ママにとっての「自分を大切にする」とは?
息子が通うオルタナティブスクールでは、毎週金曜日に「青色のファイル」を持ち帰る。
そのファイルの中には、1週間の振り返りをするプリントがはさまれている。
毎週金曜日、スタッフさんと話しながら、今週の振り返りをして、来週取り組むことを決める時間があるらしい。その内容が、このプリントに詰まっている。
私はこのプリントを見るのが好きだ。
息子が1週間どんなことをしたのかふんわり想像できるし、それを見ながら息子に質問すると、おもしろいエピソードを聞けたりする。
息子がはじめて青色のファイルを持ち帰った日、ファイルを開いた瞬間、目に入ってきた言葉があった。
自分を大切にする♡♡♡♡♡
人を大切にする♡♡♡♡♡
プリントのちょうど真ん中に、その言葉は書かれていた。それは、その学校がとても大切にしていることだ。
白いハートが、黒いえんぴつで、力強く塗りつぶされていた。小学校1年生の息子が、その言葉の意味をわかっているのかどうかはわからないけれど。その黒色の力強さを見て、なんだかすごく温かい気持ちになったのを覚えている。
入学して1か月ほどたった金曜日、青色ファイルを開いた瞬間、「ん?」と違和感を感じた。
ハートが2個しか塗りつぶされていない。
そのハートの斜め下に、スタッフさんの字で、「おうちでいつもひま」と書かれていた。ハートが2つの理由は、「おうちでひまだから」なのだと察した。
おうちでひま。
その言葉を見た瞬間、「私のせいだ」と自分を責める気持ちが湧いてきた。
ここ1か月ほど、息子から「レゴ遊び」に誘われると断っていたのだ。
わが家でいう「レゴ遊び」とは、レゴでごっこ遊びをすることだ。レゴで家を作って、街を作って、フィギュアを手で動かして、その中で物語を作ってあそぶ・・・という感じなら、私もそれなりに付き合える。でも、息子のごっこ遊びの設定は、ハチャメチャカオス。ごめんだけど、意味がわからない。苦痛ながらも1年くらいは付き合っていたのだけれど、慣れない新生活でヘトヘトなこともあって、断ることが続いていた。
でも次の瞬間、ふと疑問がよぎる。
自分が「やりたい!楽しい!好き!」と思うことをできている状態。それが今の息子にとっての「自分を大切にすること」なのだとしたら。
私は?私は自分を大切にしなくていいの?
そんな心の声が聞こえてくる。
仮に私が苦痛で苦痛で仕方がないながらも、息子のレゴ遊びに付き合って、息子のハートが🖤🖤🖤🖤🖤になったとする。
でも私は、
じぶんをたいせつにする♡♡♡♡♡
ひとをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
になってしまう。
そしたら息子だって、
じぶんをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
ひとをたいせつにする♡♡♡♡♡
になってしまうんじゃないだろうか。
もしくは、「母と子」においては、またちがっているのかもしれない。幼い子供は、基本的に自分中心で、それが自然だ。お母さんの気持ちをそこまで考えたりしない。むしろ、お母さんに気を使いすぎる子供の方がちょっぴり心配だ。
それなら、私と息子が同時に
じぶんをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
ひとをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
になることはないのだろうか。
そんな疑問が湧いてきてしまって、頭をグルグルと働かせてみたけれど、答えは見つからない。
「りんりんはさ、どうやったら家でひまじゃなくなると思う?」
息子に聞いてみると、
「家に木工室があれば、ひまじゃない!」
そう答えた。
家に木工室を作るのはなかなかむずかしいかもしれないけれど、息子が今1番学校で楽しいのはやはり「木工」の時間のようだ。
その話を学校の懇談で話すと、「黒川里山センターには、木工室があったと思うよ!」と教えてもらったので、休日に行ってみることにした。
黒川里山センターには、本当に木工室があった。
のこぎり、釘、トンカチ、ヤスリ、グルーガン、ボンドなどなど、工具がそろっている。
そして、いろんな形の木、枝、どんぐりなどの木ノ実、貝殻、ビー玉やおはじき、布の切れ端などなど、いろんな素材が置いてあって、それらを自由に使っていい。
