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映画感想 シャザム2 神々の怒り

 あのダサくて可愛いシャザムはどこへ行ったの?

 大ヒット映画『シャザム』の続編が配信に登場したので見ていきましょう。『シャザム』シリーズ第2作目『シャザム! 神々の怒り』は2023年公開。前作で大ヒットに導いた監督、脚本は本作に続投。出演者もほぼそのまま続編に登場する。
 制作費1億2500万ドルに対し、世界興行収入1億3300万ドル。どうにか制作費の回収はできたが、プロモーション代を含めると大赤字。「興行収入爆弾」と呼ばれるほどの興行的失敗となってしまった。
 評価も低く、映画批評集積サイトRotten tomatoには261件の批評家によるレビューがあり、肯定評価49%。ただし一般評価はそれなりに高く、86%。Metacrticでは100点万点中47点。CinemaScoreではB+評価。PostTrakでは78%の観客が肯定的に評価している。批評家に嫌われて、一般評価はそれなりに高い……というのが本作。
 その年の最低映画を決める第44回ゴールデンラズベリー賞では最悪作品賞、ヘレン・ミレンに最悪女優賞、ルーシー・リューにも最悪助演女優賞、最悪脚本賞にノミネートされた。
 今作の興行的失敗と低評価によって、デヴィッド・F・サンドバーグは次回作に復帰しないかも知れない。

 では本編の前半ストーリーを見ていこう。


 ギリシャのアクロポリス博物館。そこに、ローマ兵士の扮装をした2人組が押し入った。2人は展示品だった古代の杖を強奪。すぐに警備員が止めに入ったが、2人が何かを囁くと、警備員は凶暴化してその場にいた観光客に襲いかかる。博物館内は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄と化した。
「どうか命だけは…」
 学芸員の1人が強盗に命乞いをする。すると強盗は、杖を振り上げた。杖の先端が輝き、展示品の石像が吹き飛んで、その噴煙が博物館のフロア一杯に広がる。その噴煙が過ぎ去ると――そこにいた人々が石像になっていた。

 フィラデルフィアのビクター&ローザの家で、ビリー達が穏やかな午後を過ごしていた。ビリーとユージーンはゲームに夢中。メアリーはなんだか神経質そうだ。ダーラは玩具の家で空想遊びをしていた。ペドロはローザと一緒に野球を見ていた。ビクターは業者と電源の修理……「最近、落雷がやたら多いんだ」と呟いている。
 ふとフレディが「わっ!」と声を上げて飛び上がる。まわりの兄弟達は気にしなかったが、ビリーはすぐに気付いて、フレディの側へ行った。フレディは何でもない、と言いながら家を出ようとする。ビリーは不審に思ってフレディのイヤホンを奪い、耳に当てる。それは警察無線を傍受したもので、フィラデルフィアの橋で事故が起きたことを伝えていた。
 フレディは1人で行くつもりだったのだ。「みんなかゼロか。それがルールだろ」――ビリーは「みんな、今日のフィラデルフィアは良い天気だ!」と声をかける。それを聞いて、兄弟達が一斉に出発する準備をする。それが合図だった。兄弟達はみんなで家の外に出て、「シャザム!」と唱え、事故現場へ飛んでいくのだった。

 橋の事故は、無事に被害者全員を救出。死傷者ゼロを達成したが、橋は崩落。マスコミは「シャザム達が橋を落とした」と非難していた。
 帰宅したビリー達は、隠れ家となった「永遠の岩」に集まり、反省会を始める。気持ちたっぷりにミーティングを始めるビリーだが、兄弟達の気分は乗らない。メアリーは勉強中だし、フレディは早々に抜け出してしまう。ユージーンは体にまとわりついた謎の粘液で体がチクチクしはじめたので退出。ペドロは「野球の試合が始まるから」と退出。ダーラは橋の事故で連れ帰ってきた子猫を「やっぱり返しに行く」と退席……。兄弟達の結束は弱く、ビリーは空回りをしていた。

