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◆アートヴィレッジとうおん コラムⅥ◆〜東温市に魅せられて〜(中編)

前回のコラム投稿から月日が経ってしまい、大変お待たせしました…!
(前回がどんな話だったのか忘れてしまった方、あるいは今回初めて読まれる方はぜひ〜東温市に魅せられて〜(前編)をご覧になってみてくださいね!)

さて、狸の聖地といえば四国
四国各地には狸にまつわるお話がいくつも残っています。もちろん、ここ東温市にもその狸伝説は息づいています。今回はその狸伝説とかつて東温市に実在したとある劇場についてご紹介!
忠の仁が東温市の歴史、風土に触れながら紡ぎ出す物語を前編に続いてぜひ垣間見てください。

筆者:忠の仁(ただのじん)氏 -演出家/作詞家-
桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科卒業。早稲田小劇場に入団し、2年間を過ごした後、ミュージカル劇団いずみたくフォーリーズに入団。その後独立し、1991年オフィスJINを設立。舞台芸術学院ミュージカル科本科の担任を経て、東温市地域おこし協力隊に就任。
現在は東温アートヴィレッジセンターにて、とうおん舞台芸術アカデミーのアカデミー長を務める。

その『若宮社』の狸の話は偶然、東温市立図書館に置かれた小冊子『ふるさと歴史ウォーキングマップ』で発見した。その祠は自転車で通る時によく見かけていて、古い写真で見るような横河原のシンボルであった威風堂々とした二本松は伐採されてしまっていたが、今でもその周りに名残の松が植えられている。

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※「二本松」の若宮社の写真。まだ横河原という地名の無かった頃、樋口と志津川の境目を表していたという。

そしてその二本松の空洞に棲みついた「身代わり狸」の言い伝えにも引き寄せられた。横河原には「身代わり狸」の「二本松」のすぐ近くにもう一つの「若宮社」があり、こっちの方は「手曳松」と言って、いたずら好きな化け狸が住んでいた。そこでそのいたずら狸に今回つくっている物語では美女に変身してもらうことにした。

ところで四国はタヌキのメッカである。松山城のお堀端にある赤い鳥居の並ぶ「八股榎」のお袖狸も、ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』で四国から駆けつけた「隠神刑部」も松山の出身だ。

さらにウォーキングマップに書かれたある言葉に衝撃を覚えた。昭和の初め頃、今の伊予銀行横河原支店のある所にかつて「旭館」という芝居小屋があったと言うのだ。そこで勝手ながら旭館の女講談師が横河原の歴史を語る形で、ありもしない伝説を談じて貰えたらと考えた。

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※かつて横河原商店街で賑わいを見せた劇場「旭館」の写真(昭和16年)


その伝説とは、昭和9年、東温市を襲った大渇水のために水争いに巻き込まれた見奈良に住む夫婦の物語。東温市では昔から干ばつにあうと激しい水争いが起きていたらしく、重信川をはさんで両隣の村の間で激しい争いが起こったと記されている。確かに現在も東温市の至る所に水路が張り巡らされている。そこで、見奈良の夫婦の奥さんが水争いのために苦しんでいる知り合いのお婆さんを救うため孤軍奮闘し、そこに身代わり狸の話を盛り込んでみようと考えた。信じられないストーリーだが、虚実ないまぜの今回の話にはもってこい。伝説は生きているのだ。それと申し訳ない、僕の趣味で神様に雨乞いの踊りを奉納する時に歌う曲を昭和初期に流行ったナンセンスソングにさせていただいた。

さて、旭館がどういう劇場だか分からないので、市役所の方に当時の写真がないか調べて貰うと、「旭館」設立に貢献した松末商会という会社に昭和初期の横河原を写した写真があると知り、早速話を聞きに行ったところ、出るわ出るわ……とにかく当時の横河原の賑わいがしっかりと刻まれていた。勿論その中には旭館の内部の様子もしっかり写っていた。あまりに見事なコレクションだったので、公演当日に非常に懐かしい写真展を同時開催する予定。

旭館でどんなお芝居が繰り広げられていたのか想像するとワクワクが止まらないが、どうも旅役者の巡業公演が主流だったらしい。最近俄かに注目を集めている講談師。ここでは奇術師崩れの女講談師に大いに腕を振るって貰うつもりだ。そして第三部、現在の横河原でカクレとタヌキと占い師がどう絡んでいくのか、乞うご期待!
                   《東温市に魅せられて(後編)に続く 》

2021・5・27  忠の仁

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