死を恐がる謎

三浦春馬さんが自殺した。
彼の「ブラッディーマンデー」というドラマが好きで、毎週欠かさず見ていた。
「14歳の母」も好きだった。
ポール・スミスのモデルはとてつもなく似合っていて格好良かった。

死を悪しとする風潮
私はテレビが大嫌いだ(特にドラマ。好きなドラマもあるが)。
理由はたくさんあるが、大きな理由の1つは
「無条件の生の肯定」だ。
もう一つ「家族愛への信望」も今後どこかで触れたい。

テレビ番組、特にドラマとワイドショーで「無条件の生の肯定」は顕著だ。
ドラマでは「死ぬな」「生きろ」「殺すな」、ワイドショーでは今回みたいなことがあると「生きてほしかった」「話してほしかった」「救いたかった」(ワイドショーはまだコメンテーターの主観的な意見なので、そうですかで終わるが、ドラマは訴えようとしてくるのでイラッとする)。

ドラマでは大抵、なんで死んではいけないのか、なんで生きないといけないのかに触れない。

・なぜ死んではいけないのか
・なぜ生きないといけないのか

そもそもこの2つをしっかり説明できる人はいるのだろうか。

死んではいけない理由
私は偉い人が寄ってたかって私に「私が死んではいけない理由」を説明しても、ことごとく論破できると思う。
それくらい「死んではいけない理由」なんて弱いものだ。

哲学に「水槽の脳」というものがある。
簡単に言うと、私が生きているこの世界は実在せず、実際には水槽に浮かんだ脳が見ている幻覚ではないか、というもの。
これは論理的に否定できていない(はず)。

そもそもこれを否定できないと様々な「死んではいけない理由」が理由にならない。

例えば、「生物学的に種を存続させるために私は生きないといけない」、「経済学的に生きているだけで経済効果があるから生きていないといけない」、「あなたが死んだら悲しむ人がいる」。
これらが全て理由にならない。
何故ならこの世が実在しないかもしれないのだから。
私が死んだ時点でこの世がなくなるのだから全くもって理由にならない。

まあ、もしこの世が実在するとしてもだ、
私が死に、この世を知覚できなくなった時点で誰が悲しもうが、社会がどうなろうが関係ない。
「水槽の脳」が真実であろうと無かろうと
死んではいけない理由は大抵理由になってない。なるとしたらそれは幽霊が存在するときぐらいだが、そんなもの科学が基準であるこの世では受け入れられない。

少し長くなったが、理由もなく「死ぬな、生きろ」と聞くたびに「なんで?教えて下さいお願いします!!」と思ってる。

思い出した。よく聞く「生きていればたくさんいいこと、楽しいことがある」も微妙だ。
いいことも楽しいこともたくさん来るかもしれないが、死ねばそれと同じくらい来るであろう、辛く悲しいことから逃げられる。
そして「もっと楽しいことあったのになー」なんて後悔することもない。死んでいるのだから。

(そもそも辛いことから逃げちゃいけないみたいなのも気に食わない。逃げることの何が行けないのか。碇シンジくんは逃げちゃだめだと言っていたが、私的には嫌なら逃げようだ。)

そういう死を嫌い、生を良しとする社会的な風潮のお陰で思考停止で死は良くない、と考える人は多い(自殺と聞くと条件反射で「ダメ!」となる人、結構いますよね)。そしてその人達のおかげでこれからもそういう人は生まれ続ける。

私は別に死を良しとしたい訳ではない。
死が良くない理由が分からないのに、それが広まり社会全体の流れとなっているのが気に食わないだけだ。
まぁ、人間も動物なので死を恐れるのは当然だと思う。
ただ人間には理性があるから他の動物と違うとか言う人はその理性を持って死を悪しとする理由を教えてほしい。

そもそも今後多様性の世の中になっていくのであれば、死を選択することもまたその人の生き方であり、認められるべきである。
生が自由になれば、自ずと死も自由に決めたいという人は少なからず出てくるはずだ。
私は是非とも死も自由になってほしい。
安楽死賛成派だ。

■死という自由
嫌なことから逃げたいから死ぬ。そんな選択ができるようになったら、それは真の自由に近づけると思う。私的には自由は欲の限りを尽くすのではなく、欲からすら開放されることだと思うので。

実際に死という選択をしなくても、
選択肢があるのとないのでは大きく違う。
死という選択肢を持つことで生にメリットが生まれる。失敗したら死ねばいいやみたいな。

そもそも死という選択肢をもつということは
死なないという選択もできるということである。色んな選択肢があるから自由に生きられるのだ。
そういう意味でも死という選択肢は持っていていいと思う。

■死を見つめて
是非ともなぜ死んではいけないのか考えてほしい。
私の好きなパスカルは「仕事も娯楽も死から目をそらすための暇つぶしに過ぎない。なぜもっと死を見つめないのか」的なことを言っていた。
死という私達の隣にいつもいるものを必死になって見ないようにするのではなく、向かい合って考えてみると色んな事柄への見方も変わってくるかもしれない。

死とはなにか、なぜ死んではいけないのか。
多くの人が考えてきたであろう。ぜひ真の答えを知りたいものだ。

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