 それからしばらくして、フレディは学校で転校生・アンと会う。短い対話で2人はお互いに気持ちが噛み合うのを感じた。
 フレディはもしかしたら彼女ができるかも……と舞い上がる。
 一方のビリーは、奇妙な夢を見る。あの時の魔術師が現れ、「アトラスの娘達が来るぞ!」と警告するのだった。


 ここまでで25分。
 細かいところを見ていきましょう。

 プロローグのシーンはギリシャのアクロポリス博物館。そこにローマ兵士に扮装した2人組が強盗に入ってくる。兜を脱ぐと……ルーシ・リューとヘレン・ミレン。ルーシー・リュー久しぶりに見たな……。
 でも、この場面からすでに「ちょっと待てよ」となる。この2人はギリシャ神話に縁ある存在……という設定で出てくる。なのになんで中国人なんだよ。さらにヘレン・ミレンがルーシー・リューのお姉さん……という設定になっている。アメリカ人と中国人の姉妹……さすがに設定に無理がある。たぶん、中国での興行を意識した配役だったんだろうな……。
 ルーシー・リューとヘレン・ミレン、今作でそろってラズベリー最低女優賞にノミネートされる。キャスティングが悪い。「ギリシャ人のキャラクターは、ギリシャ人が演じるべきだ」とか言わないけれど、中国人はないわ。

 「詐欺師症候群」に捕らわれたシャザムは、小児科病棟にカウンセリングを受けている。その診療室の様子……。おいおい、アナベルの呪い人形が置いてあるじゃねーか。しかも“本物のアナベル人形”もある(赤毛の人形が“本物のアナベル人形”)。子供達が呪われるわ!
 ちなみにこのシーンは特に伏線というわけではない。単に面白かろう……というだけで作られたシーン。

 それはさておき、ビクター&ローザ家でくつろぐ子供達の様子。
 あー……子役の成長は早いな……。前作では幼いクソガキだったユージーンがもうこんなに成長しちゃってる。前作から4年も経過しちゃったから、当然か……。
 前作、家のシーンはいつも夜……ビリーの心情が反映されて、なんとなく暗かったが、今回は葛藤を乗り越えたので明るく表現されている。

 ダーラはまだ少女だ。ああ、安心。でも成長したな……。前作では本当に幼女だったのに……。

 「永遠の岩(ロック・オブ・エタニティー)」はすっかりシャザム達の隠れ家に。
 ……あのでっかいテレビはどうやって買ったんだろう? ビリー達一家はあまり裕福ではなさそうだが……。

 こら! ワンダーウーマンことダイアナは博物館で学芸員として働いてるわ。無職扱いすんな!
 ……でも、彼らはワンダーウーマンの正体を知らないのか。そういえば私たちも、「だいたいのヒーローは無職」って思い込んでるもんなぁ……。

「ビクターとローザがいくらいい人でも、里親制度は適用されなくなる」
 ビクター&ローザはどうしてあれだけの里子を引き取って生活できていたのだろうか……と思っていたが、「里親制度」で補助金が出るから、だそう。おまけにあの家は借家で、毎月家賃を払っていたそうだ。ああ、そういう理由だったのか。やっと謎が解けた。
 しかし子供が18歳になるともう補助金は出なくなる。ということは里親に余裕がない場合、大学に進学はできない。メアリーは前作の戦いの後、結局大学進学は諦めて、働いているようだ。
 今のアメリカは学歴重視社会……。孤児で大学にも行かなかったから、あまり良い仕事にも就けていないんだろう。

 フレディのベッド周辺。おや、窓の側に貼ってあるあのポスターは……。

 『死霊館』第1作目のポスターだ。なんとしてでも『死霊館』と関連付けしたいらしい。

 永遠の岩の中に、隠し部屋が発見される。そこは本で一杯のフロアだが……。
 うーん、ちょっと待って。シャザムの起源って、古代ギリシャの時代だよね? 『ブラックアダム』の時代はまだ「青銅期」と説明してあったはずだし(鉄器登場以前)。魔術師が「永遠の岩」を作ったのも、だいたいそれくらいの時期だと考えられる。その時代、こんな洋書なんかあるかな……。もしかしたらその後も生存し続けた魔術師が集めた本かも知れないけど。

