映画感想 ターミネーター:ニューフェイト
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映画感想 ターミネーター:ニューフェイト

とらつぐみ

 『新起動:ジェニシス』に続いて2019年公開『ターミネーター:ニュー・フェイト』も視聴!
 原題では『Dark Fate』ってなってるね。「暗い宿命」……私としては、この作品のサブタイトルは「新しい宿命」こと『ニュー・フェイト』のほうがしっくりくる。

 『ターミネーター:ニュー・フェイト』は『ターミネーター2』以降のストーリーをなかったことにして、『ターミネーター2』の正式続編として物語が描かれている。
 まず冒頭でジョン・コナーがいきなり死亡。未来から送られてきたターミネーターは1体だけではなく、他にもいたのだ。その1体に、ジョン・コナーは殺されてしまった。
 『ターミネーター2』によってスカイネットが人類の脅威となる未来は終わったが、ジョン・コナーが人類の指導者になる未来も終わってしまった。
 それから20年……メキシコに住むダニーのもとに、謎の殺人ロボットRev-9が出現する。と同時に、ダニーを守ろうとするサイボーグ(エンハンスド・シューマン・ビーイング)も現れるのだった……。

 主人公ダニーは弟のディエゴとともに、メキシコのとある工場に勤めていた。しかしその工場にもロボットが入ってくるようになり、人間の働く場は少しずつ奪われようとしていた。
 この辺りは、いま世界中で起きている話。ロボットが導入され、雇い主側はより節約して儲けられるようになる。しかし、それによって「働く必要がなくなる」人が出てくる。昔から「働かざる者食うべからず」……なんていうが、そもそもロボットが人間の労働を奪い、「働く必要がなくなってしまった」場合どうするのか? このあたりの相応しい回答を考えず、ロボットを導入すればより節約してモノ作りができるぞ……なんて気楽に言っている。
(言論の最上部にいる人々……というのは当たり前だけど「成功者」。成功者は自分やその周囲の人々を物差しに発言をする癖がある。ロボットの導入で起きる労働問題を「問題」として認識できるようになるまでは、タイムラグが起きるはずだ。ロボット導入によって起きる労働問題は「自己責任」問題と誤認される。理系の人々はそこまで思いつかないだろう)
 そういう現場を最初に見せて、それに続いてターミネーターが出現するという展開が取られている。ロボットが働く場を奪い、今度は命を奪いに来る……と。どっちにしても、人間がロボットといかに戦うか……みたいなテーマが示されるが、このテーマはあまり掘り下げられず。まあ、そういう難しいテーマは別のところで語ればいいや、ってな話で。

 さてさて、謎のロボット兵器によって狙われることになったダニー。工場から脱出するが、そこからの展開が良い。まず、主人公達にボロっちいトラックに乗せて、追跡者側はでっかいブルドーザーで追跡させる。そうそう、コレコレ。巨大な物に追われているというシチュエーションが『ターミネーター』本来持っていた個性。やっと『ターミネーター』らしい描写が戻ってきた。
 Rev-9はとことんしつこく追跡してくる。ブルドーザーが大破しても、貪欲に狙ってくる。いいぞいいぞ!
 今回のターミネーターは2体分裂が可能で、間もなく逃げ場が封じられ、追い詰められてしまう。そこに現れるのはサラ・コナーだ。ウェイトレスだったあの少女は、貫禄たっぷりの戦うお婆ちゃんになっていた。って、アンタが「I'll be back」言うんかい。
 ここまでが前半25分だ。

