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カフェをつくる人等の物語、たくさんの人の心を温め続ける三冊。



こんにちは。

鞆の浦での出店の記録、
自称、「海の見える古民家で」シリーズ。
気づいたら思わぬ大作となっていました。

これがプロローグ的な。



いつかまた、私が今とは違ったステージにいるときに、読み返すと面白そう。

お付き合いいただいた方、ほんとうにありがとうございました。







さてさて、
時は遡り、この度の出店で、私がお誘いしてくれた方に「やります!」とお返事をしてのち。


じつは、
最初にやったことといえば、
"本を読んで気持ちを高めること" だったんです。
(もっと他にやるべきことがあったのでは、というところにはどうか触れないでください(笑))


久しぶりに読み返した、カフェにまつわる本を三冊。
noteにおられる方なら、もちろん好みにもよるけど既に読んだことのある方も多いと思います。この間も本屋さんのお顔に並べられていたのを見ました。

ずっと、たくさんの人の心を温めている本たちです。

(すみません、書き進めるうちに少々ネタバレもあります…!)




『パンとスープとネコ日和』 群 ようこ さん

 角川春樹事務所 / 2013年

唯一の身内である母を突然亡くしたアキコは、永年勤めていた出版社を辞め、母親がやっていた食堂を改装し再オープンさせた。
メニューは日替わりの〈サンドイッチとスープ、サラダ、フルーツ〉のみ。安心できる食材で手間ひまをかける。それがアキコのこだわりだ。

あらすじ より


アキコは四十五歳の女性で、学校を卒業後勤めていた出版社でバリバリ働き、物語の当時では次長待遇に昇格していた。

あることをきっかけに、
料理本の出版を通じて長年お世話になっている料理家の先生の後押しもあり、長年務めた会社を退職、しばらく閉めていた母親の食堂を再オープンさせることを決心する。

専門学校に通学し調理師免許を取り、
当時の常連さんを気にしつつも母親の時の食堂とは全く雰囲気の違う、自分の感性を大切にした食堂を新たに立ち上げて
二十人の応募者の中から直感でアルバイトさんの採用を決め
料理家の先生からお墨付きをもらったシンプルなメニューで
あれよあれよとオープンまで漕ぎ着ける。


ここまで読んで、
カフェを立ち上げる女性達に勇気をもらう予定だった私は逆に不安になってしまった。

「やっぱり、自分で何かしようとするには
決断力・行動力・おまけに料理のセンスもある、芯の通った人でないといけないのかも…」

物語の登場人物を前に何をおろおろしているのだ、私。(笑)


けれど、いざ食堂をオープンしてからのお話を読み進めるなかで、
たった一人の我が子のような存在のネコのたろちゃんとの描写、
自分が食堂を始めてから、当時の常連さんの足が遠のき一定の客層に偏っていることに悩む様子、
インターネットやSNSへあることないこと書かれていたことへの動揺など

アキコの人間らしい一面が代わるがわる出てきて、
もちろん私とは違い切り替えと対応が早いのだけど、なんだかほっとしたのでした。


また、お店をしているといろんな人がいろんなことを言ってくるが、
アキコはお客さんからの言葉をいつも真摯に受け止めて、時にはメニューを見直すなど向き合っていた。

これは、物語云々関係なく、今の私の本業(福祉職)においてもお菓子作りの活動においても、もちろんこれからの居場所作りの活動においても、
大切にしたい姿勢だなあと感じました。


そんなこんなで、物語はアキコの日常と共に進んでいきます。

アキコの会社員時代の描写がそう多くなかったので何とも言えませんが、
私は、アキコが自分で食堂を再オープンさせ、会社員の時とはまた違う働き方故に自身の生活とも向き合う時間が増えたことで、
アキコという人が、
どんどん起こる色んなできごとに動揺し、不安になり、でも頼もしいアルバイトさんに助けられながら、それらひとつひとつに立ち向かっていく、
綺麗な言葉が出てこないのですが「泥くさい」とも言うのでしょうか、
そんな、人間味が増していったように感じました。