 妙に気になる登場人物。彼は誰なのだろうか?
 正体は1970年代に放送されていたドラマシリーズの『シャザム!』でビリー・バットソン役を演じていたマイケル・グレイ。ビリー・バットソン同士が時を経て邂逅している……という場面。

1970年代に放映されていたドラマ版『シャザム』。

 その彼が、シャザムに対し「キャプテン・マーベル!」と声をかける。これは何を意味しているのか?
 今作において、シャザムは「自分のヒーローネームがない!」と嘆く。これがなんなのかというと、実際にシャザムのヒーローネームが近年まで確定していなかった……ということを物語の中に組み込んでいる。
 前作の感想文でも話したが、もともとは1940年代、フォーセット・コミックというところで出版されていた『キャプテン・マーベル』という作品が原型だった。ところが間もなくDCコミックが「キャプテン・マーベルはスーパーマンの盗作だ」と著作権侵害で訴訟。この裁判で争っている間に『キャプテン・マーベル』の人気は低迷し、一度は廃刊となる。
 その隙に、1967年、マーベル・コミック社が「キャプテン・マーベル」の商標登録を取得し、『キャプテン・マーベル』を主人公にしたコミックを出版。マーベル社はこの商標を維持するために、キャプテン・マーベルのキャラクターを登場させ続けた。
 1970年代に入って『シャザム』はDCと和解し、DCヒーローとして復活するのだが、しかしこの時には「キャプテン・マーベル」の名称はマーベル・コミック社に奪われているので使えない。なんとなく「シャザム」が彼の名前……ということになる。
 『シャザム』が正式に彼の名前になったのは、2011年、ようやくだった……。
 という、『シャザム』の名前を巡る長い長い物語が、映画の中にちらっと反映されている。
 ただ、「シャザム」は変身時の呪文でもあるので、「名前はなんですか?」「シャザム!」と答えると、変身が解けてしまう……という葛藤を抱えるのだった。

 本編を見ながらの雑談はここまで。ここから感想文に入っていこう。

 『シャザム 神々の怒り』の率直な感想は――あのダサくて可愛いシャザムはどこにいったの? この一言にすべて集約される。
 ザッカリー・リーヴァイの“普通のオッチャン“にしか見えないのに、体は不釣り合いにムキムキマッチョ。コスチュームもダサい。振る舞いも極端に子供っぽい。そこから滲み出る、なんともいえない可愛さが前作にはあったのだが……。
 今作はまずコスチュームが一新されていて、ちょっと格好良くなっちゃってる。前作はコスチュームで体の大きさが盛ってあったのだけど、それも今回無し。顔に対して、体のバランスが釣り合いが取れているように描かれている。つまり、“普通”になってしまった。
 映画の内容も、ごく普通のヒーロー映画になってしまった。それが面白くないか……といったら、まあまあ面白い。ただ、普通のヒーロー映画のようになってしまった。あの変で、おかしくて、可愛い『シャザム』ではない。ごく普通の、ありふれたヒーロー映画だった。

 前作は、孤児のビリーが理想の親を捜し求める……というテーマがあった。その成長物語と、ヒーローとしての物語がぴったり組み合っていた。ヴィランであるサデウスも同じテーマを抱えていて、全体が一連なりのテーマでまとまっていた。
 ところが、今作ではそういうテーマ性が何もない。一応、今作ではビリーが18歳になり、里親制度の補助金の適用外になるから、家を出なければならない……というエピソードがある。しかし、それはメインのストーリーと何も繋がっていない。その話は横に置いといて……という感じだ。忘れた頃にこの設定が戻ってきて……という感じだから、それにまつわるドラマを展開しても、助走がなにもないから感動もできない。

