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「今日はつまらない日だったね」と息子にいわれてブチ切れてしまった理由。

もよ

4連休明けの昨日、息子は幼稚園を休んだ。

熱はないものの、咳がしんどそうだったし、こんな時期だから大事をとってお休みした方がいいかなと思った。

でも正直、私のテンションはだだ下がりだった。最近、休日が平日で、平日が休日のように感じてしまう私は、4連休を終えてヘトヘトだったのだ。

息子中心で動く休日は、自分の時間がほとんどない。家族の3食分のごはんを何にしようかと考えて準備して、今日はどこで何して遊ぼうかと考えて遊びに行ったり、1日中たえまなく続く息子の小さな要望に応えたりしているうちに、あっというまに1日は終わる。


家族と過ごす時間はもちろん大切だけれど、ほとんど自分のペースで過ごせない休日は、やっぱり疲れてしまう。家族が大好きだという気持ちにウソ偽りはないけれど、家族と過ごす休日をまるで仕事のように感じてしまうというなんだか罪悪感に似たような気持ちは、幼い子供と過ごすお母さんならわかってくれると思う。


ほとんどのことが自分の思い通りにならなくて、ほとんどのことが息子のペースになってしまうじれったさに、イライラした気持ちが湧いてくるけれど、子供の可愛さでなんとかギリギリのところでそのイライラが消えていってくれる。イライラが湧いてきては消えて、湧いてきては消えてという過程を、1日の中で数え切れないくらい繰り返す。心の波の大きさを自分でコントロールできているようなできていないようなあの不安定な感じは、やっぱり精神的に消耗してしまうのだ。


というわけで、楽しみにしていた4連休明けの一人時間がなくなってしまった。

でも風邪をひいてしまったことは仕方がないし、誰のせいでもない。なんとか自分で自分をなだめて、息子と家で1日を過ごすという現実を受け入れた。



4歳くらいの息子と1日家で過ごす場合、みんなどんな感じで過ごしているんだろうか。

外出は控えた方が良さそうだし、なんだか身体はダルくて重たいし、今日は1日中テレビを見たりしてダラダラしてしまおうかという気持ちが湧いてきたのに、私は「素敵なお母さん」になろうとしてしまった。


なんだかダルいな、休みたいな、という心の底から湧いてくる気持ちに蓋をして、「風邪をひいた息子がお家で楽しく過ごせるように1日とことん遊びに付き合おう」という選択をしてしまったのだ。


というわけで
朝からとことん息子の遊びに付き合った。

息子も楽しそうだった。満足そうだった。


夕方になって1日の終わりを感じたとき、1日よくがんばった後の清々しささえ感じていた。


いい感じに1日が終わろうとしていたのに。



お風呂に入って、夜ご飯を食べたあと、
私はなんだか眠くて眠くて仕方がなかった。


わが家では、夜ご飯を食べたあと「遠回り」をして、トイレに行って、歯を磨く、というルーティーンがある。「遠回り」というのは、懐中電灯をもって一緒にお布団にもぐる、という謎の日課だ。テントみたいで楽しいんだと思う。その布団テントの中でいつもなら、おしゃべりをしたりラブラブしたりするのだけれど、目がどうしても閉じてきてしまう私の意識はとぎれとぎれだった。


眠くて眠くてフラフラな状態で、なんとか遠回りを終えて、トイレに行って、歯を磨き終わったあと、息子はまた私を遊びに誘った。


「母ちゃん今から洗濯干したいし、眠いし、もう遊べないや」

そう言ったら、
息子は何食わぬ顔で、こう言った。


「つまんない。つまんない。
今日はつまらない日だったね。」



その言葉を聞いた瞬間、私の中でプチッと何かが切れた。頭に血が一瞬にしてのぼっていくのを感じた。
 

「母ちゃんといてつまらないんだったら、もうずっと幼稚園行っとけばいいやん!」


考える間もなく、そんな子供っぽくて意地悪な言葉を、4歳の息子に思わずぶつけてしまった。そして、なかなか怒りがおさまらなくて、前触れもなく突然湧いてきた激しい感情に戸惑って、これ以上息子に意地悪を言ってしまわないようにトイレにかけこんだ。


