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その23『一期一会』〜愛別離苦の向こう側〜

『別れ』を克服する。
これは僕の人生のテーマの一つです。

実のところ僕はピアノ弾きです。
しかし、生粋の演奏家ではありません。
作曲家志望でした。
幼少期からピアノを習っていましたが、弾きたくもない課題曲の練習が辛くて、小学校4年生くらいで辞めてしまったんです。

転機が訪れたのは中学3年生の夏頃。
片思いの子にショパンの『別れの曲』を弾いてほしいと言われました。
『別れの曲』は実は中間部が激ムズなんです。
難易度最高のエチュードの中の一曲です。
初めて楽譜を見た時、目ん玉飛び出ました。
今まで練習してきた、どんな曲よりも音の数が多かった。
だけど、生まれて初めてでした。
『この曲を弾きたい』と思ったのは。
『人に聞かせたい』と思ったのは。

それから平日は昼休みと放課後、音楽室に籠もりました。家に帰ってからも練習。
一つ一つ音を拾い、再現する。失敗する。再現する。失敗する。繰り返しました。
受験勉強の合間を縫って、1日8時間練習した日もありました。

その姿を、ずっと見守ってくれていた先生達。卒業生答辞のBGMとして、『別れの曲』を弾かないかと提案してくださったのです。
彼女は違う高校に進学することが決まっていました。ラストチャンスでした。

そして、僕は中学生活最後の日に目標を達成し、
彼女と『別れ』たのです。

しかし、それはピアノとの『再会』だったように思います。
僕は高校生になってから、今までが嘘のようにピアノにのめり込んでいきました。
一つ好きな曲、好きな作曲家ができると芋づる式に他の曲、作曲家に繋がっていきます。
色んな音楽をインプットしては、アウトプット。
ロマン派が好きでした。

一方でロックやポップスなども聴いていました。
映画音楽なども聴いていましたが、とりわけゲーム音楽に傾倒していきました。

いつしか自分もこんな曲が作れたら良いのにな。
と、思いながら適当なコード進行に自作メロディーを乗せ始めたのは高校2年生の頃。

そして初めて出来上がった曲。

19歳の頃の拙い演奏です。
感情が高ぶるとリズムキープができません。
基礎を習得する前に教室を辞めてしまったのは今でも後悔しています。

問題は僕が何故『再会』と名付けたのか。

『子どもの名付けは親のコンプレックス』
そんな話を聞いたことはないでしょうか。
僕の名前は『友彦』です。
『友達に恵まれるように』という意味の裏に、『私達は恵まれなかったからこそ』という願いが見え隠れするのです。
うちの三兄弟も、全員、僕のコンプレックスのような名前になっています。
もちろん、全ての親がそうではありません。
僕が、たまたまそういう名付けをしてしまっているというだけです。

それを前提に、18歳の僕は、
直感でこの曲に『再会』と名付けました。
この意味を改めて考え直す必要がある。
ここに成長の鍵がある。
そう思うようになったのは最近のことです。

僕は『別れ』が嫌いです。怖いです。
あらゆる出来事の中で一番嫌いです。
こんなに寂しくて苦しいことはない。
なのに新たな出会いを求めてしまいます。

僕は本当は人が好きなのです。
人を嫌いになることはほとんどありません。
人の、良い所だけを探します。
そうしないと生きて来れなかった。

僕は寂しいと感じながらも、実生活では一人でいることが多いです。
集団に混じれば共感を期待してしまうからです。
殆どの場合でその期待は裏切られ、新たな孤独感を生み出します。
それは相手が悪いのではなく、その期待を手放せていない僕の問題。
だから、僕はあなたに何も望まない。
せめて離れて行かないでほしい、と。

そして、僕はまさに今、気付きました。
『離れて行かない』事を期待している事に。
けれど、それは絶対に裏切られる期待なのです。

ああ、わかった。
僕は『別れ』に『死』を見ているんだ。
そして『出逢い』に『誕生』を見ているんだ。

『如何に死ぬか』は『如何に生きるか』ということの裏返しです。
『別れ』と『出会い』を繰り返し、それに一喜一憂する僕は、ここから何を学べば良いか。

『輪廻転生』という言葉が頭に降りてきました。
それは単に生まれ変わりだけを指す言葉なのでしょうか。
『再会』とは『生まれ変わり』を意味しているのではないでしょうか?

で、あるのなら。
すべての出会いは一度きりだ。
朝起きて家族におはようと言う出会い。
行ってきますと言って出ていく別れ。
家に帰ってただいまと言う出会い。
お休みなさいと言って眠りにつく別れ。
人生の中に輪廻はあって、
その一つ一つが大切なんだ。
出会いから別れまでの『今ここ』の瞬間にすべてを懸ける。
相手を思いやれるだけ思いやる。
別れた時、清々しい気分で別れ合う。
そして、再会は誓わない。
なぜなら一度きりの出会いと別れだから。

それこそが『別れ』『愛別離苦(別れる苦しみ)』を克服する唯一の方法ではないかと僕はこのnoteを書きながら気付いたのです。

世の中の制作物について素晴らしいと思うこと。

それは完成とともに時間が止まるということです。作品は不変です。
『別れの曲』はシの音から始まります。
曲が生まれて200年になりますが、それはずっと変わりません。変わったら『別れの曲』ではなくなってしまいます。
ここに『シ』を選んだショパンの意思が残っています。ショパンを弾く度に、ショパンに出会うことができるのです。
そして弾き手、聞き手の成長で作品の解釈や見え方は変わっていきます。
それこそが『再会』と言わずして何と言うのでしょう。

僕は『別れの曲』を聴くたびに、記憶の中で片想いの相手や自分と再会します。
出会う度に違って見える、その風景が、『やあ、また会ったね』『さあ、前を向け』と僕の背中を押してくれるのです。

さあ、僕も時間を止めよう。

ここまで読んでくださった読者各位。
本当にありがとう。
また会う時は違う僕だ。
だから、皆様の一読一聴のために
僕は全てを懸けるんだ。

薔薇(複数)
花言葉は『一期一会』

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