息子が工作をする横で、
私も工作をする。
楽しい。
そして木工の合間に、その近辺を散歩した。「里山センター」という名前が似合う、自然いっぱいの場所だ。
息子は人生ではじめて、
カエルを素手で触った。
私も息子も人生ではじめて、
アカハライモリを素手で触った。
楽しかった。
「母ちゃん、今日は最高に楽しかった!母ちゃんも楽しかった?」
「うん!めっちゃ楽しかった!」
「ぼくも楽しくて、母ちゃんも楽しくて、最高の1日やったな。」
息子がニコニコしながら、妙に大人っぽい口調でそう言ったから、笑ってしまった。
私も息子も楽しいと思えることを一緒にする。
それは、私も息子も同時に
じぶんをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
ひとをたいせつにする🖤🖤🖤🖤🖤
になる1番手っ取り早い方法だよね、と思った。
でも、ふと気づいたことがある。
その日1日中、息子が楽しそうに笑っている顔を見ていると、私は幸せだった。
逆に、家でつまらなさそうにしている息子を見ていると、私もなんだかモヤモヤとしてしまう。
私は息子が楽しそうにしていると、幸せな気持ちになるのだ。息子の笑顔を見ていると、幸せな気持ちになるのだ。
「自分を大切にする」理由が、
「自分を幸せにするため」なのであれば。
息子が毎日をできるだけ楽しく過ごせるようにバタバタジタバタすることだって、めぐりめぐって「自分を大切にすること」なのかもしれない。
そんなふうに思った。
息子が笑っていると私は嬉しいから、
息子には幸せでいてほしいと私は思うから、
苦手な料理をがんばって、
おいしいものを作ったり
気が向かなくても遊んでみたり
延々と続くおしゃべりに
一生懸命耳を傾けたり
何か参考になるような、
子育てについての本を読んでみたり
次々とやってくる課題に、アレヤコレヤと試行錯誤を重ねてみたりする。
それらは一見、私のやりたいことのようには思えない。「子育てって大変だよね。お母さんって大変だよね」と言ってしまえば、ヒトコトで片づいてしまうけれど。
でも
自分を大切にする。
それは自分を幸せにするため。
自分が幸せを感じるのは?
息子の笑顔を見ているとき。
息子が楽しそうにしているとき。
そのためには?
というように大きな視点でみてみると、それらはダイレクトに「自分を大切にすること」につながっている。
自分の好きなことや
自分のやりたいことだけをやることが
「自分を大切にすること」ではないんだと
なんだかスコンと腑に落ちた。
もちろん、自分の好きなことややりたいことだって大切にしたいけれど。
でも私はお母さんになった時点できっと、息子がつまらなさそうにしてるのを放っておいてまで、自分の好きなことややりたいことをやったとしても、心の底からは幸せを感じられない体と心になってしまっているのだろう。
「子供がいるから、自分の好きなことややりたいことが十分にできない!」という気持ちは、心身の調子が良くないときには定期的に湧いてくる気持ちだったりする。
そんなときは、ちゃんと自分の好きなことややりたいことを優先する時間を確保してあげた方がいいと思うけれど、
「子供と過ごす日々が幸せ」という気持ちだって、ちゃんと定期的に湧いてくる気持ちだということをを忘れずにいたいな、と思う。
自分の好きなことややりたいことをやることだって、
子供のことでバタバタしたりジタバタすることだって、
大きな目でみれば「自分を幸せにすること」で「自分を大切にすること」につながっている。
そう考えると、「自分を大切にすること」と「人を大切にすること」の境界線がフワッと薄くなっていく。
息子の通う小学校が大切にしている、「自分を大切にする」「人を大切にする」という一見シンプルなこの言葉。
でもここに戻れば、何事に対してもブレることがないんじゃないかと思えるくらい、深い深い言葉たちだなぁと思った。
次の週。
次の週。
次の週。
毎週金曜日に持ち帰るこのプリントのハートの数に、私はいちいち心を動かされる。頭を働かされる。
まだまだ未熟な私には奥が深すぎる言葉だなぁと思うけれど、それについて考え続けることが大切なのかな、と思う今日このごろだ。
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