漫画学とドラマ理論第18回

漫画学とドラマ理論 第18回

「ヒットした小説を漫画にしたらヒットするか?」


①     「黒澤明と小説」

 もう結論は言っちゃったけど、素人がやったら100%失敗します。これだけはハッキリ言える。映画も同じだと思う。

 黒澤明の映画を観ていると。ドストエフスキーや山本周五郎をかなり読んでいるなと感じる。黒澤明も小説が原作の映画を撮っています。「赤ひげ」などはその一例だが、小説の演出のままではない。あらすじを書けと言われれば、映画も小説も同じになるだろう。しかし映像化するときは映像化に相応しい演出をしなくては面白くならない。

「天国と地獄」という作品がある。スピルバーグやコッポラたちが何度も何度も観なおしている作品だ。この作品は一つだけおかしな点がある。クレジットに原作エド・マクベイン『キングの身代金』と書かれてある。この小説を読んだ人はわかると思うが全然話が違う。一つだけ同じ点がある。犯人は、被害者の子供を誘拐したと思ったら別の子供だったという点。刑法を知っている人はこれでも営利誘拐が成立するのは知っているだろう。要はこのワン・アイディアを読んで黒澤明は閃いた。イメージが膨らんでいろんなシーンが浮かんで脚本までできたということだ。

 著作権法上、アイディアをもらっちゃっても違反にはならない。しかし黒澤にとっては自分にインスピレーションを与えてくれただけで価値があるから原作使用という形を取ったのだと思う。


②     「ハリウッドと小説」

 以前にも書いたが約30年前にゼメキス監督にインタビューしたことがある。タイトルだったか忘れたが、あるヒットした映画のプロデューサーをゼメキスがやっていた。その映画の元になった小説の使用料が100万ドルだったので当時話題になっていた。いくらハリウッドでも原作使用料としては高すぎる。しかもその元になった小説は悲劇なのに、映画になったらコメディになっていた。

 それについてゼメキス監督に質問した。まずなぜ悲劇がコメディになったのかを質問した。彼が言うには脚本ができるまで3年間かかったが、面白くしようとしていたらコメディになったという。

 それじゃ小説に100万ドルかけるのは無駄ではないですかと質問した。そうしたら「いや、我々にインスピレーションを与えてくれたのだから100万ドルの価値はある」と言った。私もこういうセリフを吐きたい。

 要は小説の表現方法と、映像のそれは違うのだ。画像が入る点において漫画は映画、テレビに近い。何度か言ったが、戦後の日本の漫画は「映画の手法」をかなり取り入れている。よって小説で何百万部売れていても、それを漫画に単純にしても売れないのだ。もちろん実力のある玄人の編集者、漫画家がやったら話は別だ。しかし一旦小説と、漫画は別媒体で表現方法が違うのだと認識しなくては話にならないのだ。

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