「あるあるモード」で生きようと決めた、ずぼらママの話。
食器洗浄機を買って、1年くらいがたった。
食器洗浄機を買ってから、旦那さんとの洗い物バトルがなくなり、休日のイライラが激減した。
ごはんを食べたあと、旦那さんと息子がリビングでダラッとしていると、私だってこのホッコリ温かくなったお腹を感じながらのんびりしたいぞと、山のように積み上がる洗い物を目の前にイライラしてしまうことがよくあった。
そんなイライラムードを察した旦那さんが「洗い物、やろうか?」と聞いてくれる。「ほんと?ありがとう!」と素直に頼れる日もあれば、「別にいいよ。」とぶっきらぼうに答える素直じゃない日もあった。
めんどくさい女だ。
めんどくさいやり取りだ。
食器洗浄機のおかげで、私も旦那さんもこのめんどくさいやり取りをしなくてよくなったのだ。
食器洗浄機がやってきてからしばらくの間は、毎日しみじみ感動していた。洗い物に費やす時間が3分の1くらいなって、「もっと早くに買えばよかった。なんて便利なんだろう。洗い物がすぐ終わる日々はなんて楽なんだろう。食器洗浄機さん、ありがとう。本当にありがとう。」って。
そして、その快適さに慣れた私は今や、
「食器を食器洗浄機に入れるの、めんどくさいなぁ。食器を食器棚に戻すの、めんどくさいなぁ。」
なんてボヤいている。
そしてさらに、
「乾燥機付きの洗濯機がほしいなぁ。洗濯物を干さなくてもいい日々はどんなに楽なんだろう。天気も関係なくなるし、服をパンパンして服をハンガーにかけたり外したりする時間がなくなるなんて天国やん!」
なんてホザいている。
家事を楽にしたい欲望は果てしなくて、きっと乾燥機付きの洗濯機を手に入れた次は、「お掃除ロボットがほしい!掃除機をかけなくていい日々はどんなに楽だろうか。」なんてホザく自分を容易に想像できる。
「欲望」が湧いてくることは悪いことではないし、「欲望」は生きるために必要なものなんだと思うけれど、「ないないモード」で生き続ける限り、永遠に「満足」する日はやってこないのだろうと思う。
そんなのしんどすぎるから、自分の「ないないモード」に気づいたら、意識的に「あるあるモード」に切り替えるように心がけて過ごしている今日このごろだ。
すると、ごきげんでいられる時間が増えたような気がする。
たとえば「お腹いっぱいだなぁ。ごはんの後片付け、めんどくさいなぁ。」と思ったとする。
「ないないモード」のときは、
だれか手伝ってくれないかなぁ。
お手伝いさんを雇えるくらいお金持ちになれたらいいのになぁ。
もっと外食を増やせるくらいの給料があればいいのになぁ。
なんて、もう果てしなくて欲望がふくらんでいく。
そこで「あるあるモード」に切り替えると、
前はこの食器洗浄機がなかったんだよなぁ。
すごく楽になったよね。ありがたいなぁ。
お給料1ヶ月分くらいのお金を払って食器洗浄機を買うことに賛成してくれた旦那さんには本当に感謝だよなぁ。
毎日外の世界で働くのはしんどいだろうなぁ。いつも本当にありがとうね。私も家事とバイトがんばるね。
このお皿は○○で買ったなぁ。このコップは○○で買ったなぁ。このお鍋は○○で買ったなぁ。料理ができるキレイなキッチンがあって、食べるためのお気に入りの食器がそろっていて、なんてありがたいことだろう。
なんて、果てしなく「有り難いこと」が湧きあがってきて、重たかった体がフッと軽くなってしまうから不思議だ。
何もむずかしいことはしていない。
「はっ!私いま、ないないモードになっちゃってた。今からあるあるモードに入ります!スタート!」
みたいな感じで、心の中で仕切り直しただけで、こんなにも自分の世界が一瞬にして変化するのだ。
現実は何も変わっていないのに、私の世界がガラリと変わる。
おもしろいな、と思った。
「ないないモード」で生きていきたいのか、「あるあるモード」で生きていきたいのか、自分で決めて選ぶだけ。
ないないモードを選ぶと、現実の「ない」部分だけが浮き上がって見えてきて、あるあるモードを選ぶと、現実の「ある」部分だけが浮き上がって見えてくる。
私の現実には「ない」部分が果てしなくあって、同時に「ある」部分も果てしなくあるのだ。
それならば、果てしなく「ある」世界で生きていけたらステキじゃないか。
私はめちゃくちゃめんどくさがりやで未熟だから、ちょっとでも気を抜くとすぐに「ないないモード」に突入してしまう。だからこれからも完璧に「あるあるモード」で生きることはできないかもしれない。
でも気づいたら戻って、気づいたら戻って。
いつも「あるあるモード」に戻って、「あるあるモード」を選択し続けて、生きていけたらいいなと思う。
そして「あるあるモード」は家事をする時以外でも、子育てや仕事など、あらゆるところに適用される。
子供にイラッとしたりモヤッとしたりして「もっと○○だったらいいのに!」なんて思っちゃうことなんて日常茶飯事だけれど、
今日もごはんを食べてくれてるなぁ。
今日も元気いっぱいで生きているなぁ。
今日も笑顔がかわいいなぁ。
今日も寝顔が愛おしいなぁ。
などなど、意識を「目の前の息子への感謝」に向けるだけで、胸の真ん中に温かさが戻ってくる。
今日はバイト行くのがめんどくさいな、しんどいな、と思うことなんて日常茶飯事だけれど、
働ける場所があってありがたいなぁ。
お金の心配がなくなったのは、このバイトのおかげなんだよなぁ。
お客さんもスタッフさんも、ほんと優しい人が多いなぁ、恵まれているなぁ。
などなど、意識を「今やらせてもらえている仕事への感謝」に向けるだけで、背筋がシャキッとのびて、「いらっしゃいませ」の声に気合いが入る。
私の世界には、いつでもたっぷり「ある」。
だからいつも安心して
そこに戻れるように
そこを選べるように
今日も今自分にできる範囲で「ある」に意識を向けていよう。
そうしたい。
そうしよう。
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