息子はポカンとした顔をしていて、なんで私がそんなに怒っているのかきっとわかっていなかった。当たり前だ。私だって、息子の楽しそうな顔を1日見てきて、息子が本当に1日中つまらなかったと感じているわけではないとわかっている。おそらく、遠回り中に私が半分寝ていたことが気に入らなかっただけなのだ。

幼稚園に行き始めて、よりいろんな言葉を覚えてくるようになって、いろんな言葉を使うようになっているけれど、その一つ一つの言葉を使う場面や微妙なニュアンスはまだまだ曖昧であることだって普段の息子を見ていてわかっているのだ。



なのに、どうしちゃったんだろう、私。


少しずつ冷静になってきたとき、
ふとわかってしまった。





私は、
今日一人でゆっくりしたかったのだ。





その気持ちに蓋をするどころか
なぜか必要以上にがんばってしまったことが
良くなかったんだ。


そう思った。



もし、自分の気持ちを大切にして
1日中息子とテレビをみたりしながら
ダラダラのんびり過ごしていたとしたら

「今日はつまらない日だったね」

と言われたとしても

「そうだねぇ。風邪ひいてるし今日は仕方ないよね〜。早く治ったらいいね〜。」

なんて、普通に答えていたんだと思う。




(ゆっくりしたい気持ちを我慢して
せっかくがんばって1日遊んだのに!)


そんな気持ちが心の底にあったからこそ
「つまらない日」という言葉に対して
反応してしまったのだ。



我慢したり
自分の気持ちを押し殺したりすると
その反動が必ずやってくるんだと
実感した出来事だった。



息子に頼まれたわけでもないのに
勝手にがんばって遊んで
勝手にブチ切れて。

あーあ。

今日1日
「素敵なお母さん」なんて目指さずに
ダラダラして過ごせばよかったな。


そう反省した。





4歳になった息子は

今自分に湧いてきている感情に
とても忠実で

感情が湧いてきた瞬間に
全身で表現する。


その4歳の息子と同じくらいの子供が、

私のお腹の中にも
住んでいるような気がする。



大人の私は、
湧いてきた感情のすべてを
表現することはないけれど

お腹の中にいる子供の私は
4歳の息子と同じように
いちいち
泣いたり喜んだり叫んだり笑ったり
しているのだ。



私は現実世界の息子をなだめる。

そして、
お腹の中にいる子供の私を
なだめる。



どちらの言うことも聞いてあげたいけれど
やはり目の前にいる息子の言うことを
優先することが多くなる。


すると
子供の私がすねてしまうのだ。



それが積もりに積もってしまうと
子供の私は怒り、

それが大人の私にもダイレクトに届き

大人の私も怒る。



そんなような感覚が、最近ある。




だからほどほどに
子供の私のことも優先してあげた方がいい。
大切にしてあげた方がいい。


だれしもが昔は子供だったから
きっと誰のお腹の中にも
「子供の私」が住んでいるはずなのだ。



耳を傾けて、
ほどほどに言うことを聞いてあげないと

今日の私のように爆発してしまう。






父ちゃんが帰宅したとき
息子は言った。

「母ちゃんとケンカしてるの。」



父ちゃんにケンカの理由を伝えたけれど
あまり共感してもらえなかった。
いつも「母ちゃんと寝るー」といって
寄ってくる息子が
おやすみも言わず、目も合わせず、
しょんぼりと父ちゃんに抱っこされて
寝室に消えていった姿が
なんだかむなしかった。


自分が我慢して
息子に楽しい1日を過ごしてもらおうと
思ったのに

1日の最後をこんな気持ちのまま
迎えることになってしまった息子に
心の中であやまった。


そして
自分が我慢することで
誰かが幸せになることなんて
きっとないんだと
なんだかストンと腑に落ちた。


もう「素敵なお母さん」を目指して
がまんしすぎるのはやめようと誓い
ぐっすり眠った。




そして今日の朝、
「昨日は怒ってごめんね」と
息子にあやまった。


すると息子は
また何食わぬ顔でこう言った。


「母ちゃんのせいでつまらなかった」


その言葉をきいて
一瞬反応してしまいそうになったけれど

たっぷり眠って
今日1日ゆっくり過ごせることを考えると
昨日のような気持ちは
ちっとも湧いてこなかった。



息子と、子供の私が、
折り合いをつけて過ごす日々は
まだまだ続きそうだ。


いつも一緒に過ごす家族だからこそ

がまんしすぎず
無理しすぎず
ほどほどにね、私。

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