわかること、が良いキャラクターの条件ではないか。
 例えば初音ミクは色んな人がいろんなふうに描いている。絵が上手い人も、そうでない人も描いている。描く人によって様々なバリエーションが生まれている。ヘアスタイルや衣装がオリジナルとまったく違う……という絵も一杯ある。それでもぱっと見だけで初音ミクだとわかる。どんだけアレンジしても初音ミクは初音ミクだとわかる。それは初音ミクのキャラクターデザインが優れている……という証拠でもある。
 初音ミクはあれだけいろんな人が描いて、どんな人が描いても初音ミクだとわかる。キャラ人気、キャラクターデザインとしての強さでいえば最強である。

 GLUTTON作。初音ミク要素、緑髪のツインテールだけじゃん……でも見れば初音ミクだとわかる。

 これはなかなか凄い。初音ミクの記号的イメージがほとんどないのに、初音ミクだと伝わるイラスト。

 ひどい! ……でも初音ミクだとわかる。さらに漫画太郎のパロディだということも一瞬でわかる。

 秀逸キャラクターデザインといえば『パトレイバー2』に登場する荒川。「一見するとありふれた顔だけど、どこか異様さを感じさせる風貌」……というようなオーダーだったそうだが、まさにその通りなキャラクターを仕上げてきた。一発OKだったそうな。
 荒川の登場シーンはいきなり真正面から。余計な演出を挟まず、いきなりこの顔を出しだけでこのキャラクターの印象は伝わるだろう……と判断されたのだろう。そうさせるほどに、強力なキャラクターだ。

 新海誠作品『君の名は。』。
 実はキャラクターデザインとしてはあまり「良くない」例。というのも、キャラクターとして際立った個性がない。二次創作で書いてもどのキャラクターなのかわからなくなる。キャラクターだけをパッと見ても、なんの作品なのかわからない。
 ただし新海誠作品の場合、背景にリアルに作り込まれた世界観があるので、あまりにもキャラクターのほうで突飛なものを出すわけにもいかない。それに、新海誠作品の場合、「キャラクター」ではなく、「絵」そのものでなんの作品かという特徴を打ち出す。
 新海誠作品は物語作品、映像作品としては素晴らしいが、漫画的ないいキャラクターを描いているか……というとそうではない。いい作品には必ずいいキャラクターがいる……というわけではない、という例の一つ。

 しかし『ジョジョの奇妙な冒険』の場合、『ジョジョの奇妙な冒険』だからこのキャラクターが通じる。これを例えば『まんがタイムきらら』系の漫画で出すわけにはいかない。
 現代のほとんどの漫画は、現代を舞台にしている。だからその「現代」という世相に対して、そこまで突飛なデザインを出すわけには行かない。例えば今の時代に「聖子ちゃんヘア」なんて出してきたら、オイオイ……となってしまう(逆に流行るかもしれんけど)。「現代的な世相」というのが一つの大きな「縛り」となる。
 私もキャラクター制作に必要かと思って、「現代女性のヘアカタログ」を持っていたりするのだけど、それを参考にして絵を描くと、絶対にいまある何かしらのキャラクターと被る。ヘアカタログで参照として載せられているようなヘアスタイルなんて、今時ありとあらゆるキャラクターで使われまくっている。
 実際、私はいま描いている作品のキャラクターが、別の漫画のなかにそっくりなキャラクターを見付けてしまった。その理由は、まず現実世界にあるヘアスタイルだからだ。
 漫画やアニメでしか登場してこない特殊ヘアというものもある。「アホ毛」なんてものもその一つであるが、それもバリエーションの一つとしてさんざん使われまくっている。逆に、今はそういうパーツは使いづらくなっているくらい。
 だからといって、現代の世相からかけ離れたスタイルの格好やヘアスタイルをさせるわけにもいかない。『ジョジョの奇妙な冒険』の場合、『ジョジョの奇妙な冒険』だからあのスタイルが通用するが、他で同じことは通用しない。現代のスタイルを踏襲しつつ、確実にそれとわかるようなキャラクターを作らなければならない。
 これは言うのはたやすいが、描くのは非常に難しい。

