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#1314 しんじあの愛と涙の演説に皆が感動

それでは今日も幸田露伴の『露団々[ツユダンダン]』を読んでいきたいと思います。

須弥山はどこにあると説法しても、地球儀で遊ぶ少年には荒唐であると笑われ、古代中国の尭と舜の世を講釈しても、進化論をふところに入れた書生には野蛮であると賤しまれます。「卑劣」の心に「傲慢」という鎧を身に着け、仏教の経典は歌舞伎ほど面白からず、聖書の黙示録は『アラビアンナイト』にも劣っていると頭からこなす世の中。学問は進んでいるが、見れば見るほど人情は浅ましい。檄文よりも電信が速く、利剣よりも舌鋒が鋭い今日、アメリカのニューヨークに「しんじあ」という男がいます。額ひろく鼻とおり能弁の唇うるわしい。

齢[ヨワイ]も漸[ヨウヤ]く三十を超えて二とまだならぬなるべし。一人生活[グラシ]の相手には、貧人[ヒンジン]の小僮[コワラワ]のよるべなき物常[ツネ]に五六人、多き時は十人餘[ヨ]も入[イリ]かはり又[マタ]立[タチ]かはり、食客となりて働くなり。是[コレ]此の人の徳を慕ひて就[ツ]き来[キタ]れるならん。家は元より猗頓[イトン]の富[トミ]あるにはあらねど、又[マタ]原憲[ゲンケン]の貧しくもあらず。

中国春秋時代の大富豪に「猗頓」という名の大富豪がいたことから「猗頓之富」とは莫大な財産のことをいいます。逆に、中国春秋時代に清貧を重んじる「原憲」という名の孔子の門人がいたことから「原憲之貧」とは心は清らかだが貧乏なことをいいます。

父母共に世を去りしが、ぼすとん大学に入りて神学を修め、志想[シソウ]の漸く長ずるに従ひて、風俗の澆季[ギョウキ]をいたみ、人情の軽薄を悲[カナシ]みて、道徳の衰頽[スイタイ]を匡正[キョウセイ]せんと、第一に貧民を救済するは社會の腐敗を防ぐ最急策[サイキュウサク]たること、第二に貧少年[ヒンショウネン]を教育して徳性の涵養[カンヨウ]を爲[ナ]すべき等の数十策を立[タテ]しが、少しも世間の協力を得ざれば、功の急[キュウ]にし難きを知り、二十五歳の暁[アカツキ]より、警醒演説會なる者を起[オコ]し、ぼすとん、にうよるくは云ふも更なり、りッちもんど、もんとごめり、おうすちん等の南部諸府[ショフ]、ふらんくふをると、りんこるん、さくらめんと、されむの西方までも、歩みめぐりて、椅子の暖まる間[マ]もなく、舌の先のきれぬ許[バカ]りに演舌[エンゼツ]せしが、其の説く所高尚に馳せず、鄙近[ヒキン]におちず、重[オモ]に女子と少年に向ひて、熱心の涙と満腔[マンクウ]の愛をもて、正しき道を教へしかば、感動されぬ者無く、心ある学者は文筆を以て氏を助け、富者[フシャ]は金銭を寄せて費[ツイエ]を助くる程なれば、誰いふとなく、有名の高士[コウシ]むうでい氏の名よりして、第二のむうでいと呼びける。

ボストン大学はメソジスト派の牧師たちによって1839年にバーモント州ニューベリーに神学校「Newbury Biblical Institute」として設立されました。ボストンに移動したのは1867年のことです。

「澆季」とは乱れた世のことです。アメリカの地名がたくさん出てきましたが、「りんこるん」はリンカーン、「されむ」はセーレムのことでしょうね。

「有名な高士むうでい」とは、1886年にムーディー聖書学院を創立したアメリカの伝道者・牧師のドワイト・ライマン・ムーディー(1837-1899)のことかもしれません。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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