 今作においてクローズアップされたのはフレディの存在だ。フレディは体に障害を抱えている。それだけに、ヒーローになれる瞬間とのギャップが大きい。理想や憧れを通り越して、「こっちが本当であれば良いのに」……というのがフレディの想いだ。障害を抱えているからこそ、フレディはヒーロー活動にのめり込んでしまう。
 フレディにはそういう前提があるのだが……このエピソードが後半のドラマとして展開することはない。フレディの活躍自体は一杯あるのだが、ドラマとして回収されないまま終わってしまう。

 さらに今作のフレディにはアンという女の子とのロマンスがあるのだが……。
 アンは、フレディが「不良から守ってくれた」と好意を持つようになった切っ掛けを語るが……。
 いやいや、あれはそんなシーンには見えない。どっちにしろ、好意を持つ切っ掛けが軽すぎる。場面に説得力がない。ご都合主義で展開しているように見えてしまう。

 前作は、構図の作りが妙に安っぽかった。しかしこの作品の場合、気持ちはヒーローになりきれてないのに、スーパーパワーを持ってしまった少年……そのギャップを見せる意図はあった。そもそもヒーロー映画のパロディという側面があったから、構図作りの緩さがかえって面白さに繋がっていた。
 しかし今回は、構図作りもしっかり格好良くなっている。CGもきちんとしている。すると、どんどん「普通のヒーロー映画」になっていく。アクションも普通にきちんとできている。普通に楽しもうと思えば楽しめる。
 でも違うんだ。『シャザム』に求めているのはそこじゃない。馬鹿で情けなくて、でも良いところでは決めてくれる……そういう姿が見たかったんだ。普通に良くできていたら、『シャザム』らしさがどこにもない。たまに、あえてダサい構図を入れ込んでいるけど、そういう構図が返って浮いて見えてしまう。
 それに、シーン作りがそれなりに良くできているから、シャザム達から街の人たちから疎まれる存在……ということに納得感が薄くなってしまっている。最初の橋崩落のシーンでも、シャザム達は鮮やかに被害に遭った人々を救っている。シャザム達の能力をうまく表現できすぎているから、その反対である「シャザムたちの間抜けさ」が見えづらくなってしまっている。街から「シャザム達が間抜けな存在」として扱われている理由がよくわからなくなってしまった。
 橋崩落の件にしても、街はなぜか「シャザムのせいだ」ということにしているけど、違うというのは誰にでもわかる話。町中の人がシャザムに罪をなすりつけているようにしか見えない。

 物語作法的に引っ掛かるところがあって、その一つが、このリンゴ。作中でも最重要アイテムだけど、それが作中に出てくる最初のシーンがこちら。ポンと何気ない感じに出てくる。印象に残らない。これが実は重要アイテムでした……なんだかシックリこない。もうちょっと見せ方があったんじゃないか……?

 そのリンゴを、ヘスペラが奪って逃げる。永遠の岩の中に、ドアばかりの広間があるが、実はアトラスの娘達のいる迷宮へと繋がっていて……。
 え? そこが繋がってるんだったら、シャザムに捕まったフリをする意味ないんでは……?
 こういう、シナリオに合理性がないところが、本作のマイナスポイント。

 では『シャザム 神々の怒り』は面白くないのか? いや、作品はきちんとできている。アクションシーンもよくできている。ヒーロー映画として、普通のクオリティには達している。面白いといえば、まあ面白い。ただ、『シャザム』としての面白さはない。可愛らしさがない。この内容だったら、『シャザム』である必要がない。これが批評家には嫌われて、一般レビューではそこそこ高評価だった理由。面白いといえば面白いけど……普通のヒーロー映画になっちゃったな……。

 あのダサくて可愛いシャザムはどこにいっちゃったの……。この一言が全て。
 ただ、今作は「興行収入爆撃」というほどに赤字を出してしまったけれども、出演者はこのまま留まって、続きの物語は見たい。ビリー達への愛着はあるんだよ……。脚本が仕上がってない状態で制作に入っちゃったのが悪いのであって、シャザムというキャラクター自体はこのままであってほしい。


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