【エッセイ】何をくぐった?

 春から初夏にかけて木々は青さを取り戻し、遠くに望む山も迷彩服のように若いのとベテランの木々がまだら模様をつくり始める。それはもちろん、山に限らず街路樹であったり、公園の木でも、どこでも、みずみずしい緑色をまとい始める。そしてそこの下をくぐるのは、ワクワクして仕方がない。別に街路樹にお小遣いを貰えるわけではない。お小遣いをもらえるならもっとワクワクするかもしれないが、いやいや、もうちょっとささやかな、自然の若さを肌で感じるという、この季節にしかない特別な体験。季節は一周した、そして木々も新たな葉をつけ始めた!そう感激して仕方がないのである。街路樹でもそんなに感動するのだから、もし、新緑に包まれた森にでも行けば卒倒するかもしれない。だからくれぐれも森には一人で行かないようにしようと思う。介抱する人をつけなければ。

 街の中で比較的木々が集中しているところといえば、真っ先に思い浮かぶのは神社である。いわゆる鎮守の森、というやつで、住宅地の中でもこんもりと木々をたくわえている姿は電車に乗っていてもわかるほどで、電車とか新幹線に乗った時に鎮守の森当てゲームを車窓を眺めながら一人でしていることは秘密である。さて、幸運にも私の家の近くにはそこそこの大きさの神社があって、鳥居を通ると拝殿までまっすぐに整然と伸びた参道がある。そしてその脇にあるのはもちろん、この神社を見守りながらまっすぐに伸びた木々である。まぁ立派に育って…と思わず近くによってさすりたくなるほど、一本一本の威厳は圧倒される。その参道が新緑、若々しい緑に包まれるというのだから行かない手はない。これを逃したらまた一年後なのだから、何があろうと時間を見つけていくのである。だれも止めるな!と心の中で思うのだけれど、実際、その神社には行かないで―!なんて本気で止める人は今のところは現れていないから、平和に行けている。今のところは。と少し含みを持たせてみたけれど、これからもさすがにいないと思う。

 無機なアスファルトで舗装された道路と、一歩入っただけで自然を感じ得る未舗装の土の道。そこの境目には真っ赤な鳥居が構えている。こここそが日常との境目。そして私にとっては新緑の楽園の入場ゲートだ。私がぼーっと鳥居の前で立ちどまっている間にも、人はそこそこ入って行っていて、地域に愛されている神社であるということがわかる。この人の波、さざ波くらいだけれど、に乗り遅れてはいけない。いつまでも入場ゲートで突っ立ってなんかいられない。さて、と一礼して鳥居をくぐろうとしたその時、前の方から電話を片手に、通話しながら歩いてきたおばあさんが来た。「あぁ、はい。はい。」といたって普通な通話をしていたのだけれど、私が一礼をして頭をあげて瞬間、おばあさんが私に並び、また鳥居の方を振り返った。まだ通話中である。老眼鏡を通して、入場ゲート、ではなく立派な鳥居をまじまじと眺めると、電話口に一言。“今、鳥居のかたちをした結界をくぐりました。”そう言い残すと、何もなかったかのようにまたすたすたと行ってしまった。結界ではあるのだけれど…鳥居ではあるのだけれど…。絶え間なく私の頭の中にクエスチョンマークが増殖する。百歩譲ってだ、百歩譲って鳥居のかたちをした結界は、間違っているとは言えないから、いいだろう。もしかしたら本当に鳥居のかたちをした結界かもしれないし。私が気になって仕方がないのは電話の相手だ。これを言われて、なんて返したのだろう。“鳥居のかたちをした結界?”と返すか“おぅわかった。じゃあ、おれそこからすぐの所で待ってるから。”みたいに自然に会話が成立したのか。

入場ゲートをくぐっても、卒倒しそうな爽やかさに囲われても、それが頭の中に張り付いてはがれようとしない。そして拝殿の前にまた、あっ。鳥居のかたちをした結界、いや違う、入場ゲート。…いやいや、あれは鳥居。
心がどこかに浮遊してしまったように。新緑も神社も身を入れられず。くぐるたびに、これは…。と。
あのおばあさんはあの後どこに行ったのだろう。


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