自信を持ちたくて。

初めに、これまでの私の愚痴の掃き溜めのような記事を読んでくださった方々、スキしてくれた方々、本当にありがとうございます。

以下、本文−−−−−−−−−−−−

自信。
皆さんはお持ちだろうか。

ここで言う自信は、何か一つに対してというよりも、
自尊心に近いもの。

根拠のない自信とでも捉えていただきたい。

自尊心、自己肯定感。
これは人生を生きていく上でもっとも強力な武器であり、もっとも堅い盾であると思っている。

※自尊心と自己肯定感は同じものではないが、
以下ほぼ同義として扱っている箇所があるかもしれない。ご容赦いただきたい。

高い自己肯定感はチャレンジを後押しし、外界からの幾多の刺激からその人を守ってくれる。

私は、それらは根拠がなければないほど強力で強固なものだと考える。
現代の絶対的な基準である科学とは正反対の特性だが、それを心理学という科学(と言っていいかは微妙だが)が証明している。

そもそも、自己肯定感に根拠はいらない。
というより根拠のある自己肯定感は、その根拠が否定されてしまえば崩れ去る。

根拠のなさは自己肯定感の強固さに直結するのだ。

■自己紹介ターーーイム!!パフパフ!

私はというと、恐らく他人より自己肯定感は低く自尊心はあまりない。
少なくとも今は。

私自身、もう少し自分に自信を持っていいと思うのだがなぜか持てない。

少し自己紹介というか、自慢させていただく。

私は、24歳男性だ。残念ながら学生ではなく社会人。

身長は180を少し超えた位で、顔はブスではない、と思いたい。たまにイケメン俳優に似ていると言っていただける。
自慢は脚の長さと顔の小ささ。頭身でいえば9。

ほんの少しだが異性からも好意を寄せていただける。同性にもそこそこモテる。

学生時代はバスケットボールをしていた。
大学は偏差値でいえば60を超すあたり。

今の彼女や元カノに私の良い所を聞いてみた。
優しく、清潔感があり、限りなく自分を客観視できる、とのこと。
私も客観視できる力は売りだとおもう。

学生時代から何故か優秀と言われることが多い。自分では全く思わないが、何かと優秀だと言っていただける。
社会人になってからも同じくで、入社前から期待していただき、今までの新卒でトップクラスの優秀さだとお褒めいただいた(小さな会社なのでそれでも大したことはないのだが)。

如何だろうか。
恐らく、気持ち悪いくらいの自慢の量に
嫌気を抱いた方もいるだろう。

が、先程も述べたように、客観視した結果である。もちろんバイアスはかかっているが。

これだけ気持ち悪い自慢ができても、自己肯定感は(今は)とにかく低い。

そもそもこうやって自信を持っていい根拠(しかも他人と比べて良い所)を並べている時点で自己肯定感がない証拠である。

■無条件の自己肯定

心理学的に、自己肯定感には、「競争的自己肯定感」と「共感的自己肯定感」がある。

競争的自己肯定感は上記で言うところの、根拠のある自己肯定感。
共感的自己肯定感は根拠のない自己肯定感だ。

共感的自己肯定感は、無条件で自身を認める感情のこと。自分がどんな人であろうが関係ない。社会的にどんなにクズでダメな人間であっても自分を受け入れ、肯定するということだ。

反対に競争的自己肯定感は優れた自分のみを受け入れる姿勢だ。他者と比べ優れた自分を受け入れ認める。
裏を返せば、他者に負けた時点で自己肯定感は崩れ、逆に自身を責め始める。

先述したように、私は他人と比べれば少し優れた所がある。それをもって自信にしようとしている。つまり、競争的自己肯定感の持ち主なのである。

私含め競争的自己肯定感の持ち主は、他者より優れた点を見つけ出しては悦に浸り、他者に劣る点を見せつけられるとすぐに自信をなくす。ものすごく。

書いていて気持ちが悪い。

自慢をする人は自分に自信がない。
たまに聞くがよく言ったものだ。

■どうしたら自信をもてますか?

つまり人間の理想は共感的自己肯定感である。
では、どうやったら共感的自己肯定感を持てるのだろうか。
私はその方法を探してきたが分からない。

共感的自己肯定感を持つにはいくつかの要因があるだろう。

その中で最も重要なのは無条件で自分を愛してくれる人の存在だと思う。
これは本当に大きい。

親でも兄弟でも友人、恋人誰でもいいが
どんなときでも自分を受け入れてくれ、味方になってくれる人。
少し大げさに書いたが、
困ったときに相談でき、親身に話を聞いてくれる人でいい。
そういう人がいてくれるだけで、自分にとっては大きなことなのだ。

是非ともそういう人がいるというなら大切にしていただきたい。
ちなみに私にはいない。

そういう人を作ればいいような気がするが、
自己肯定感が低い人というのはそういう信頼できる相手を滅多に見つけられない。
自己肯定感が高い人は見つけやすい(気がする)。

金持ちと貧乏人みたく、持つものはさらに手に入れ、持たざるものはいつまでも手に入れられないのだ。

自己肯定感がない人は、自分を信用していない。だからもし自分を信頼してくれる人が現れても、その人を信用できないのだ。
それは大泥棒を信頼している人を信用しろと言われても無理なのと同じだ。

私は自己肯定感のなさに本当に苦労している。自己肯定感がある人には分からないと思う(そもそもそう言う人はこの記事を読まないと思うが)。

だが自己肯定感のなさとは初めに書いた通り、人生において非常に大きな問題だ。
できる事なら早く治したい大きな病だ。

先述したように、私には相談できる人がいない。だからこのように誰が読んでいるか、そもそも読んでくれるかわからないものに吐き出すしかないのだ。

(名前を隠せば世界中の人に悩みをぶちまけられるのに、名前をもつ私は誰一人にとて相談できない。とても面白い。)

この記事を自己肯定感がなく悩んでいる方が読んでくださっているのなら、伝えたい。
共に傷を舐め合おう。
私はあなたの味方だ。私に害を与えない限り。

※慣れないスマホでの投稿なので、読みにくい部分があったら大変申し訳ありません。

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