まあ、もともと、そういう人だったのかもしれませんが。

まわり回って、結果、勇気ももらえたのでした。
誰でも、悩むよなって。
シリーズの、別冊も読んでみたいものです。




お次は、

『かもめ食堂』 群 ようこ さん 

幻冬舎 / 2008年

ヘルシンキの街角にある「かもめ食堂」。
日本人女性のサチエが店主をつとめるその食堂の看板メニューは、彼女が心を込めて握る「おにぎり」。
ある日そこへ、訳ありげな日本人女性、ミドリとマサコがやってきて店を手伝うことになり…。

あらすじ より


二冊目を読んで、
「あちゃー、これもまた芯の強い女性のお話だった!」と思った。

それと同時に、
そうだ、私は群ようこさんの文章にでてくる、
自分を持っていて(良い意味で)ピシャッとした物言いのできる女性像が好きで、
じぶんは普段そういうふうに振る舞えないので読んでいて爽快感があり、
一時期たくさん読ませてもらっていたんだ
ということも思い出した。



サチエは、
努力とびっくりするような運で資金を調達し
いくら昔の縁があったとはいえ 遠い異国の地フィンランドで食堂を開き、
少々お客さんが入らなかろうが、地元の人から好奇の目で覗かれようが動じずに、少しずつだけどお店を繁盛させながらも、
看板メニューは母親の思い出の味の日本食、父が握る”おにぎり”を貫いている。

ここまで読んで、完全に「傍観者スタイル」で読み進める自分がいた。
本を読むときは、その時の自分の心の状態にも左右されるけど、
内容によって たいてい「自分置き換えスタイル」か「傍観者スタイル」のどちらかで読み進める。自分でどちらかを選ぶのではなくて、読んでいるうちに自然とどちらかになっている。


そうして、「私はこんなふうにはできっこない」が消えると、
サチエの物言いははっきりしており読んでいて気持ちがいい。

サチエのそんな分け隔てないさっぱりした態度は
一人、二人と増えたかもめ食堂のメンバーの心をほぐしていく。

それぞれ、人生のわりと大きなできごとがきっかけとなり一大決心して渡フィンしたはずが、サチエと出会い、かもめ食堂を手伝うことで、いつの間にか新たな日常に溶け込んでゆく。

きっとそれは、サチエが知らず知らずのうちに二人に自分の役割、「ここにいる意味」を持たせているからだと思った。


そんな三人や、個性的なお客さんとのやりとりに、
「こんなことある?」と思いながらも最終的には癒されながら、
私も、後から登場した かもめ食堂を手伝うことを決めた二人、ミドリとマサコのように、自分の心が動いたときには、タイミングを逃さないように、手を挙げる勇気をもちたいと思えた。




最後は、

『しあわせのパン』 三島 有紀子 さん

ポプラ文庫 / 2011年

北海道の静かな町・月浦に若い”夫婦”が営むパンカフェがあった。
実らぬ恋に未練する女性、出ていった母への思慕から父を避ける少女、(中略)が次々と店を訪れる。
彼らを優しく迎えるのは、二人が心を込めて作る温かなパンと手料理、そして一杯の珈琲だった。

あらすじ より

映画監督の著者の作品だからか、私が今まで読んできた本と比べて視覚的描写が具体的で(誰がどんな顔をしている、など)、
まるで映像を見ているかのようでした。
文章を認めてもなおそのような表現ができるなんて、流石プロだなぁと。



さてさてこの本は、
鞆の浦での一度目の出店を終えた翌日、心身ともに疲れ切っていた日に、
舞台となるカフェマーニを訪れるお客さんのように、自分も癒されたいという思いで読み始めました。

(この記事の日)


ところが、癒されるどころか、
私があまりにも心が弱っていたからなのか、
出てくる人出てくる人、可哀想な生い立ちの登場人物はみな自分に置き換えてしまうのです。

”東京”で暮らすことにこだわり、見栄を張るあまり本当の幸せが見えなくなっていた女性、
二度と元の三人暮らしには戻ることができないと薄々感じつつ、現実を受け入れられないがために父親を避けている少女、、、