 ここから、ちょっとモタつく。グレースの来歴、未来で何が起きるのか……などが語られるが、ちょっと長い。もうちょっと手際よく語れなかったのだろうか。ある部分を伏せて物語が進行するから、そこで変に回りくどくなってしまっている。
 スカイネットが破壊され、ジョン・コナーも殺されたが、今度は「リージョン」と呼ばれるAIがターミネーター軍団を操り、人類抹殺を開始し始める。スカイネットと戦う未来は回避されていたが、やっぱりターミネーターと戦う未来そのものは回避されていなかった。
 ということは、『ターミネーター』の世界観では、どんなにあがいても人類はターミネーターと戦う未来が決定づけられているということだ。このままストーリーが展開され、リージョンが目覚める前に破壊されたとしても、新しいシリーズではまた新しい何かが未来において人類を滅亡に追いやろうとする……。
 そうなれば、『ターミネーター』のシリーズを無限に続けられるなぁ……。

 メキシコ国境での戦いを経て、ちょうど1時間目といったところで、カールと呼ばれるT-800と会うことになる。T-800がサラ・コナーに指令を送っていたことが判明するが……。

 この辺りの展開、ちょっとご都合主義っぽくないか。未来に帰る術をなくしたT-800が人間社会の中で過ごすうちに、情に目覚めたという。そんなに簡単に人間の情を学べるのだったら、未来のターミネーター軍団はもっと人間に同情的になったりはしないか? 人間側に付いているターミネーターが一杯いてもいいんじゃないか。どうにも、ミスター・ターミネーターことアーノルド・シュワルツェネッガーを登場させるための、無理矢理な展開に思えてしまう。
 ここはもうちょっと、納得感のある仕掛けが欲しかった。
(例えば……AIはやがて人情を理解し人間の味方になってしまうから、定期的にAIを更新し、「人類は敵です」と再定義しないといけない。その更新ができず、人間社会に取り残されたターミネーターは、みんな人間の味方になっている……とか)

 さてジェームズ・キャメロンがシリーズに復帰し、『ターミネーター2』の正式続編として制作された『ターミネーター:ニュー・フェイト』だが、興行的に大コケすることになった。アメリカの興行収入では制作費も取り戻せず。世界収入では制作費をやや上回ったが、制作会社に入る収入はその4分の1なので、大赤字は回避できなかったはず。
 今回の『ターミネーター』はなかなか良かったと思うのだが……。「売れる・売れない」はもっと見えざるものが要因として関わってくるから仕方ない。
 『新起動:ジェニシス』もそこから始まるシリーズが計画されていたが頓挫し、『ニュー・フェイト』もここから始まるシリーズの計画があったが、こちらも頓挫することになった。
 この段階に来てことごとくシリーズ化への切っ掛けが潰れていく……これはもう『ターミネーター』の映画シリーズは終わった、ということなのだろう。どうして『ターミネーター』シリーズが続けられなかったのか……これはひょっとすると、もう「コンテンツとしての寿命」が終わっているから……ということかも知れない。『ニュー・フェイト』が売れなかったのは、コンテンツとしての寿命が終わっていることの証明……。『ターミネーター』という映画はここで終わりなのだ。

 まずシリーズを4作目まで作って、それをなかったことにして『新起動:ジェニシス』を作り、さらにそれもなかったことにして『ニュー・フェイト』……なんて言っても、映画マニアじゃないともう訳がわからん。名作と称えられる『ターミネーター2』はもう30年前だ。ほとんどの観客は知らなくて当然だ。

