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1「チャックまに出会った日」 (06)

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■コグマ その3「急展開」

 その日、いよいよコグマのお父さんとお母さんはかなりの遠出を決心しました。獲り溜めてあった食料もずいぶんなくなってしまったので、梅雨の時期を目の前にもう一度しっかりと食料を獲ってこようというのです。

 早めの昼食をコグマと三人で一緒に食べると、お父さんとお母さんは出かける支度をしてコグマに言いました。
「いいかい、コグマ。一人でいる時は絶対に丘から出てはダメだよ。お父さんとお母さんは夕食の時間までには戻ってくるからね。おとなしくここで待っておいで」
そうして二人はコグマを置いて出かけていきました。

 ところでコグマは最初に言ったようにとっても好奇心が旺盛でした。狩りの時にお父さんについていく以外、ほとんど丘から出たことがなかったコグマは、外の世界についてもっと知りたくて仕方ありませんでした。
「おとうさんとおかあさんの後をついていけば、一人で出たことにはならないぞ」
そんなふうに一人合点して、お父さんとお母さんの後をついていくことにしました。もちろん二人に気づかれたら追い返されてしまうので、こっそりと、です。

 お父さんとお母さんは、あのクレーンが見える方と逆の方に歩いていきました。もちろんクレーンに近づけば人間たちがいると思ったからです。でも今の時代、どの方向に向かっていっても人里から遠ざかる、なんてことはあまり望めないのです。

 お父さんとお母さんはまず、臭いで異変に気づきました。そう、人間の臭いです。引き返そうかと思いましたが、食べ物の匂いも強くなってきたので、危険を承知でもう少し進むことにしました。周囲を見渡しながら少しゆっくりと進みます。
「おや、あそこに牛がいるぞ!」
お父さんが言って遠くの方を指さしました。牛一頭あれば食べ物に関してはずいぶん楽になりそうです。二人は顔を見合わせて、喜んで牛に向かって走り出しました。

 コグマはゆっくり歩く二人にそーっとついてきましたが、二人が急に走り出したのでびっくりしました。慌てて後を追いかけましたがコグマの足の速さでは大人の速さには全くついていけません。アッという間に二人は見えなくなってしまいました。

「おとうさん、おかあさん…どこにいったの?」
コグマの胸は不安でいっぱいになりました。このままでは丘に帰る道だってもうコグマにはわかりません。
「とにかく見つけないと」
コグマは気を取り直して、二人が見えなくなってしまった方に向かって走り出しました。

『バン!』
『バン!』

 その時、まさに走り出したその方角から大きな大きな音が聞こえました。しかも2回も。その音の大きさと、何よりもその恐ろしい響きに驚いたコグマは立ちすくみました。そして改めて周りをキョロキョロ見渡しながら恐る恐る音の聞こえた方に歩いていきました。

 するといきなり広場が現れました。コグマは本能的に身を隠す場所を探して、大きな木の陰に隠れました。そして広場をのぞき込みました。
 そこにはお父さんとお母さんが寝転んでいました。よろこんだコグマは、思わず駆け寄ろうとしました。
 しかし二人の周りを何人かの人間が取り囲んでいるのに気づいて、慌てて踏みとどまりました。中には黒光りするライフル銃を持っている人間もいました。

 よくよく寝転んでいるお父さんを見てみると、顔はコグマの方を向いているのに全く表情が変わりません。お母さんは空の方を向いていましたが、同じく身動き一つしません。そして二人とも首の周りに血糊がべったりとついていました。

『おかあさん、いまボクが踏んじゃったこの虫さんは何で動かないの?』
『それはね、コグマ。この虫さんはもう心がこの体から出ていっちゃったからだよ』

 コグマの周りで時間が止まったようでした。コグマはお母さんとのやり取りを思い出していました。
「お父さんもお母さんも、踏まれちゃったんだ…もう心が体から出ていっちゃったんだ。あそこにある体はもう動かないんだ」

 コグマはずっと見ていたいお父さんとお母さんから必死に視線を外すと、森の奥に向かって一目散に走り出しました。
「もうボクにはお父さんもお母さんもいないんだ」
「もうボクはこれから一人で生きていかなきゃいけないんだ」
そんな思いがコグマの頭をぐるぐると渦巻いていました。お父さんとお母さんを殺した怖い人間たちから、そしてそんな思いから逃げるように、コグマはいつまでも走り続けました。

 もういつもの丘の場所も全然わかりません。たとえわかってもお父さんとお母さんがいないのでは結局どうしようもないのです。コグマは全力で走り続ける以外のことは何も考えられなくなりました。

 いったい何十分、いや何時間走り続けたのでしょうか。コグマは目の前を川が横切っている場所に出てきたところでついに立ち止まりました。元気なコグマもさすがに肩で息をしていました。体の疲れから頭の中は真っ白になっていましたが、今のコグマにはその方が良かったのかもしれません。

 立ち止まったコグマがまず最初に考えたのは〝お腹がへった〟でした。まだ短いコグマの人生の中で、こんなに走ったことは初めてでしたし、そのせいでコグマは体の中のエネルギーをほとんど使い切ってしまいました。でも、もう食べ物を獲ってきてくれるお父さんも、優しくいたわってくれるお母さんもいないんです。コグマはまだまだ不慣れな狩りを、自分でやらなければいけません。まず川の水を飲んで喉の渇きを潤すと、コグマは獲物を探して森の中を歩き出しました。

 一番最初に見つけたのはカモでした。コグマは草むらから様子を伺って、スキを見て飛びかかりましたがカモは飛んでいってしまいました。

 次に見つけたのはヘビでした。一度はしっぽを掴んだもののコグマの握力よりヘビの力のほうが強くて、するりと逃げられてしまいました。

 ならばと今度は川に入ってコグマが大好きな鮎を狙ってみたものの、スイスイ泳ぐ鮎はすぐ逃げてしまって追いつくことすら出来ません。

 ヘトヘトになったコグマが川岸に上がると、目の前をチラチラとイモリが通っていきました。アッと思ってコグマがイモリに向かって飛び込みましたが、元気のなくなったコグマのジャンプは届かず、イモリはゆうゆうと草むらへと姿を消してしまいました。

 倒れ込んだコグマは、そのまま動くことが出来ませんでした。何時間も走ってお腹を空かせ、食べ物を探していろいろなところを歩き回ったのです。コグマの体力ももう限界でした。コグマは倒れ込んだ姿勢のまま、意識を失ってしまいました。

07につづく

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