未知を既知にするよりも不可能を可能にしたいのです。
私は、今現在は「安全工学」という比較的珍しい学問分野を専攻しているのだが、大学の学部生時代はどこにでもあるような理工学部の応用化学科に在籍していたので、一応出身の学問は「化学」である。
応用化学科の中では、2年生の春学期までは全員同じカリキュラムだが、秋学期からは理学寄りの「化学」専攻と、工学寄りの「化学工学」専攻に分かれることになっていた。私は特にどちらに進むかの希望もなく入学したので、選択のときが来るまでにどちらにするかを考えておこうと思っていた。
入学してから1年ほどが経った2年生の春学期の始めの頃に、「化学」と「化学工学」の選択に向けた学生向けの説明会が開かれた。そのとき、壇上で説明していたある教授は、「化学」と「化学工学」の違いをこのように説明した。
「化学、すなわち理学というのは、『わからないことをわかるようにすること』である。ゼロから1を生み出す営みである。一方、化学工学、すなわち工学というのは、『不可能を可能にすること』である。1を10や100にしていく営みである。」
この説明を聞いた私は、「不可能を可能にするって、めっちゃカッコいいやん!」と思って、後者の「化学工学」を選択したことを今でも覚えている。
この選択を今振り返って思うことは、やはり私がシンパシーを感じるのは前者ではなく後者だということだ。学術的に何か新しい発見をすることよりも、社会の具体的な課題を解決したり、社会を変革する人の方に憧れる気持ちの方が大きい。
だから、あのときほとんど直感で工学寄りの「化学工学」を選択したのは、自分にとっては間違っていなかったのだと思う。
しかし、今の私が思うもう一つの事実は、「理学と工学を比較したとき、たまたま工学寄りだった」ということだ。つまり、理系的な視点で見たときには、理学よりも工学的な活躍をする方が自分にフィットしている、と思っただけで、実際には工学そのものにはそこまで興味がなかったのかもしれない。
理系も文系も関係ない、もっともっと大きな枠組みで見れば、やっぱりイノベーションを創出する人間よりも、それを使って具体的に社会をどのように変えていくかの方に興味があるのだと思う。むしろ、社会や人間と直接的に関わる課題に取り組む方がおもしろいと思う、文系寄りの人間だったのかもしれないのだ。
しかも、よくよく考えれば、私が研究室の先生方を尊敬しているのはなぜかといえば、「学術的にすごい発見をしたから」ではなく、「自分のやりたいことに忠実に生きているから」である。その「生き方」を尊敬しているのである。
だから、「学術・工学研究」というよりもむしろ、人間社会に直接的に関わるような仕事ができた方が幸せなのかもしれない。
例によって准教授の言葉に従えば、「憧れの人になろうとするのではなく、その人にできないことを自分ができるようになっておくと、よい関係が築ける」のである。
学術の世界で生きる人には憧れるが、それになろうとするのではなく、彼らにはできないことをやっていくことで、良い関係が築けて一緒に仕事ができるのかもしれない。