 『ターミネーター2』は伝説的な名作だが、しかし誰も「その後」を描けなかった。まず引っ掛かりは、誰もT-1000を越えられなかったこと。T-1000が初めて映画に登場した時、誰もが驚き、唖然とした。いったいどんな魔法が……。どうやったらこんな表現が可能になったのか……。T-1000はまさに「映画の魔法」そのもののようなキャラクターだった。
 そのT-1000の表現を、誰も越えられなかった。毎回新しいターミネーターは登場するのだけど、驚きがない。出てくるのはT-1000の亜流版やバージョンアップ版ばかり。前作『新起動:ジェニシス』のT-3000も、今作『ニュー・フェイト』のRev-9もみんなT-1000のバージョンアップ版で、新しくない。誰も「本当に新しい物」を生み出さなかった。
(『ターミネーター3』は女ターミネーターが登場するけど、これは意表を突いたというか、米国の女性問題を反映したもので、表現として新しくない)
 CG時代に入ってしまうと、この創造はより困難になってしまう。CGは「なんでもあり」だからこそ、なにをやっても驚きは薄い。CG時代に入ってしまったから、かえって「本当に驚きを感じさせる新規な物」の創造が難しくなり、すると創造のイメージを過去作に依存するようになってしまった。
 もしもここで順当に、毎回新しい技術によって誰も思いつかなかったような表現による「恐ろしい追跡者」を創造できれていれば、「そいつを観に行こう」みたいにシリーズファンは通ったはずだ。なのに、みんな名作『ターミネーター2』に遠慮しすぎている。「表現の新しさ」ではなく、「設定の整合性」ばかりを気にするようになった。誰も『ターミネーター』という挑戦の場で、開拓者になろうとはしなかった。「前作のストーリーや設定も知らなくてもいいが、新しい表現を見たい」という欲求を満たすものを誰も作れなかった。

 新しいターミネーターは何でもいいんだ。瞬間移動が可能なターミネーターとか、物質変換してあらゆるものから武器を生成できるターミネーターとか……。ほとんど魔法みたいなものでいいんだ。高度に発達した科学は魔法と区別が付かない……と昔からよくいわれること。とにかく新規なものを考えて、あとでSF考証的な物を考えればいいんだ。
 というか、そもそもT-1000からして科学的原理不明の魔法(あるいはモンスター)にしか見えないようなもの。あれくらいの大胆さが30年前に受け入れられたのだから、それ以上の構想をやってほしかった。誰もそういう構想ができなかったのが、『ターミネーター』というシリーズが続かなかった理由かも知れない。

 もう一つ、ミスター・ターミネーターことアーノルド・シュワルツェネッガーに代わる俳優を見いだせなかったこと。
 今作に登場するアーノルド・シュワルツェネッガーもすっかりお爺ちゃんだ。現実のアーノルド・シュワルツェネッガーがお爺ちゃんになってしまったから、その姿に合うように設定を作り込まなくてはならなくなってしまった。そこで「俳優への配慮」が生まれる。これが物語制作にあたり、ひとつの「縛り」となってしまう。
 初期の『ターミネーター』における若々しいアーノルド・シュワルツェネッガーは最高にカッコよかったし、怖かった。あの嘘みたいな美しいマッチョ体型をそのまま登場させ、この人が「未来からやって来たターミネーターだ」という設定に真実味が感じられた。だからみんな好きだった。
 でもアーノルド・シュワルツェネッガーに相当する格好いいマッチョ俳優を、このシリーズの中で見いだせないまま、6作目まで来てしまった。ずっとアーノルド・シュワルツェネッガーただ一人をシリーズのシンボルにしたまま……気付けばそのシンボルもお爺ちゃんになってしまった。

 結局、アーノルド・シュワルツェネッガーという巨大なシンボルを変更できなかったことが、シリーズ終了の切っ掛けになってしまうんじゃないか……という気がしている。アーノルド・シュワルツェネッガーが今以上にお爺ちゃんになってしまったら、もうそのお爺ちゃんを指して「ターミネーターだ」という設定に真実味を持てなくなる。……今でも結構きついし。
 ミスター・ターミネーターことアーノルドが俳優としての精彩さを喪ったら、このシリーズも終わり……。アーノルド・シュワルツェネッガーの代理を見付けられないと、そうなってしまう。

 『ターミネーター:ニュー・フェイト』は単体の作品としてはなかなか良かったとは思うけども……『ターミネーター』というコンテンツ自体もう終わりだ。この作品が、「もう終わりだよ」ということを示してしまった。
 今作から登場した新しい俳優達が、新しいシリーズの幕開けを感じさせてくれなかった……それが失敗の素だった。『ターミネーター』もこれで見納めだ……ということを受け入れよう。


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とらつぐみ

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とらつぐみ
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