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もうすぐ夏休み。学童の申込みをしなかった理由。

「では梅川さん、こちらで靴をぬいでください。」

彼女がそう言ったので、キョロキョロ動かしていた目線を彼女の方に向けた。でもおかしい。彼女は私の方を見ていない。彼女の目線の先には、息子がいた。私にではなく、息子に向かって投げかけていた言葉だったのだ。

梅川さん。

私たち家族の苗字は「梅川」だから、もちろん息子だって「梅川さん」なのだけれど。息子はおそらく自分のことだと気づいていないのだろう。振り向くこともなく、靴を脱ぐ気配もなく、校舎の少しくすんだ白い壁に近づき、なぜかベタベタと触りまくっている。


「りんりん、ここで靴をぬぐんだって。」

私が息子に向かってそう言うと、クルッとふりかえってこっちに来て、靴をぬぎはじめた。息子は、私と父ちゃんから、そして学校や近所の人たちから、「りんりん」と呼ばれている。


私たちは今、籍を置いている小学校の「学童保育」の見学に来ている。普段はオルタナティブスクールに通っているのだけれど、その学校は文部科学省の認可を受けていない。なので、籍は近所の公立の小学校に置きながら、そこに通っている。

そのオルタナティブスクールには、学童保育がない。仕事もしたいし、1ヶ月以上も息子と2人で毎日を過ごすのは私が煮詰まってしまうので、夏休みの過ごし方を考えていた。幼稚園が一緒だった近所の子たちも学童に通っているので、夏休みだけ1日置きくらいのペースで学童に行くのが、ほどよいバランスのように思えた。そして、とりあえず見学に行ってみることにしたのだ。


案内してくれた彼女は、そのあとも息子に何度も「梅川さん」と呼びかけていた。私はその度にモヤモヤとした。このモヤモヤは何なんだろう。息子がおそらく人生で初めて、面と向かって「梅川さん」と呼ばれている。そのことに慣れていなくて違和感を感じているだけかもしれない。「さん付け」で呼ばれる年齢になったんだなぁなんて、シンプルに喜べばいいのかもしれないけれど。そんな深く考えずに、「小学生になったら、さん付けで呼ばれるもの」と割り切ればいいのかもしれないけれど。


*****

息子が幼稚園の年長さんの秋、そのオルタナティブスクールに4日間の体験に行くことになった。初日、担当のスタッフさんが軽く自己紹介をしてくれた後、息子に向かって言った。

「はじめまして。何て呼ばれたいかな?」

息子はなぜか「母ちゃん、答えて。」と言った。ちょっぴり緊張していたのだろうか。息子が呼ばれたい名前なんて、1つしかない。私がたまにふざけて「りんたろう!」と本名で呼ぶと、「ぼくはりんりん。りんたろうじゃない!」と怒られるくらいなのだから。


「りんりん、です。みんなから、りんりんって呼ばれてます。」

私が息子のかわりにそう答えると、「りんりんね。りんりん、じゃあ案内するね。」と、スタッフさんは息子の名前をゆっくり丁寧に2度呼んだ。その感じが、すごく好きだなと思ったのを覚えている。

その日は体験が終わる3時に、学校へ迎えに行った。

「りんりーん!バイバーイ!」

息子の側を横切る子たちが、声をかけてくれる。まだ1日しかここに居ないのに、みんなが息子を呼ぶその感じがあまりにも自然で、なんだかもうこの学校の仲間になれたような気がした。息子はこの学校に通うことになったら「りんりん」と呼ばれるんだなぁと思うと、なぜだかすごく嬉しかったし、なぜだかすごくいい感じがした。でも、例えば声変わりなんかしちゃったときには「りんりん」っていう呼ばれ方は可愛すぎるんじゃないかい?とふと思ったりしたけれど、「りんりん」以外の呼び方が今は頭に浮かばない。