今思えば、彼女らの経験と私が通ってきた生きづらさはまた全然違うし、彼女らに自分を重ねることは適当でないことは明らか。なんだか失礼にさえ思う。
なのに ”あの日” は、物語の登場人物も、読んでいる自分も、世界で一番不憫に思えた。私のよくない「悲劇のヒロイン的思考」だった。

そういうふうに自分のどうしようもない悲しさを受け容れて可哀想な自分、と抱きしめて殻に篭ることも時には大切だけど、
このときはただただ虚しさと自己嫌悪ばかりが募る一方だったので、
大人しく本を閉じて、傍で昼寝するむすめと一緒に眠ることにした。


少し日をあけて、「また読みたいな」と思えるようになってから、続きを読んだ。

私が辛い時に読んだ前半も、
それから読み進めた後半も、
カフェマーニのりえさんは、必要最低限の言葉だけをそっと置いて、魔法のように手際よく素材を生かした温かい手料理を作り、
訪れる人々をいつの間にか「今置かれた場所」に戻し、「今ある幸せ」に気づかせる。

りえさんは一貫して凜とした態度で、奥ゆかしさもあり、
時々陰りを見せることはあっても核心をついた心的描写はなく、きっとりえさんの方から気持ちを言葉で伝えてくることなんてもってのほかという感じの、つかみどころのない女性。

現実に身近にいたら、近すぎたら吸い込まれてしまいそうだけど、
ひとたび離れたら見失ってしまいそう。

どちらかといえば普通の元会社員で、一緒にマーニを営む阪本くんは
今まで一体どれだけ不安な気持ちに襲われたのだろうと勝手に想像しお察しした。

そんな阪本くんの人柄を表した言葉は、
私が今までずっと心のどこかで感じ続けている気持ちを限りなく近く言語化してくれていた。

ボク自身カラマツを見るとなんだか自分のようだと自嘲気味に思えてくるのです。
どんな環境や人間との間でもそこそこ馴染めてしまう。
けれど自分が深くずっと誰かの心に根付いていけるかどうかという自信はありません。

p.168

私は自分では”個性的”とは縁遠いところにいる人間だと思っていて、
学生の時もどちらかというと優等生の方、怒られないように、何も言われないようにすることが得意で、先生の記憶にも残らない生徒。

色んなところで、嫌われないようにいい顔をすることが好きで、
いざ自分が困った!時には、
「ああ、誰に相談しよう。私のこんな相談を、誰が聞いてくれるだろう。」と
途端に一人ぼっちになったような感覚になる。

(まあ結局いつも、ひとりで抱えきれなくなって、どうしようもなくなってから
急に友達に泣きつかせてもらったりするのだけど。)


大人になった今、
阪本くんが言うように「深くずっと誰かの心に根付いて」いくことは、とても難しく感じる。

ちょうど最近の話だと、お菓子を通した活動をする中で様々な出会いがあっても、
いちどきり、関係が継続しないことが怖くて、繋がることに臆病になってしまうことも多い。どう接していいかわからないから、いいやって。

だけど阪本くんがこうやってわかりやすく言葉にしてくれたおかげで、
もうそれはそれで、無理に自分の殻を破る必要はなくて、
私ってそういうもんなんだよなあ〜 って妙に腑に落ちた。

そういう、もどかしさみたいなのを抱えつつも、
自分が信じる場所で、想う人と、カフェマーニを大切に創っている阪本くんの姿に、元気をもらいました。
最初はわからないまま進むしかなくても、続けていれば、何かまた違ったものが見えてくるのだと。




何度か読んだことのある本も、
ひさしぶりに開いてみると色んな見え方があるのだなと、書いていて思いました。

あなたにも、私にも、
また心温まる本との出会いがありますように。

お読みいただきありがとうございました。


瑞々しいパイナップルをお菓子に閉じ込めるのも好き
手づくりパンならよく食べる

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