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私にとっての、「自己肯定感」の育て方

宇多田ヒカルさんのこちらの記事、うなづきながら読みました。


精神分析を受けている、という話がネットニュースになったりしてたみたい?だけど。

私がこの記事を読んだとき、ちょうどいろんなことが重なって、私自身も、自分のことをもっと知るための取り組みを始めたところだったので、記事に出会ったタイミングや内容には、

”念押し”

のような圧を感じました。

自分を知るってどういうことやってんのか、っていうても、私は別にカウンセリングやセラピーを受けたりしているわけではありません。(必要な時にはもちろん利用したり、お願いしたりするけど)

めっちゃ単純に言えば、例えば、こういう時には、こんな感情になるだ、とか、こんなこと言われると嬉しいんだとか、逆に、自分はこういうときこんな態度を取るのか、とか、

嫌な自分も、好きな自分も、つぶさに観察するようにしている、ということですね。ノートに書いたり、感情をしっかり味わってみたりといった、多分多くの方が既に実践しているようなことです。


自分を観察することを始めてみて、呆然としたのは、私は私でありながら、自分のことなんて、何ひとつ捉えきれていない!ということでした。もうこれは、本当にそう思った。

笑えます。今まで自分だって思ってた自分は、1グラムもあったのかなって感じです。

あるいは、なんか違うものを自分だと信じていたみたいな気がする。

もちろん、いいなと思う自分もいるし、
わーもうこれ、見たくないと思う自分もいます。

出てくるたびに、うげえっ・・ってなる時もある。


だけどね、いい時も悪い時も、どんな時も自分がいることを認識しようとしてみるとですね、

今まで捉えきれていない自分がいたっていうのは、一体どういうことだ?と思ったわけです。

それはもしかしたら、

捉えようとしていないのかもしれないし、みないようにしていたということかもしれません。
認めたくないのかもしれないし、決めつけたくなかったのかもしれない。

誰かといる時にこそ、自分とははっきりと現れてくれるもので、その時の自分のことは、ちゃんと見ようと思わなければ、それはもう雲をつかむみたいに、全然手応えとしては残っていかないんですね(実感)。

その瞬間瞬間で、「ここにいるよ」ということを、あらゆる感情を使って教えてくれているんだけど、

周りの空気に合わせたり、なかったことにしたり、まあこんなもんかと結論づけたり、、、

自分のことをまるで「知ったかぶり」してた自分に、もはや笑えてきている今日この頃。

宇多田さんの記事に戻ると、

私がこのような地味な作業を続けてきて「あ、間違って捉えていたな」と思ったのは、ネガティブなこと、ネガティブな感情を「いい・悪い」で判断してしまう癖が、すんごいあったなということでした。いまだにすごくあるし、これ、取れるのかな?っていう感覚もある。

意識していても、どこかで「これは良くない」「こんなこと考えちゃいけない」と結論づけてしまうのは、私の命へと続く、両親や祖父母、彼らを育てたあらゆる社会的な環境による影響も、大いにあると思います。

自分を意地でも素直に認めてやらない。一ヶ月やそこらで、その癖が剥がれるものでもないと思います。

"感情を良いものと良くないものに分ける考え方が、私は好きじゃなくて。価値観が変わったこともいろいろあるけれども、最初の頃からずっと変わっていないのはそれです。私にとって感情って重さで、ネガティブと括られるような気持ちも、ポジティブと括られるような気持ちも、重さで言ったら同じ。感じないほうが良いとか、もっと感じるべきとか、欲するべきとか、それこそ先入観だし、ハッピーじゃない。何か足りていないって勘違いにつながるような捉え方だなって思っていて。自然現象じゃないですか、感情って。肌を切ったら血が出る、水を飲んだらトイレに行くみたいな。これは嫌だ、これは良いって分けるものではないって、デビューからずっと歌詞にしていることです。"

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode

自分を観察するということを実践してみてやっと、宇多田ヒカルさんのこの言葉は真理だなと感じました。

そして、感情にいいも悪いもないと自分を知ることにつながって、どんな状態の自分も、批判や評価からは自由なんだってことを、もっと体や思考に染み込ませていかないとな、と感じます。

自己肯定感っていうけれど、私にとっては結局、自分を知ることは、

「どの自分もおもしれーな!」(笑)

っていう眼差しに変わるってことなんだと思うんですよね。あーだめだだめだ、じゃなくて、「なかなかいい味だしてるな、この時の自分」っていう、ダサ目の自分にちょっと「ほくそ笑む」感覚。

そのあたりに、私にとっての自己肯定感はひそんでいるような気がしております。


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