 ちょっと一つの例として、「似たようなキャラクター」を並べてみよう。

いなり、こんこん、恋いろは
 あにトレ
あまんちゅ
WORKING
リコリス・リコイル
 けいおん!
境界の彼方
響けユーフォニアム
氷菓

 どんな特徴で集めてみたのかわかると思うが、「黒髪ロングストレート」の女の子キャラクター。黒髪ロングストレートはどんな時代でもありふれたヘアスタイルで、キャラクターとしての個性がもっとも出しづらい。どうやっても「似たような雰囲気のキャラクター」になりがちになってしまう。かといって、キャラ的に「突飛な個性」を出すわけにも行かない。ではどうやって個性を打ち出していくか……というとその物語世界のなかの1人として出す……というやり方くらいしかない。
 例えば『あまんちゅ』はそのキャラクターデザインが……というか、その作品全体のなかに一貫したスタイルを作って、その中だからそのキャラクターだとわかる……という感じ。もしもこのスタイルを外してしまうと、何の作品のキャラクターなのかわからなくなる。二次創作を作る時は、この絵画スタイルから再現しないと、そのキャラクターにはならない。
 『リコリス・リコイル』の井ノ上たきなはあの制服をとってしまったら、なんのキャラクターなのかわからなくなる。あの物語と相棒キャラ(錦木千束)と一緒でないと、井ノ上たきなというキャラクターは井ノ上たきなになり得ない。
 でも黒髪ロングストレートの女の子キャラクターは、キャラクターの設定的に必要。『氷菓』の千反田えるなんて、黒髪ロングストレート以外じゃ絶対にありえない。
 そこでどうやって独立したキャラクターとして表現できるのか……。みんな苦労する道だ。これに関するベストアンサーは見たことがない。

 ストレートじゃなくて全体にウェーブがかかっているけれど……『ジョジョの奇妙な冒険』だとこんな感じになる。やはり「満点」のキャラクターデザイン。

 私の作品。黒髪ロングストレートの女のキャラクター。どう描いたらこのキャラクターらしいエレガントさが出るか、苦労したが、結果が出ているのかよくわからない。

 余談。これも私の描いたキャラクターだが、このキャラクターを描いたとき、漫画・アニメの業界に「三つ編みキャラクター」が枯渇していた。「いま三つ編みキャラクターを出したら、目立った特徴になるんじゃないか」……そう考えて描いたのがこのキャラクターだった。
 でも三つ編みキャラクターが枯渇していたのはその一時だけであって、その前後にまた三つ編みキャラクターが一杯生まれて……。失敗だった……。よくよく考えたら、三つ編みキャラクターなんて、いつの時代でも通用する独立した個性でもなんでもなかった。これは考えが浅かった例。

 ショートヘアのキャラクター。ショートヘアのキャラクターもあまりにも溢れすぎていて、「こんなシンプルなデザインでいいのだろうか」と自分で描いていて迷いを感じるキャラクター。でも私、こういうシンプルなショートヘアが個人的に好きで……。

 現代は先人の積み上げが一杯あるから、そのなかからちょいちょいと摘まんでキャラクターを作ろうと思えば作れてしまう。でもこれは「キャラクターデザイン」ではなく「キャラ・カスタマイズ」だ。すでに誰かしらが用意したパーツを組み合わせてキャラクターを作っただけにすぎない。このやり方では独創的なキャラクターが生まれることはない。
 実際、私がいま描いている作品のキャラにそっくりなキャラを別の作品の中に見付けてしまった。これは私がキャラクターをデザインしたのではなく、「カスタマイズ」したからに過ぎないからだ。キャラ作りとしては失敗例。
 現代的な世相・価値観から踏み出さない範囲で、しかし他と違ったキャラクターを作り出さなくてはいけない。「そんなこと言われても」という感じだけど、キャラクターを作るときにはそれを心がけなければならない。というのは言うのはたやすく、行うのは難しい、という話だ。


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