見出し画像

今日のテーマは「子どもたちから学んだこと」です
僕ね、昔めちゃくちゃ短気だったんです。ここで語るのが恥ずかしいぐらい短気で、すぐカッとなっちゃっていたんですね。
例えば街中ですと、映画館で誰かの携帯が鳴ります。鳴りっぱなし。「うるさい!」お前の声の方がうるさい、というぐらいなんですけれども、つい声が出てしまう。お恥ずかしい。最低でしょ。

あとは例えば割り込み。大学生のときの話なんですけれども、銀行のATMとかで並んでると、本当にいるんですよ。何人も並んでいるのがあきらかなのに、いきなり一番前に入ってくるおばちゃんとかが。「いやいやあなたさ、わかるでしょこれ、後ろに並んでるの。いい年した大人なんだからさ守りないさいよ」とか言ってしまうわけです。

社会人になってからも、気に食わないことあるとすぐいってしまいました。
概ねもちろん上司ですけれども。
「ちょっとおかしくないですかこれ。前まで言ってたことと全然違いますよね」みたいな。
そしたら、怒鳴り返されるんですけども。もうそのぐらい短気で自分でも嫌になるぐらい、すぐイライラしてしまっていました。しかし歳を重ねるにつれて、特に4年間ニューヨーク行ったことによってだいぶ変わりました。向こうの国の人たちって、すごいおおらかだから、おおらかな人たちの中にいると、自分が考えてることって何かすごいせせこましく、思えてくるんですよね。

おおらかになりつつも、やはり日本に帰ってくるとすべてが何かこう、オンタイム、スケジュール通りにいかなきゃっていうようなピリピリした空気があって、まただんだんとイライラしがちになってしまいました。

娘が家族いちばんおおらかなワケ

娘がいま小学校2年生なんですけれども、ものすごくおおらかなんです。
誰に似たんでしょうね。僕自身はおおらかな子であってほしいと思って育ててはいます。

去年、夏休みで沖縄に行ったのですが、出発が遅れてマイカーで羽田空港まで行って、羽田空港の駐車場に停めておこうと思ったんですけれども、出発が遅れました。

やばい、これ飛行機乗り遅れるんじゃないか、すごい短い距離だけど、首都高に乗ろう、そうして首都高に乗った瞬間、事故が発生して渋滞で一歩も進まなくなりました。
一般道のほうが良かったじゃないか、と、どんどんイライラしてくる。出発時間が迫ってきてますからね。そうこうしているうちに、あと15分10分…さすがに、もうこれ駄目だと。すると隣の席に座ってた娘が言うわけです。

「パパさ、次のに乗ればいいじゃん」

それはおっしゃる通りなんですけれども…

「次に乗っても沖縄いけるんでしょ?」
「行けるよ」
「だったら次のでいいんじゃない」

もうそれを言われちゃうと何も言えないですよね。
なんで自分がイライラしていたかというと、お金のことを気にしていたわけです。せっかくマイレージでとったのに、乗り遅れた瞬間発生する正規料金。大人2人子供1人の片道、沖縄までの料金どんだけだ、と。10万超えるじゃん!10万どころじゃないと思いますけれども。

でもそのイライラの原因は大人の勝手な理屈であって、娘からしてみると、なんてことない。「沖縄いけるんでしょ、いいじゃないそれで」それを言われてしまうと、そうだな確かに。こんなにイライラすることないかもな。と冷静になりました。

結局その日にどうなったかというと、航空会社側がちゃんと気を遣ってくれて、そういう事情でしたらということで、その後の便に振り替えてくれました。

だからなんてことなかったんですけれども、何で僕はあのとき、あんな恥ずかしいぐらいイライラしてしまったんだろうか、と思ってしまうわけです。

このように、小学生の娘からおおらかさ、というものを学んでいるのですけれども、なぜおおらかなのかというと、同じ目的を遂行しようとしている。sれが叶うならいいじゃん、という考え方なのではないかと。

例えば今回は沖縄に行く、向こうに行って遊ぶ。その大きな柱がぶれてないならばいいじゃないか。
そういうことを考えてこの子は生きていて、だからおおらかなんだな、と思いました。もちろん経済的観念なんてのはないですけれども。

途中どんな道があってもいいじゃない

その昔、車をこすったことがありました。
それを直そうとして外に出したときに、さらに電柱にぶつけて壊したことがありました。凄まじく派手に壊れたんですけれども、当然イライラするわけです。自分で勝手にぶつけているので、怒りのぶつけようがないじゃないですか。全て自分が悪い。もうイライラしているわけです。

そんな話を聞いた娘が、いうわけです。
「パパ、車はもう捨てなきゃいけないの?」と。
「いやそんなことないよ。直せば大丈夫だよ」
「だったらいいんじゃない。直るんだったらいいんじゃない?」
「そうだね」

保険を適用して全て綺麗に治って、元通りになりました。
確かにおっしゃる通り。なんで僕はあんなにイライラしてしまったんだろうか。

娘が一貫しているのは、その先に守るべきもの、遂行すべきこと、それがかなうんだったら、途中どんな道があってもいいんじゃないか、という考え。そんなことを教えてくれた気がするんですね。

そういったおおらかさをですね、彼女から学んだ気がしています。

「おおらか」な子の育て方

では、どうして彼女はそういう性格になったのか。現在、7歳。振り返れば確かに僕自身が、彼女に対しておおらかであって欲しいが故に、例えば選択肢を与える、これとこれがあるよ、どっちがいい?と聞いてあげて、一方を押し付けることはしてきませんでした。

帰る時間、寝る時間が差し迫ったとしていたら、そこもきちんと選択肢を与えてあげる。「さあ、もう帰るよ」と言うのではなくて「あと30分だからね」と、ちゃんとバッファーを持たせてあげる。心にゆとりを持たせてあげる。そういうことをしていたんじゃないかな、と思うんです。

そして、駄目な理由も、金銭的な価値のみで駄目とは言わない
おもちゃ屋さんに行きました。
たまたま彼女は、選んだものがとても高いものだったとします。すると「これは高いから駄目」という言い方は絶対しないでおこうと決めて、今まで育ててきました。いや、内心あるんですよ、もちろん。お金の価値がわかってないとはいえ、これはちょっと高すぎだろうと。僕、3000円ぐらいのつもりだったのに、これちょっと1万5000円なんですが…と、でも、お金を理由にしてダメと言わない。これちょっと大きすぎない?どこにしまう?代わりのになにか捨てられる?とか。

断る理由としてきちんと彼女にとって納得できる他の理由を探し出して、それで納得させる。

すると、逆に言うと、金銭的にすごくおおらかな感じになってしまいつつあるのですが。

この先どうなっていくかわかりませんけれども、自分たちがしてきた教育、それによって逆に彼女からおおらかさを学びました。自分が教えたはずなのに、自分があえて今、それをかみしめています。

(voicy 2022年5月24日配信)

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,931件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?