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女子高生が1銀行を破綻させた?我々は「太陽の子」である〜バタイユ経済学part I

in a word
経済学に  心を戻し
経済学から 心を抜く

in detail
ひとの心を抜かれた
数字ばかりの経済学
などなんの役に立たない。
心(偏見)に満ち溢れて
心(欲望)が欠けているから。

本当の意味で
経済から心(愛=エロス)を抜き
経済を消火するためには
経済に心(愛=エロス)を入れて
考察し直さなければならないのだ。

30年前、愛をコード化しこれを博士論文にしようとした私の狂気に満ちた論文申請を応援してくれた大学
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス と
指導教官マイケルに心から感謝している。しかしながらそれは私がLSEの中の経済学部ではなく社会学部に在籍したからこそ叶えられたものであった。私は内に入るために外を選んだ。

未だ、日本において近似する研究を見つけてはいないが最近、下記2著を翻訳する翻訳者に出会った。高橋 璃子さんだ。高橋さん 下記、私のnoteを Twitter(X)でリポストして下さってありがとうございます♪下記以外にも彼女の翻訳の中には経済学の中の物理学者などアウトサイダーがインサイドを暴く著書が多くとても面白い。

エコノミストはアンチ・エコノミスト
アンチ・エコノミストはエコノミストなのだ

離れなければ近づけず
近づきたければ離れなければならない
経済を何も知らない女子高生が
1銀行を破綻させられるのに
経済の専門家が
それを止められないのである。

私が着目している経済学者
ジョルジュ・バタイユは
一言で言うと
それを止めようとしている。

そしてその企図を持つ彼の著書名は
「呪われた部分」
「エロティシズム」(笑)
だからあまり着目されてこなかった。

そして
彼の経済学理論の核となるキーワードは
太陽 火 エネルギー エロス 死

こりゃダメだってなる💦
しかし
今までの経済学者が解決できなかった経済安定への解決策とは
火の消火(消化)
呪いの浄化

にある。

バタイユは自称「全般経済学者」である(笑)
バタイユというエコノミストが如何に「アンチ」が故に苦しんできたか…少し彼の話を聞いてみよう。(「呪われた部分」まえがき)

「今、何をご準備なさっているのですか」
「経済学の著作です」
 「どんな経済学?」
「全般経済学」と言います。
「本のタイトルは?」
 (と聞かれた時には「困惑はさらに増した」)

第一部「呪われた部分」
第二部「エロティシズム」
?????????????????????

内容を要約すると?
「時間のなかの性行為は、空間のなかの虎と同じだ」
?????????????????????

経済学との関係性がわかりにくいですね。
もう少し
本出版にあたっての
あなたの思いなどを
詳しく教えてください。

「『呪われた部分』という題名〔1949年出版)
は人目を引くことはできたが…私はもっと先へ対応を進めておくべきだったのだ。つまりこの題名が問題にしている
「呪う」という事態を取り除きたい、この気持ちをはっきり表明しておくべきだったのだ。」

「呪いを取り除く」????
もっとややこしくなったような気がします(汗)

しかし私の企図は
「現実を覆すはずだ。」

と「語ったら、笑い者になること必定」
であることもわかっている。
それは私の企図が
「広大でありすぎた」からだ
「広大な企図というものは、
 発話するといつも誤解される」

私が書いている本は、

①ともかく誰も待望していない本、
②これまでにはっきり表明されたどの経済学の    問題にも答えていない本
③もしも著者がそうした既存の経済学の講義を忠実に聴講していたならば書くことはなかったであろうような本
従って
④経済学の専門家のやり方で事実を考察しているのではなく
⑤「特殊な学問領域の外に出て…当然提起されるべきであるのに今日まで提起されてこなかった問題」に取り組んでいる本
⑥人間の供犠、教会の建設、宝石の贈与が小麦の販売と同じほど重要性を持つ」と言うことを説いている本
従って
「専門家たちの注目を拙著に集めることができずにいる」

バタイユ本人が語っている通り
彼の企図が我々に届くまでには時間がかかったかもしれない。しかしながら彼の思いは時空間を超えて今 我々のもとに届いている。いま「贈与経済」が注目を集め始めている。

彼は経済学で初めて
効率性や利益の観点からではなく
「生産よりも富の《消費》(つまり《蕩尽》)のほうを重要な対象にする経済学」を推奨した人であり
「呪い」や「エロス」のエネルギーと経済を繋げた学者だ。

