とみー

哲学研究(倫理学・道徳哲学)。「誰もが自由に問い・話し・考えることができる豊かな社会」…

とみー

哲学研究(倫理学・道徳哲学)。「誰もが自由に問い・話し・考えることができる豊かな社会」を目指し、哲学対話の実践をしています。立教大学文学部教育学科4年。

最近の記事

自分で考えて決めたことにしか責任なんてとれない

「それぐらい我慢しなさい」 「最近の若者は汗をかかない」 いわゆる中年おじさんの店長に言われて一カ月。ようやく、サウナと遜色ないバイト先のレジに扇風機がついた。 *** 職場環境はそれなりにいい方だと思っている。夜の時間帯のアルバイトは学生が多く、話していてそれなりに楽しい。シフトの融通もきくし、なにより家からめっちゃ近い。インスタのストーリーなんて、ひととおり目を通す前に着いてしまう。 これまでバイトが長続きしなかったぼくだけど、もうすぐで3年になる。シフト表で自分

    • 通俗的な良さが本当の良さを隠してしまう

      「みんなやがて死ぬのだから、もっと一日一日を大切にしよう」 「亡くなった方の分まで、じぶんが今を精一杯生きよう」 「いつなにが起こるかわからないから、大切な人と一緒にいる時間を大切にしよう」 「死」にまつわるこういった世俗的な良い話を、みんなはよく知っているし、既に共有している。 お互いそれに共感し合うことだってできるし、ときに涙を流すことだってできる。 そして、なにか明日への活力のようなものへと変換できてしまうほどだ。 いったいどこでそんなことを学んだのだろうと驚か

      • みんな、自分が死ぬことを本気で信じてはいない

        日曜日の昼時。 我が家のリビングといえば、アッコにおまかせとともに、新型コロナウイルスの話しで持ちきりだ。 ここ最近、週末の家族だんらんにはこの話題がついてまわる。 ふと「もう一週間がたったのか」と思い、そんなに忙しくもない春休みが過ぎる早さに愕然とする。 *** 目先の報道にひたりつき、なにかを得たいという情念に駆られているひとたちは少なくない。 現代の世相は、まさに「生存」という根源的な欲求をあらわしている。 電車に乗り、車両のなかをぐるっと見回してみると、

        • ぼくの中で誰が思い、誰が話すのか

          思考とは、貨幣のようなものだ。 貨幣のように公共的なものであり、ぼくたちの間を流通している。 どこからともなくやってきては、またどこかへ行ってしまう。 *** 他人の考え方を批判することを恐れているひとは少なくない。 それが仲の良い友だちなら尚更だ。 お互いの意見が食い違い、ときに激しく対立するときに、友だちのままではいられないかもしれないと焦る。 だからイエスマンになることで、自分が本当に言いたいことを押し殺してしまう。 それは、「思い」や「考え」を自分と同

        自分で考えて決めたことにしか責任なんてとれない

          「何もしない」をする

          ぼくたちは、いまこの場だけを生きる意味とはなにかを問題にするにはあまりに賢いし、知恵があり過ぎると思う。 だから、単に生きることに満足できず、ただ存在していることができないのかもしれない。 目の前の小さな好奇心に情熱を燃やすのではなく、到達すべき最終地点からいますべきことを制約してしまう。 どうやら、「したいからする」だけでは充分ではないようだ。 *** 「自分が生きている意味とはなにか」 「人生の目的とはなにか」 「この仕事にはどのような価値があるのか」 いまを

          「何もしない」をする

          遅い者勝ち

          「あわてることはない」 この言葉が好きだ。 いままで理解していたはずのものが、どんどん分からなくなる。 知っているつもりだったのに、そもそも知っているとはどういうことかがまるきり分からなくなる。 常識にとらわれない自由な考え方に触発され、一度学んだことを脱ぐ場面はしばしばあることだ。 そんなとき、この言葉を自分に言い聞かせるようにしている。 そして、「よくできなくなったね」と自分で自分を褒める。 *** 既存の知識や社会通念などが曖昧になり、世界に揺らぎが

          遅い者勝ち

          喜びこそが人生を進める

          「なんのために生きているのだろう」 「死んだらいったいどうなるのだろう」 こんなことを考えていると、「なんか嫌なことでもあった?」とか「悩んでることでもあるの?」と聞かれることが多い。 「もっと楽に生きた方がいいよ」と笑われることもあった。  どうも、人生のなかでなにかしらの苦しい経験をして悩み、それがきっかけになっていると思っているらしい。  生きる意味を問うのは人生を悲観しているからで、死んだあとの世界を想像するのは死への密かな情念に駆られているからだ、と。

