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お父さんの「愛し方」って、こんな感じ?

どこの家庭でもあるあるかもしれないけれど、父ちゃんは息子と一緒にいる時間がすごく短い。平日の朝と夜に、ちょっとずつ会えるか会えないか。土日は仕事がなければ1日一緒にいるけれど、仕事の日もわりとある。

私が息子と一緒にいる時間と比べたら、きっと半分以下だろう。だからこそ余計に、一緒に過ごすときの「密度」が大切だよね、と思うのだけれど。

仕事で疲れているのはわかるけれど、土日は隙あらばソファに寝転がって、スマホをいじっている。息子が父ちゃんに話しかけたり絡みに行っても、心のこもっていない返事を返すこともしばしば。

なんだか急にやる気を出して、息子と戦っていたりするけれど、10分もすればイソイソとまたソファに埋まっている。

息子にとって「父ちゃんと家で遊ぶ」というのは、一緒にゲームをするか、一緒に映画やアニメを見るか、という感じになっている。

私が予定のある日や疲れている日は、息子を遊びに連れていってくれたりする。その場所は、だいたい映画館。自分の見たい映画の中で、息子も見れそうなものを選んで見に行く、という感じだ。「めっちゃ楽な過ごし方やんか!」と正直思う。もっと体を使ってお金を使わず遊んであげてよ、と思ってしまう。

夜に家にいる日は、息子を寝かしつけてくれる。ドラゴンボールの漫画とスマホを持って、息子と寝室に向かう。まだ字の読めない息子に、ドラゴンボールの漫画2〜3話を読み聞かせしている。父ちゃんはドラゴンボールが好きだから、楽しそうだ。そして読み終えたら電気を消す。そして息子の隣で、スマホゲームをしたり、スマホ漫画を読んだりしている。「隣にいればいいってもんじゃないでしょうに。自分と一緒にいるときに、スマホばかりさわって放っておかれたら嫌でしょうに。」と私は心の中で毒を吐く。


私から見ると父ちゃんは、自分が楽で楽しいことが1番で、息子のことは二の次のように見えてしまっていた。



「息子のことをもっと愛してあげてよ。大切じゃないの?」

私の心の中ではそんな叫び声が響き、父ちゃんを冷ややかに責め立てる。

息子は私と父ちゃんの子供だけれど、息子は私のお腹に宿り、私が産んだ。自分で産んでいない父ちゃんは、きっと親になった実感が私よりも少ないんだ。息子への愛情だって私よりも少ないにちがいない。それは仕方のないことなのかもしれない。

そう考えると、なぜだか気持ちが落ち着いた。まるで「私の方が息子を愛している!」と父ちゃんに勝負を挑んでいるかのよう。「愛の量」なんて計れるはずもないのに。



そんなある日の早朝、ふと目が覚めた。

その瞬間、父ちゃんがこちらを向いて、布団の上でお父さん座りをして座っている姿が目に入って、ギョッとした。

ボンヤリしていた頭が一気に冴えて、よくよく見てみると、父ちゃんは息子の頭を撫でていた。私の隣でスースーと寝息をたてて眠っている息子の顔を、やさしい眼差しで見つめながら。

そのワンシーンを見ていると、なんだか父ちゃんにもう会えないような気がした。親が何も告げずにいなくなるときには、必ず寝ている子供の頭を撫でてお別れするのが定番だ。似たようなシーンを、ドラマや映画で何度も見たことがあるような気がする。

とはいえ父ちゃんはその日の晩、普通に帰ってきたけれど。私の知らないところで、もちろん息子にも気づかれない時間帯に、こんなにもひっそりと愛情を注いでいたんだなぁと思った。



「こんな早朝から仕事に行くの嫌だなぁと思ってさ、りんりんの寝顔を見てから会社に行った。」

父ちゃんにその話をすると、そんなふうに返事が返ってきた。父ちゃんは、息子の寝顔を見てパワーチャージしていたのだ。

父ちゃんは、息子をすごく愛している。

そう思った。



息子のことを愛してる?
私のことを愛してる?

父ちゃんがあまりに家にいないことが多かったり、自分のことを優先していたりすると、たまにわからなくなることがある。

私にとっては、息子のことを優先したり、息子にごはんを作ったり、息子と一緒にあそんだりおしゃべりしたり、息子の話を真剣に聞いたり、息子の気持ちを受けとめたり、息子のことをたくさん考えたり、そんなようなことが「息子を愛する」ということだ。

でももしかしたら、「愛し方」ってもっとたくさんあるのかもしれない。

父ちゃんにとっては、がんばって仕事をしたり、子供とゲームをしたり映画をみたり、ただ隣にいたり、頭を撫でたり。そうやって父ちゃんなりに全力で、息子を愛しているんだなぁと思った。

そして私の「愛し方」は、ひょっとしたら頑張りすぎなのかもしれないなぁと、ふと思った。だって私はその「愛し方」を、全然できていない。でもなんとかがんばっているから、ちょっぴり「愛してる演技」をしている気持ちになるときがある。きっと私の頭の中には「絵に描いたようなお母さん」がいて、そのお母さんみたいに息子を愛そうと、もがいているんだと思う。

そんな私の横で、のんびりと楽しそうに息子を愛している父ちゃんが、うらやましかったのかもしれない。あんな愛し方は認めない、私はこんなにがんばっているのに、と意地になっていたのかもしれない。

父ちゃんほどのんびり愛することはできないにしても、私ももう少し肩の力を抜いて愛を注げたらなぁと、父ちゃんに教えてもらったような気がした。



お母さんはお母さんの注ぎ方で、
お父さんはお父さんの注ぎ方で、

あの人はあの人の注ぎ方で、
私は私の注ぎ方で、

大切な人に日々愛情を注げばいい。
注ぎ方なんて、決まっていない。

わかりやすい注ぎ方もあれば
わかりにくい注ぎ方もあるし、

キラキラと美しい注ぎ方もあれば
ギラギラとなんだか不自然な注ぎ方もある。

気づかないくらいにサラサラとした注ぎ方もあれば、なんだか不器用な注ぎ方だってあるけれど。

どんな注がれ方でも、きっと栄養になると思うから。

いろんな方法で、それぞれのやり方で、いろんな方向から、注がれて注がれて。

グングン育っていっておくれ、と思う。



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