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功利主義という勘違いされやすい子

功利主義とは 高校の倫理学の授業で先生が言っていたことを今も覚えている。 「功利主義は社会の幸福度を数値化し、最も大きくなるように行動しましょうという考え。社会全体の幸福度が最大化されるなら、いじめも奴隷も正当化される危険性がある。」 当時の私は授業を真面目に受けていなかったこともあり、「なかなかドラスティックで倫理学とは正反対な考えだな」くらいにしか思っていなかった。 今の私が当時の私に言いたいことは、2つ。 功利主義は現代倫理学の中心であるということと、その先生の理

    • 選択的夫婦別姓のデメリット

      昨日、親知らずを抜いてきた。 歯医者というものが苦手で、かれこれ8年ほどお世話になっていなかった。 ただ、どう見ても奥歯が黒くなっており、 痛みもあったので一念発起して抜歯する選択をした。 治療自体は麻酔が効いているので全く痛くなかったし、 抜いたその日は痛かったものの 今のところ痛みも腫れもほぼない。 ただ、違和感があるので今回はあまり深くは考えられないし 考える気もないのでご容赦いただきたい。 選択的夫婦別姓制度の議論が少し話題に上がっている。 丸川珠

      • 死を恐がる謎

        三浦春馬さんが自殺した。 彼の「ブラッディーマンデー」というドラマが好きで、毎週欠かさず見ていた。 「14歳の母」も好きだった。 ポール・スミスのモデルはとてつもなく似合っていて格好良かった。 ■死を悪しとする風潮 私はテレビが大嫌いだ(特にドラマ。好きなドラマもあるが)。 理由はたくさんあるが、大きな理由の1つは 「無条件の生の肯定」だ。 もう一つ「家族愛への信望」も今後どこかで触れたい。 テレビ番組、特にドラマとワイドショーで「無条件の生の肯定」は顕著だ。 ドラマでは

        • 24歳、若さへの羨望

          ■若さの台頭 将棋界で今最も、世間を賑わせているのは言うまでもなく藤井棋聖であろう。 高校生でありながらタイトルホルダーでAI超えの手を放つ姿は、漫画の世界にいるのかと錯覚を覚える程に輝かしい。 余談だが、私は「ヒカルの碁」という作品が大好きだ。今の藤井棋聖を見ているとヒカルの碁の続きを読んでいるようでワクワクが止まらない。 日本サッカー界にもとてつもないホープがいる。久保建英選手だ。 18歳にしてレアル・マドリードという世界一のクラブと契約し、今年はスペイン1部リーグ

        功利主義という勘違いされやすい子

          馬鹿ほど声がでかい。

          ■空き樽は音が高い と似たようなことかもしれない。 勿論物理的な声の大きさではなく、 何も考えていない人ほど積極的に発言するということを言いたい。 世の中の物事はそこまで単純じゃなく、 やりたいからやる、やりたくないからやらない、それだけで物事は動いていない。 やりたくても法律なりなんなりの制約があってできないこともある。 また事象Aに対する対処Bだけをすればいいように見えて、実は裏で対処Cも必要だったり、Bの副作用Dをどうするか、なんてことを考える必要があったりする

          馬鹿ほど声がでかい。

          自信を持ちたくて。

          初めに、これまでの私の愚痴の掃き溜めのような記事を読んでくださった方々、スキしてくれた方々、本当にありがとうございます。 以下、本文−−−−−−−−−−−− 自信。 皆さんはお持ちだろうか。 ここで言う自信は、何か一つに対してというよりも、 自尊心に近いもの。 根拠のない自信とでも捉えていただきたい。 自尊心、自己肯定感。 これは人生を生きていく上でもっとも強力な武器であり、もっとも堅い盾であると思っている。 ※自尊心と自己肯定感は同じものではないが、 以下ほぼ同

          自信を持ちたくて。

          正義は自己満足

          ■正義は悪 不倫、差別、不正、犯罪etc 世の中には悪と思われるものが多々ある。 そういったものが世に出る度、行き過ぎた正義感が現れるのが最近の流れだ。 例を挙げれば、自粛警察、SNS上での加害者叩きなど。 そういうものを見るたびに私は吐き気がする。 気持ち悪い。気持ち悪すぎる。 某芸能人がSNS上で叩かれたことが原因で自殺した件がわかりやすい。 芸能人に「態度がよろしくないから」と罵詈雑言を浴びせた人に対して、 「お前らのせいで自殺した」と罵詈雑言を与える。 罵詈

          正義は自己満足

          しんりを知りたくて

          皆がすなるnoteといふものを、 我もしてみむとてすなり。 人生とは何か。 恐らく人間という存在が生まれてから、 幾億の人が考え、いまだこれといった答えがない。 もちろん十人十色たくさんの人生があり、 正解はないのであろう。 正解はないとしても答えが欲しいのだ。 私には"私の人生"とは何なのか、 24年間では答えが出なかった。 今日まで、私は他人以上とは言わないが、 一般人と同じくらいには 人生の真理というものについて考えてきた。 今までの考えをまとめ、また一歩真

          しんりを知りたくて