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「だから何?」ってすぐ言う人の特徴

どうも、高尾トンビです!

あなたは人に何か伝えて、「だから何?」って言われた経験はありますか?

TwitterとかSNSで、「だから何?」とか「何が言いたいんだコイツ?」みたいなコメントを見かけますが、僕はあれって実は恥ずかしいことだからやめた方が良いと思っています。

なぜかというと、「私は読解力がありませんよ」って言っているのと同じことだからです。

読解力がないから発言の意図や背景がわからない

読解力がないと、文脈を読むとか相手の意図を読むということができないので、その人が「なぜそういう発言をしたのか?」がわかりません。

だから「何?それ。いまその話は関係ないじゃん!」という反応になります。そもそも「関係ある」から話しているということが理解できないのです。

TwitterやYouTubeのコメント欄で「炎上」している感じのコメントをみると、発言者の発言そのものに問題がある場合もありますが、読解力がない人が「炎上を誘発している」場合もあります。

特に、Twitterなどは140文字なので要点のみしか書けないので、細かいところは省略されます。

それが読解力がない人にとっては「意味がわからない文章」が多く、「ストレス」になっているのかもしれません。

文章は「伝えたいことがある」から「書く」

もちろん、中には「わかりづらい」文章や「整っていない」文章もあります。

しかし、その文章を読み解く側が「こういうことを伝えたいのかも」という風に「意図を探る」ことができれば、ある程度のコミュニケーションは取れます。

そもそも文章というのは、何か「伝えたいことがある」から「書く」のであって、小さな子どもみたいに、何の意味もなく流れと関係ない文章を書くことはあまりありません。

たとえ稚拙な文章であっても、それは同じです。

考えていなくても反応はできる

一方で、読み手側は何も考えていなくても反応することはできます。

例えば、相手が何を書こうが「すごいですね」「なるほど」という無難な反応は何も考えていなくてもできます。

逆に、「だから何?」「バカじゃないの」「だからコイツ嫌い」みたいな反応も何も考えていなくてもできます。

でも、ちゃんと考えながら文章を読んでいる人がそれを見た時に、「うわあ・・・恥ずかしい」と感じます。

なぜかというと、「ちゃんと考えて受け取っていたらそういう反応にはならない」からです。

何が言いたいのかというと

さて、僕が何が言いたいのかというと・・・

「脊髄反射はやめましょう」ということです。

文章を書く方は読み手が思っている以上に文章を書くことに時間を使っています。

とても短い文章でも書く前にいろいろ考えて書いていることも多いです。

読み手側も時間を使ってその文章を読むのだから、もう少し考えて反応したら良いと思います。

一見してわからない文章でも、意図を考えて読むようにすると受け取り方が変わってきます。

もし、それをするのがめんどくさいというのであれば、脊髄反射のように「負の感情をぶつける」のはやめて、お互いスルーし合うのが精神衛生上良いのかなと思っています。

いくら、文章に対するコメントが誰でも自由にできるようになったからといって、むやみやたらに自分の感情をぶつければ良いというものでもありません。

その人の文章を読むのを楽しみにしている人もいます。

自分がわからないからといって、反論でも批判でもないような「単なる負の感情」でその書き手の心を折ってしまうようなコメントは控えた方が良いと思います。

でも、noteにはそういう人がいないので、すごく健全だと思います!

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