          喜びこそが人生を進める

          批判のその先にあるもの

           本当の意味での友だちとは、「真実を一緒に探し求めることができるひと」なんじゃないかと思う。  さきほど、いつもはたわいもない会話しかしないサークルの友人たちと、働くとはなにかというテーマのもとで、真剣に議論をしてきた。面白いことに、「すごいとはなにか」「なぜ死ぬのは怖いのか」といった問いにまで深まりをみせた。  そのなかで、批判は真理の探求のうちであり、それを避けては本音で話し合えないということに気づいてから、ふとそう思った。  昔は、互いに批判し合うことを恐れていて

          批判のその先にあるもの

          哲学対話における進行役の役割は進行を妨げること!?

           哲学対話と出会ってから早いことに4月で2年目を迎えようとしています。これまで学校をはじめとして、公民館や企業、カフェなどさまざまな場所で、老若男女問わずさまざまなひとたちと哲学対話をしてきました。それでも、哲学対話そのものについて、考える余地のあることはまだまだたくさんあるように感じます。 ・対話が深まるとはどういうことか ・必ずしも発言をしなくてもよいのか ・みんなが出した問いのなかから、どのように1  つの問いを決めるべきなのか  これらを問いとして、哲学対話のた

          哲学対話における進行役の役割は進行を妨げること!?

          そもそも哲学的なテーマについて話し合うことは面白い

           なぜわたしたちは、「幸せとはなにか」「友だちの好きと恋人の好きはどのようにちがうのか」「なぜ校則は必要なのか」といった、哲学的なテーマについて話し合うことに惹かれるのでしょうか?   ちなみにここでいう「哲学的」とは、先日の記事のなかで少し触れているように、ただ調べるだけでみんなが納得できるような事実のことではなく、お互いに質問をし合いながら、きちんと検討をしなければわからないことを指します。  これに対して、現在の社会が求めている他のひとと合理的に議論する力や、じぶん

          そもそも哲学的なテーマについて話し合うことは面白い

          答えがないことを話し合っても意味がない??

           みなさんは「哲学」ということばから、どのようなイメージが思い浮かぶでしょうか? ・難しそうな本を一人で読んでいる ・勉強してもなんにも役に立たない ・一部のひとたちだけが取り組んでいる  このほかにもさまざまあるかと思いますが、そのなかでも、「哲学って答えがないよね」と友人たちから耳にすることが多々あります。実際のところ、哲学的な問題を一つの解答へと収束させることは極めて困難であり、ほとんどのひとがそのことを知っています。幸せとはなにか、なぜ勉強をしなければいけないのか

          答えがないことを話し合っても意味がない??

          なぜいま「働くこと」を問いなおさなければいけないのか

           哲学カフェ開催の4日前となりました。今回は、「働くとはなにか」というテーマのもと、約2時間みんなでゆっくり、じっくりと対話をします。  哲学「カフェ」というくらいなので、飲み物や軽食は欠かせません。話し合いをするなかで喉をうるおし、糖分を摂取するためのチョコレートなどは、対話での集中力を維持するためには必須です。また、飲食はその場の雰囲気を和ませ、リラックスできるような気がします。  そもそも、このような対話的な活動と日常的な会話はどのようにちがうのでしょうか。  わ

          なぜいま「働くこと」を問いなおさなければいけないのか

          「わからない」に素直になると楽になる

           わからないことを素直に認めて、立ち止まることができるひとはどれほどいるだろう。  多くのひとが、世の中のたくさんのことについて「知っている」と思い込みながら生活をしていて、あえて問いなおすことなくスルーしてしまっている。というのも、「時間がないから」といって考えることをやめてしまったり、「答えがないことを話し合うのにどのような意味があるのか」といった疑問を抱いているからだ。  ひとたび立ち止まってあたりを見まわしてみると、世の中は謎だらけ、わからないことだらけであること

          「わからない」に素直になると楽になる

          イッヌになりたい話

           ぼくたちは、意味や目的、価値をじぶんの人生のなかで見いだそうとする。 「大学で勉強をする意味とはなにか」 「お金をかせぐ目的とはなにか」 「就きたい仕事にはどんな価値があるのか」  こうした問いを、大学生ならだれもが一度は抱いたことがあるかもしれない。そして、それらのものを見つけようとしてさまざまに試み、努力し、ときに挫折する。  大学で勉強することの意味を、たとえば、膨大なほどの資料がおさめられている図書館を、自由に利用できることに見いだす学生は少なくない。  お

          イッヌになりたい話