もちろん
ケインズのアニマル・スピリットへの示唆も、アカロフ&シラーにより再評価され、
フロイトのエロスとタナトス「死の欲動」が資本主義の駆動原理であることへのケインズの指摘もジル・ドスタレールが発見している

経済とは
「人間そのもののことなのだ。諸物に還元できない、そういう人間のことなのである。こうして人間は経済に還元しうるが、しかしそれはまさにこの還元が、経済それ自身が一個の物のようには捉えられないことを明示しているからなのである」(ガリマール社刊『バタイユ全集第 7巻』p472)

人間とはエネルギー 
    エロス 
そして
   タナトス(死の欲動)

の流動体だからだ。エネルギーを取り入れ、放出するエネルギーの通り道。我々は

太陽の子
なのだ!

バタイユはこのエネルギーの過剰=呪いを取り除くことが経済学の喫緊の課題だと述べているのだ。詩人T.Sエリオットも日本では平野啓一郎が人とは「火」のエネルギー体であることにコメントしている。芥川賞受賞作「日蝕」は火のエネルギーの充満の恐怖を描いている。

犯罪や暴力も超過エネルギーの消費。エネルギーが沸点に到った時、我々はあっという間に戦争という暴力の大惨事へ向かってしまう。ナチズムから身を守りながら書かれたフロイトの後期作はこの課題が多い。

剰余エネルギーを吸収して富を際限なく増大させる企業にだって同じことが言えるとバタイユはいう。
人エネルギーを吸収した生命体=企業
エネルギーの充満は企業を破滅に追いやる。

だから

沸騰する生の場面に現れるエネルギーの過剰は
見えない暴力=モラルハラスメントを通して、
余剰の力を透明に吐き出すがゆえに
企業という密室は存続している。
暴力=祭りに吊し上げられるのは「生け贄」たる個人。過去の魔女狩りだってそうだ。それゆえ「充血」を緩和するポジティブな方策が必要なのだ。

つまり太陽光の影響を受けている生命体は生命の維持に必要なエネルギーよりも多くのエネルギーを受け取っており、地表のエネルギーはつねに過剰な状態=「奢侈」(原語は luxe)な消費が必須だ

バタイユの性行為と虎との比較も
エネルギーの浪費、
エネルギーの経済学的考察、
超過エネルギーの「奢侈」=贅沢な浪費)のすすめ。

虎が一つの生命を死に至らしめ、燃焼し、多くのエネルギーが消費される。「あの女食べたいなぁ」などアンチ・フェミニズム的発言が聞かれるが、

性も食もエネルギーの燃焼。
相手を食べて「非連続が連続」(バタイユ)一つになる行為。
だからこの2欲 性欲と食欲は両立しない
一方の過剰は他方を減少させると言われる。
消化器系と生殖器系が「互いに争って各々に集中させない」からだ(平野啓一郎 「火色の琥珀」)

食べて「燃え」、性で「燃え」
エネルギーは燃えて 眠くなる。

このように、バタイユにとって、エロティシズムとは「死にまでいたる生の称揚」(「エロティシズム 」)熱狂的なエネルギーの浪費「死の欲動」。動物は、性行為のあと一定期間、栄養摂取のために、成長の原理に舞い戻る。

このようにバタイユの主張通り、男と女が、人と人、生き物と生き物=「非連続が連続」し「鎖のようにつなげられる」時 (食や性) 、その摩擦は「蕩尽の熱き炉の火」を発火=燃焼し「区別がつかないほどに溶けあい混ざりあい」

それは愛の炎にも
死を引き起こす暴力にも犯罪にもなる。
そして

いじめにも
モラハラにも
戦争にも
株価大暴落やリーマンショックに
銀行をさえ倒産させてしまう力
=呪いになる

効率性ではなく

エネルギーの無駄遣いにこそ
安定=生産性が見出されると
思考──そして倫理──の逆転
まさしくコペルニクス的転回を
「実現するという」バタイユの意思

つまり
最もポジティブで
真に
アンチ エコノミック 且つ
エコノミカルな
「平安」の見つけ方

とは

美味しいもん食べて
愛し合い
一緒に寝よう

ってこと

「愛」の炎がほんとに
地球を救うのだ❣️

cf.
エコノミック(economic)=経済の 経済学の
エコノミカル(economical)=経済的な 効率的な





















































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