もし「りんりん」という呼ばれ方がしっくりこなくなったとしたら、そのときにまた「呼ばれたい名前」を見つけたらいいよね、と思った。

*****

そのオルタナティブスクールでは、子供たちだけじゃなくて、スタッフさんや保護者も「呼ばれたい名前」で呼び合う。

子供たちも、スタッフさんのことを「あだ名」で呼ぶ。そもそも「先生」と言わずに「スタッフ」と言うのだ。「先生が生徒に教える」というスタンスではなく、「子供を真ん中に置いて、大人たちがサポートしながら、大人も子供も一緒に学ぶ。」というスタンスをとっているので、「呼び方」もそれに合わせているんだと思う。


私は「もよちゃん」と呼ばれている。本名は「ともよ」だけど、「ともよちゃん」と呼ばれるよりも「もよちゃん」と呼ばれる方がなんだかしっくりくるので、「もよちゃん」と呼ばれるのが好きだ。


この間、1年生の何人かと川に遊びに行ったとき、うれしいことがあった。

「りんりんのママ!あのね、お母さんがりんりんのママのこと"もよちゃん"って呼んでる。」

「うん。本当の名前は"ともよ"なんだけど、あだ名は"もよ"なんだ。」

「へえ〜。そうなんだ。」


そのときはそれで終わったのだけれど。そのあとしばらく一緒に川で遊んでいると、その子は私を呼んだ。


「もよちゃーん!いっしょにあっちの方行こ〜!」

今日会ったばかりのときは「りんりんのママ」って呼ばれていたのに、今は「もよちゃん」って呼んでくれている。「同級生のお母さん」から「一緒に遊んだ友達」になれたような気がして、胸がキュンッと高鳴った。


たかが呼び方。されど呼び方。

そこに2人の関係性がギュッとつまっているような気がするのと同時に、まだ関係性ができていないときにだって、その「呼び方」が2人をグッと近づけてくれることさえあるような気がした。

*****


そんなこんなで。

学童の見学が終わり、校舎を出た。


「りんりん、学童どうやった?」

「イヤやった。ぜーーーったい行きたくない。」

「なんでそう思ったの?」

「わからん。なんとなく好きじゃない。」

「うん。母ちゃんもあんまり好きじゃないなぁって思った。」

「母ちゃんは、なんで?」

「りんりんと一緒。なんとなく好きじゃないと思った。それにさ、りんりんのこと"梅川さん"って呼んでたね。」

「そうなの?気づかなかった!ぼくは"りんりん"やのになぁ!」


そんなことを話しながら、2人で手をつないで、校舎に背を向けて校門に向かって歩いた。

「なんとなく」で全てを決めてしまっている適当な親子のように思えてしまうけれど。「なんとなく」って1番大切だよねって思う。「なんとなく嫌」は、あなたはそこに行ってはダメだよ、あなたにとってそこは違うよ、という最も正確なサインだから、無視しない方がいい。


でも「なんとなく」なんてあまりに適当だから、あえて理由を探してみると。


息子のことを「梅川さん」と呼んだから。

そう答えるしかない。


「そんなことで?」と思われてしまうかもしれないけれど、その「呼び方」に、その場所の雰囲気がギュッとつまっているような気がした。

もしあの場所で「何て呼ばれたい?」って聞いてくれて、息子のことを「りんりん」と呼んでくれていたとしたら。

私も息子も、もう少しあの場所を好きになれそうな気がしたかもしれない。


子供たちを一律に「〇〇さん」と呼ぶというルールがあるんだと思う。もちろん社会に出れば、「はじめまして」のあとは「〇〇さん」と呼び合うのが普通だ。そうだ、なんだか会社っぽかったのだ。放課後でも夏休みでもおおよそのスケジュールが決まっていたし、そこの学童の先生はそのスケジュールや子供たちをきっちり「管理」しているように見えた。「学校は社会に出るための練習」と考えるとすれば、それでいいんだとも思うけれど。



でも、夏休みに行くところだし。

「今の私たちの居場所はここじゃない」となんとなく思ってしまったんだし。

今は「梅川さん」じゃなくて、「りんりん」とか「もよちゃん」とかって呼んでもらえる場所で過ごしたい気分なのだから仕方がない。



そんなしょうもない理由で、なんとなく学童に申し込むのを辞めてしまった。きっと夏休みがはじまったら後悔するにちがいない。

小学一年生、もうすぐ夏休み。

はて、どうなることやら。

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