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時計を捨てたい5歳と、時計を捨てられないママの話。

「母ちゃん、あの時計捨てちゃおう?母ちゃんもぼくもあの時計のせいで、急がないといけなくなるんでしょう?」


わが家のリビングのド真ん中の壁にかかっている、家の中で1番大きな黄緑色の時計を指差しながら、息子が言った。


「時計を捨てたとしても、時間はなくならないよ。時計がなくなっちゃったら、今何時なのかわからなくなって、母ちゃん仕事におくれちゃう。」


そう答えてみたけれど、息子からの返事はなかった。私の言っていることがよくわからないとき、息子はだまる。小さな頭でグルグルいろんなことを考えているんだと思う。


息子の頭の世界をジャマしないように、ソッと離れて身支度の続きをした。


しばらくすると、息子がソッと近づいてきて、私に聞いた。


「母ちゃんは仕事におくれたらダメなの?」

「うん。仕事におくれたら迷惑かけちゃう。」

「ぼくは幼稚園におくれても誰にも迷惑かけないよ。」

「うん。そうやなぁ。でもりんりんはまだ1人で幼稚園行けないでしょ?1人でお留守番できないでしょ?だから母ちゃんの仕事の時間に間に合うように、幼稚園に行ってるんだよ。」


息子、またまただまる。


「じゃあさ、ぼくが1人で幼稚園行けるようになるまで、だれかに仕事かわってもらったら?そしたら急がなくてよくなるよ。」

少ししてから、そんな言葉が返ってきた。


なんだか頭をガーンと殴られたような言葉だった。息子の何気ない1言に、私はよく頭を殴られる。


仕事を代わってくれる人なんていくらでもいるけれど、ぼくのお母さんは母ちゃんだけなんだよ、と言われているような気がしてしまった。



時計を捨てたら時間がなくなると思っているくらいの子供を、毎日預けて働く必要性がグラグラゆらいでいく。

自分のやりたいことをやるよりも、今は子供と時間に追われずに過ごすことを優先した方がいいんじゃないか。


覚悟を決めて昼間の仕事をはじめたはずなのに、私の心は息子の言葉1つですぐに揺れてしまう。

やりたい仕事を昼間にしているのに、コンビニの夜勤を週に1回でも続けているのはきっと、いつでも息子優先の日々に戻ることができるようにと心のどこかで思っているからにちがいない。




どうして1日は24時間なんだろう。
どうして1秒はあの長さなんだろう。
だれが決めたんだろう。
どうやって決めたんだろう。


日本の人口が1億2千万人くらいなら、きっと1億個以上の時計が日本にはあって。

その1億個以上の時計のすべてが、同じ針をさしているなんて、なんだかゾッとする。

「時間だけは平等」なんていうけれど、年齢や顔や体の形や住んでいる地域や環境がちがっても、その時計の針や数字だけは、みんなピタッとそろっているのだ。


でももし息子が言うように、時計を捨ててしまったら。たとえば日本中の人が時計を捨ててしまって時間がわからなくなってしまったら、私たちはどんな生活をするんだろう。



きっと目が覚めたときに起きるんだろう。
目覚まし時計に起こされることはない。

きっと眠くなったときに眠るんだろう。
12時を過ぎちゃったから焦って布団に入る、なんてことはなくなる。

きっと朝ごはんはのんびり食べて、食べ終わったらのんびり準備して、幼稚園に行くんだろう。みんな登園する時間がバラバラだから、その場にいる先生が気の向いたことを気の向いた園児たちとやる感じになるだろうか。

私は息子を幼稚園に送ったあと、のんびりリラクゼーションサロンにむかって。「太陽が真上に来るまでには出勤してくださいね」というシステムだろうか。時間がないのなら「予約」というシステムもないから、すべてのお客さんが「飛び込み」で来店することになるだろう。「今、空いてる?」とお客さんがお店にやってきて、その場にスタッフがいれば揉ませてもらう、みたいな感じだろうか。

空を確認して、そろそろ夕方だなと思ったらお店を出て、暗くなる前に息子を迎えにいく。


この先、時計がなくなることも時間がなくなることも絶対にないとは思うけれど。

そんな想像をしてみると、なんだか毎日時間に縛られてキュッと緊張していた心と体がフワッとゆるんでいくような気がした。



よく考えてみると、息子が産まれてから幼稚園に入るまでの3年間、ほとんど時計のいらない生活をしていた。

はじめのうちは、「7時には起きて、12時にはごはんを食べて、そのあとお昼寝して・・・」みたいに、育児書に書いてある模範的なリズムに合わせて生活をしていたけれど、ちっとも思い通りにならなくてやめた。

息子が満足するまで公園で遊んで
お腹がすいたときにご飯を食べて
眠たくなったらねて
目が覚めたら起きる。

時間に合わせて生活するよりも、そうやって過ごしたほうが、息子がゴキゲンでいてくれた。イヤイヤが少なくなった。


大人時間と子供時間はぜんぜん違うんだな、とその時期に気づいた。私は基本的に、産まれて間もない子供の方が「人間の本来あるべき姿」に近いと思っているから、いつも息子から「忘れてしまっていた大切なこと」を教えてもらっているような気持ちでいる。


完全にはむずかしいかもしれないけれど、私もいつかできるだけ「子供時間」で過ごせる時間を増やせたらなと思う。

そのためにはやっぱり「自分で仕事をする」ということが必要な気がしている。

その時々の状況に合わせて、その時々の「自分にとっての大切なこと」に合わせて、働く時間や働く量や働き方を自分でコントロールすることができたなら。

そんな未来に向けて、コツコツと準備していきたい。





5歳の息子には、まだ時計の読み方や数字を教えていない。教えていない、というより、まだ知らないでいてほしいというのが本音なのかもしれない。

小学生にもなれば、嫌でも「時間通り」に生活しないといけない。「時間割」に沿って生活するのだ。時間を割られている、そんな生活。

子供時間から大人時間への扉が開いていく。

それまではもう少しもう少し「時間」に対してフワッとした日々を送っていてほしい。

そんな想いがある。



そんな想いがあるのに、今の私は時間に縛られていて、というより時間通りに通勤するのはやっぱり社会では当たり前で、息子を急かして幼稚園に送り出している。


矛盾だらけだ。



"想い"と"現実"のハザマで葛藤する日々。

"自分のやりたいこと"と、"今1番大切にしたい人"とのハザマで葛藤する日々。


ママであればきっと誰もが持っている気持ちをギュッと抱きしめながら。




今日も矛盾だらけで、前に進む。


【最後に】
noteを書き始めて2つ目に書いた記事のことをふと思い出しました!

読み返してみると、なんだか初々しい♪

「ブラブラ期」って知ってますか?

私はブラブラ期のことを知ってから、イヤイヤ期の息子と過ごしやすくなりました。

興味のある方は読んでみてくださいね↓


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