自分で考えて決めたことにしか責任なんてとれない
「それぐらい我慢しなさい」
「最近の若者は汗をかかない」
いわゆる中年おじさんの店長に言われて一カ月。ようやく、サウナと遜色ないバイト先のレジに扇風機がついた。
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職場環境はそれなりにいい方だと思っている。夜の時間帯のアルバイトは学生が多く、話していてそれなりに楽しい。シフトの融通もきくし、なにより家からめっちゃ近い。インスタのストーリーなんて、ひととおり目を通す前に着いてしまう。
これまでバイトが長続きしなかったぼくだけど、もうすぐで3年になる。シフト表で自分の名前が一番上にあることにはいまだに慣れない。
それでも、よくある友だちの「バイト探してます」投稿にリアクションできない理由はたったひとつ。
レジが暑いということ。
原因はよくわかっていないが、とにかく暑い。べつに売り場も涼しくはないけどレジは格別。冷房がちゃんと効いていないにしても、こんなになるものなのか。
夏の時期のバイトは億劫だ。
みんなも「暑いですね」と共感してくれるけど、ぼくは人一倍暑いと感じているという謎の自信がある。汗ばむなんてもんじゃない、汗が垂れてしたたり落ちる。タオルでこまめに拭いてもとても間に合わない。
口にする食品を扱うスーパーではかなりの致命傷だ。パンデミックも相まって、かなりシビアな世の中だと思う。
しつこく店長に言っても、「それぐらい我慢しなさい」の一点張り。挙句の果てには、「最近の若者は汗をかかない」と鼻で笑う。
不思議なことに、お客さんの目線はものを言う。ぼくの汗に気づいていることがよく伝わってくる。「衛生的に大丈夫なんですか」とまた言われるのではないかと考えると、ヒヤヒヤせずにはいられない。
けれど、ぼくには責任なんてとれない。だって自分で考えて決めたことなんかじゃないんだから。冷房をつけないことも、そもそもレジが暑すぎることも。そんなの行き場のないやるせなさでしかない。
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昨日のタイムラインは、秋学期の授業が原則オンラインでの実施になった話題で持ちきりだった。となれば、クラブやサークル活動も雲行きが怪しい。
大学は学びの場である。そして学びの主体は学生である。学生こそが、学びの当事者である。学びとは他の誰でもない学生にとっての問題であるはずだ。なのに、学生の生命と健康を守ることを最優先とするという立派な理由で一方的に決められてしまっては、当事者である学生はどのように学び、活動するかについての発言権がない。
自分のやることを自分で考えて決めることができないのならば、結果についての責任は本来とれないはずである。
施設を満足に利用できないことやサークル活動がままならないこと、お気に入りのキャンパスで友だちと過ごせないこと。
にもかかわらず、結果は学生自身で引き受けるしかない。たしかに学生は、思い描いていたキャンパスライフを送れないことを大学のせいにすることができる。また良心的な総長なら、学生たちとの対話不足を反省し、自分の責任を認めるかもしれない。
けれど、学生がどんなに大学を非難しようが、大学がどれほど誠実な態度を示そうが、豊かな学びが奪われてしまった結果は学生自身が引き受けるしかない。学びの主体は学生であり、学生こそが学びの当事者であるからだ。
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ぼくたちは、自分の生き方について諦めてはいけないし、誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって決めてあげることもやめなければならない。自分で考えて決めたことにしか責任なんてとれないから。