【エッセイ】神職。ここに神職。

 神社で働いている人のことを何と呼べばいいのだろうか。神職の人と言えば間違いではないのかな。神主さんていうと一つの神社に色んな神主さんがいてしまうことになるから。とにかく、神社には意外にも働いている人が沢山いる。私たちが神社に参拝に行くときなんかは、特に規模の大きな神社を除けば大体は、ドゥーイットユアセルフである。特に何かしてもらおうとしない限り、神社側の人と関わることはない。だけれど、御朱印をもらおうと思えば、ずっと御朱印の受付に座っている人もいるし、お守りを売っている人もいる。袴姿で交通整理をしている人もいれば、境内をほうきかなんかで掃いている人もいる。運が良ければお祓いなんかもしている。これ以外にもまだ仕事があるのであろう。我ら一般人が知らないような。なんせ神職だから。神様につかえるお仕事なのだから、儀式とかもあるのかもしれない。
 そのようなことで、いったい彼らはどんなことをしているのだろうと考えると、やはり我々と全く同じような生活をしているとは考えにくい。それは別に、彼らが毎日外食しているとか、家電が良いもの揃ってるとかではなくて、ある種の神聖視というか、上下は違わないけれど、違う世界を生きているように感じる。まぁ簡単に言うと、あぁなんかすごそう。と思うのである。神様に仕えているから。
 そういうようなことを強く感じるのは、何かしらの儀式などが行われているときであろうと思う。儀式の装束に身を包み、「ニョ~~」といった感じで祝詞を読み上げる。お祓いを申し込んだ人がそこにいれば、あの白い紙がいっぱいついたアレ、大幣というらしい、を頭の上でシャンシャンシャンとする。もっと盛り上がったときは、巫女さんが鈴などをもって、シャリン…シャリン…とならしながら舞う。これを間近で見れば、少なくとも私たちとは違う性格を持っていそうだと思ってしまうのは自然なことであると思う。
 ある冬の日。この年は初詣期間が延長されていたから、無理に人がごった返す正月三が日に参拝に来なくても、一週間後でも二週間後でも初詣をやればいいですと言ったようなシステムであった。だから新年の浮かれた気分が終わり、学校や会社が始まってもぼちぼち神社には初詣の参拝者が来ていた。まぁ私もそのうちの一人なのだったのだけれど、街中の神社に行くと、なぜか人が境内にあふれかえっていた。これでは正月三が日と同じくらいの人出であるが、そんなに今日まで初詣をパスした人がいたのであろうか。いやいやさすがに多すぎる。あらどうしてかしら。と思いながら、集まっている人の服装を見ると、スーツや、振袖の人が大半を占めていた。振袖…。そうだ。この日は成人式が行われていた日であったのである。ちょうど正月から少し日が立っていたし、その時期であった。道理で清掃をしている人が多いわけである。まさか正月三が日を避けて来たら三が日くらいの人の多さに遭遇するとは思わなかったが、これはこれでにぎやかで楽しい。参拝のために長くできた列に並び、お賽銭用の小銭を鞄から取り出した。
 待っている間は特に何もすることはないから、周囲を観察してみた。やはり、式の終わりで写真撮影をしている人が多い。集合写真もあり、個人の写真もあり、社殿をバックにしたりと、境内のあちらこちらで撮影が行われていた。すると私の近くにもカメラを持った振袖の三人組が来た。一人はカメラ担当らしい。拝殿の壁を背景に、写真を撮ろうとしていた。ポーズはどうする、とか、もうすこし壁に近づこう、とかいろいろ相談しているようで、最終的には背中に拝殿の壁がぴったりつくまで近づいて、二人でピース。もちろんピースの手はお互いの間で作る。これはよさげな写真が撮れるなーと思って眺めていた。
 カメラマンが言う。
「それじゃあ行くよ。二人もうちょっと真ん中開けて、真ん中にできた空間に傾いて、お互い寄り添うような感じ。あぁいいね!いいね!ピースよ。それじゃあ、はいチー…」
“ズ”を言おうとした瞬間、社殿の壁がバン!と開いた。よりによって二人の間で。なんと背景は外からはわからなかったが扉であったらしい。それが真ん中に仲良さそうに寄った二人の間で開いてしまった。二人が、真ん中を見てびっくりしているとなんと神職の人が出てきた。まだ堂々と出てきて、撮影中でしたか。申し訳なかった。と言って去るのなら、理想の神職、あぁやっぱり神に仕える者は堂々としているな、と思うのだけれど、扉を開けた神職は無防備にもほどがあった。トイレに行ってきた後だったのであろうか。何やらおへそ辺りで袴のひもを結ぶような動作をやりながらのん気に出てきた。二人は、一応ポーズは取りながらも、出てきたその神職を見る。彼は自分がどういうタイミングで出てきたか、何も気づいていないようであった。そもそも自分の周りに人がいないように考えているようであった。さて、紐をくくり終えて、顔を上げればびっくりである。自分の両脇に何やら自分によりかかるようなポーズをしている振袖の人がいる。挟まれているではないか。おまけにカメラもむけられている。その神職は自分の置かれた状況を理解しないまま、ただ何とも言えない表情をして足早にその場から去った。それはとてつもない不意の表情、恥ずかしい、気まずい、その他の感情を一緒くたにしたような、そんな複雑な表情。
 結局その振袖の二人組は同じようなポーズで写真を撮って帰って行った。私も参拝して帰った。もう一回くらいあの扉から誰か出てくることを期待したけれど、誰も出てこなかった。そもそもあそこは開けていい扉なのだろうか。帰る道中、あの神職の表情を反芻した。あんな神聖と思っていた職業の人の、あの無防備な表情。不意な表情。良いもの見たな。と。少し性格が悪いかもしれないけれど。

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